第六話 再び戦場へ


 帰り際、俺は神月先生に再び頭を下げた。久しぶりにお会いできてよかったと、これからも頑張りますと言った。

 それから、もう一つ。大事なことを伝える。


「出雲を大事に育ててあげてくださいね」

「は?」


 恩師が素っ頓狂な声を上げた。想像通りの反応だった。構わずに俺は続ける。


「あの子はとっても繊細な氷の華ですよ。金メダリストになる器かもしれません。育て方次第では、俺を超える選手になると思います」


 出雲は氷の上で拾った種を、大事に育てているといった。だけど俺は、出雲自身が一つの種なのだと思っている。

 スケーターとして開花するべき、大事な大事な新種の種。


 俺の言葉に、神月先生は小さく吹き出した。


「何言ってんの。あの子、喘息がひどいのよ? たまに入院しているし。選手になることよりも、日常生活をちゃんと送れるように体を丈夫にしてあげなきゃ。スケートは趣味のままにしておいた方がいい。それに、誰もが選手を続けられるわけじゃないのよ」

「それを決めるのは出雲自身ですよ」


 元師匠の言葉を遮った。

 先生の指導者としてのキャリアは長い。その間、俺や長澤先輩を含めていろんな選手を見てきた。経験則からの言葉は重い。

 だが、経験が邪魔して見落とすパターンも少なくはないのだ。


「出雲が趣味でいいって言ったら、そうしてあげてください。でも彼が選手になりたいと本気で言ったら、その時はちゃんと受け止めてくださいよ」

「……わかったわ」


 神月先生は、そこで同意してくれた。

 今日は盛岡市内のホテルを予約して、明日には横浜に帰る。午後には練習に参加できるだろう。シーズンオフになったばかりだが、あまり怠けてもいられない。

 一歩外に出ると、岩手山が夕陽色に染まっていた。乾いた風の中に、風花が紛れていた。手のひらに落ちた氷の花は、熱ですべて溶けてしまっていた。

 明日からまた練習が始まる。四年後を目指すための戦いが、また始まるのだ。


 ……それはなんと心躍ることだろうか。


 苦味は消えて、それなりに晴れやかな気分で盛岡スケートセンターを後にした。後ろを振り向かずに、盛岡の街の中を歩き出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る