第三話 氷華の種を抱き上げて


 俺が神原出雲に初めて会ったのは、中学生二年生の時だった。

 中学二年生当時。俺は生まれ故郷である北海道釧路市を離れ、岩手県盛岡市で練習を重ねていた。


「フィギュアアスリートとして戦いたいのなら、より良い環境で、早いうちに良い指導者についた方がいい」


 そう故郷の先生に諭されて釧路を離れたのが、一九九四年の春。リレハンメル五輪が終了した直後だった。

 盆地の盛岡に残暑が色濃く残る、一九九六年九月。神のように美しい子供が、母親に手を引かれて盛岡スケートセンターにやってきた。当時俺は、トリプルアクセルを習得した時期で、ジュニアの大会に本格的に参加する前だったと記憶している。長野五輪の前のシーズンだ。


「この子は生まれつき体が弱くて。喘息もあるんです。お医者様に相談しましたら、何かスポーツをやらせるといいと言われました。それなら屋内でもできるスケートがいいのではないかと」


 深々と頭を下げる母親と、穏やかに話を聞く神月先生の図が対照的だった。子供は初めての場所にびっくりして、真っ黒な瞳を忙しなく動かしていた。

 自分にその時代があったかは疑わしいが、いとけない子供は誰だって可愛いものだ。手は多量の水を含んでやわらかく、瞳は一点の曇りもない。庇護されるのが当たり前の、小さい小さい幼子。


 出雲の可愛らしさは、当時から群を抜いていた。CMに出る子役モデルもここまでの子はいないだろう、と思われるほどだ。


 母親のいう通り、彼は体が弱かった。一歩滑り出すと、途端に咳を繰り返して、十分も経てばぐったりと動けなくなる。リンク上で熱を出すことなんてしょっちゅうだった。その度に母親や神月先生が、時には俺が、動けなくなった出雲を抱き抱えて観客席で休ませた。天は二物を与えないという単語が、出雲を見るとよく理解できた。

 休んで、落ち着いたらまた滑り出して、咳を出しての繰り返し。ぐったりとしながらも目線はリンクの方に向いていた。氷の上で立っているだけでもなんとなく雰囲気のある子だった。存在感がある。


「出雲はスケートが好き?」


 休憩中、そう聞いたことがある。彼はよく、練習の合間に俺や長澤先輩の周りをちょろちょろと動いていた。俺もそんな出雲を可愛がっていたと思う。他の男の子は、体が弱いだの小さいだのといって相手にしていなかった。俺の横にいるだけで、彼はなんとなく安心していたのだろう。


「うん、大好き!」


 隣に座る出雲は、両足をぶらぶらさせながら答えた。

 瞳を見たらその子の才能がわかる。俺にそんな能力はないし、最終的に才能よりも技術や研鑽がものをいう。戦略や運も必要になる。生まれ持った純粋な才能だけで渡り歩ける人間なんていない。スポーツはそんな世界だ。


 彼がこれからスケーターになるかどうかはわからない。

 それでも、この氷上にいて欲しいなと思った。


 長野五輪シーズン後、中学卒業と同時に、俺はアメリカに渡った。

 男子シングルでは技術の向上期に入り、時代は四回転を求めていた。ショートプログラムからの四回転が解禁されたのだ。ジャンプがトリプルアクセルまででは戦っていけない。より良い練習に没頭できる環境を、神月先生をはじめとした周りの大人が整えてくれた。新しい練習拠点は、アメリカのデトロイト。ジャンプの指導に定評のある先生だった。


 盛岡を離れる三日前、いろんな人が最後の挨拶に来てくれた。神月先生、長澤先輩、後輩のスケーターたち、キッズクラスの子、盛岡スケートセンターの事務の方。みんなのお陰で、俺は長野五輪に出場できた。一人一人に丁寧にお礼を言い、最後に出雲を抱き上げた。四歳になったばかりの、この中で一番小さい男の子。羽が生えているみたいに軽い。

 いきなり抱き上げられた出雲は、ほうけた顔を見せた。ぱちぱちと何度か瞬きをする。その度に星が飛んだ。


「きっと君はいいスケーターになれる。そうだね、オリンピックの金メダリストになれるかもしれない。だから、是非俺に続いて欲しい。もちろん、みんなもね」


 ここにいる大体のスケーターは、芽が出る前の種に近い。大事に水を与え続けていけば、きっと芽が出て綺麗な花が咲くだろう。もちろんこの子もその一つだ。

 しかし、出雲は普通の芽とはちょっと違う気がした。うまく言語に落とし込めなかったが。俺は心の中で首を捻りながら、適切な表現を探した。俺の言葉より早く、出雲の桜色の唇が開いた。


「ぼく、チカ君みたいになれる?」

「なれるなれる。どうせなら、俺に続いてほしいね」


 その時は適切な表現が見つからなかったが、冷やかしでも嘘でもなかった。

体が弱くても、出雲はスケーターになれる。

 俺はその後三年間アメリカで過ごし、去年五月に帰国した。四回転を二種類覚えた後、成績が伸び悩んだからだ。考えた末に、もう一度新しい環境に身を置いて、改めてソルトレイクシティ五輪を目指すことにした。昨シーズンから師事しているのは、星崎総一郎という横浜の指導者だ。昔の先生に挨拶をしてくると伝えたら、星崎先生は「昔の縁は忘れずに。今のあなたがいるのは、確実に彼らのおかげだから」と言ってくれた。


 そして今、一時的に盛岡に帰ってきた。

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