第三話 ザンボニーの後ろ姿
テレビの取材を打診されたのは、四月の終わりだった。
「……はぁ」
重いため息が出てしまう。
例えば、教え子の一人が十五歳でオリンピックの代表に選出された時。例えば、地方創生としてリンクを活性化させているとして。例えば、東北を代表する指導者であると紹介された時。
いろんな理由で何回か取材を受けたが、何度受けても慣れることがない。
時刻は午後三時半である。時間帯や曜日にかかわらず、事務室の応接スペースが使われるのはあまりない。私と向かい合う地方テレビ局のディレクターは、事務員の崎山留佳の淹れたコーヒーに手をつけず熱心に語っている。自分はフィギュアファンなんです、紀ノ川彗の大ファンですと目を輝かせた。
「なんと言ってもここは、堤昌親さんと、長澤真一さんを輩出した名リンクじゃないですか。二人ともソルトレイクは別のコーチのところで出場しましたが、彼らの土台を作ったと言っても過言じゃないんじゃないですか?」
「はあ、まあそうですけど」
堤昌親、という名前がディレクターから飛び出てきた。私は横目で留佳の様子を探る。コーヒーを淹れた後、留佳は自分のデスクに戻って初心者向けのスケート教室のチラシを作っている。デスクで仕事をする留佳の背中からは、感情らしい感情が読み取れなかった。
「神月先生も、自身はスケーターで、五輪出場経験もおありです。また、お二人とは別の生徒を五輪にも連れて行きました。そんな先生が、今育てている選手やこのリンクについて、お話を伺いたいと思いました」
「……それはありがたいです」
スケートファンであるディレクターの熱意は尋常ではなかった。まさか、私がレイクプラシッド五輪に出場したのを知っていたとは。
結果、私が折れた。
取材するに当たって、リンクで練習する子供たちの邪魔でなければ、朝の短い時間であるのなら、という条件は付けさせてもらった。大ごとにすると、子供たちがはしゃぎすぎて練習にならなくなってしまう。
ディレクターが来訪した翌日に、練習前に取材についてはちゃんと子供たちには伝えた。取材がくるのに子供たちに話さないのはフェアじゃない。カメラにうつりたくない子もいるだろうし、親御さんが嫌がるかもしれない。その日にテレビが来るけれど、嫌な子はその時だけ控え室にいてもらう。……伝えた様子を見た限り、嫌な子はいないようだったが。
スケートリンクの事務員の就業時間は、朝八時から夕方五時まで。出勤してきた留佳と、改めて簡単に打ち合わせをする。取材日がいつで、何時からか。やってくるのは岩手のローカルテレビ。人数は、カメラマンとディレクターとリポーターの三人。
「テレビが来るなら、それまでに全体的に綺麗にしておいた方がいいですよね」
「そうね。テレビに映るのは練習風景だけじゃないから。清掃さんにいつもより念を入れて掃除してもらおうか」
話を聞いた留佳はてきぱきと行動してくれた。
ここの清掃は地域のシルバー人材に頼っている。週三回だが、ないよりはマシだ。取材がある週は一日多く、清掃時間を長くとってもらおう。その分賃金ははずまなければならないが、経営者も必要経費だと思ってくれるはずだ。
「悪いわね、留佳」
「いいえ仕事ですから。……と、製氷行ってきます」
椅子にかけたジャンパーを羽織って、留佳は事務室を飛び出していく。朝八時、子供達の練習が終わっている。氷はエッジでかなり抉られていた。
留佳は私の昔の教え子だ。高校生の時に受付のバイトを紹介し、その流れで盛岡スケートセンターの事務員に就職した。
事務員と言っても、留佳を除けば高校生や大学生のバイトしかいない。よって、物品管理や経理、所属しているインストラクターのスケジュール管理、スケート教室開催等の広報活動、暇があったら製氷作業などなんでもこなしている。
今でも私は、留佳との昔を思い出すと胸が痛む。彼女を受付のバイトに誘ったのも、大学卒業時に就職先がないならとここの事務を斡旋したのも私だ。スケーターとしての彼女の未来を潰したのは私だという意識が、しこりのように残っていたからだ。
朝の練習が終わったら、昼まで家で仮眠をとるようにしている。午前十時から午後六時までは一般開放の時間だ。ここにはインストラクターが私を除いて四人いる。最近は一般開放時間でも開催している初心者向けのスケート教室を、若手の四人に任せていた。私の出番は午後からだ。高校生や大学生のスケーターが、次のシーズンに向けての練習を始める
事務室を出ると、観客席に真新しい学生服姿の出雲がいた。今日は普通に練習できていたから安心している。しかし朝の八時を回っている。このままだと遅刻する。
「出雲、学校に行かなくていいの?」
「神月先生。……あ、やばい。すみません、ありがとうございます!」
リンクの壁にかけられた時計で時間を確認して、慌てて出て行った。走っちゃダメだよと心の中で声をかける。また発作を起こしちゃうかもしれないから。
私が声をかけるまで、出雲は氷上のザンボニーを見つめていた。彼が入学した中学は、通っていた小学校よりも盛岡スケーセンターから距離がある。それだったら、もっと早くにここを出なくては行けないのに、何を呑気にしていたのだろう。
ザンボニーには留佳が乗っていて、子供達の練習の後を綺麗に消していった。
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