第二話 スケーティング・スタディ(盛岡編)
最初はみんなでスケーティングの練習。四十五分たっぷり行う。そこから各々がスピンの練習をしたり、ジャンプの練習をする。競技シーズン中はプログラム練習をする子も少なくない。今は三月の半ば。ほとんどの子は大会が終了していて、来年に向けての練習をしている。
指導者になって二十年以上経った。それなりに充実した競技生活を終えて、一九八七年に結婚と同時に盛岡に移った。それから私はずっとこの街にいる。一九九〇年代後半には幾人かの世界レベルの選手を育て上げ、いつしか「東北でフィギュアスケート選手を目指すならまず神月美里のところにいけ」と言われるようになっていた。
朝練習に来るのは、小学生から中学生と学生が多い。彼らの朝の練習は、八時には完全に終わる。学校に行くという事情があるからだ。夕方は早い子で四時ぐらいから練習を初めて、夜の九時まで滑る子もいる。
朝は早く、夜は遅くまで練習を積む。それを毎日続けなくては、スケーターとして大会に立つことすらできない。教える私が実感するのだが、フィギュアスケートは、スタートラインに立つまでの道のりが本当に長い。さらに頂きに挑戦できるのはほんのひと握り。それなのに、ここにくる子供たちはみんな熱心だ。当たり前のように、フィギュアアスリート、もしくは第二のオリンピック選手を目指しているのだろうか。
堤昌親のように。あるいは、長澤真一のように。
「ほら、理恵ちゃん、エッジがフラットになっているよ!」
「達規君、もっとスピードだして!」
最初は円を描かせる。次に、赤い三角コーンを並べて、ジグザグに滑る。最初は前向きに、次は後ろ向きに。ラストは、リンク全体にSの字を五回描かせる。
一人一人見て、私はひとりの少年で目が止まった。
六年生。次の四月に中学生になる、桜と鉱物が交わって生まれたような、異常に顔立ちの整った男の子。私はその子の元に向かった。
「出雲、大丈夫?」
リンクサイドに手をついて、大丈夫です、と咳を交えて答えた。肩を叩いてこちらを向かせる。顔色が悪かった。
「次、やります」
「だめよ、季節の変わり目は体調が悪くなりやすいでしょ? 無理しないで」
長い冬が終わろうとしている。次にやってくるのは春の陽気と花粉症だ。
そして、季節の変わり目は、喘息の天敵である。
親御さんから、出雲が、持病の喘息と熱を出しやすい虚弱体質だとは聞いている。生まれてきた時の彼は1500グラムほどの低出生体重児で、一ヶ月は保育器の中にいたのだ。それも彼の今の体質と無関係ではないだろう。彼がスケートを始めたのも、医者に勧められて体を強くするためだった。喘息を克服するためにスケートを始める選手は少なくはない。
虚弱体質なりに真面目に練習しているから、彼のスケートはその年の割に上手くなっていた。
それでも私は、この子はアスリートに向いてはいないと思っている。
咳き込む出雲の肩を優しく叩く。吸入器をスポーツバックの中に入れてきて練習するのは彼だけだ。空咳が激しくなる。本当に、今日はもうやめた方がいい。先週退院したばかりだろう。
これでも良くなった方なのだ。一年前は、氷の上でうずくまったまま動けなくなった。小さい頃は、私や高校生の子が抱えて観客席で休ませるなんて、よくある光景だった。入退院も少なくはない。
私は心の中で、かつての教え子に話をかけた。
ねえ昌親。あなたは本当に、この子がスケート選手になれると思っているの?
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