第八話 休息の夜 ――全日本ジュニア2008

 競技終了後は滞在先のホテルに引き上げた。公式記者会見がないのが全日本ジュニアは楽だ。これからはショートのおさらいが待っている。スコアシートを見返して、夕飯の前に指導をする。

 ノックして開けてもらうと、眠そうな顔の教え子が出迎えた。少し顔が赤い。


「寝ていました。ちょっと疲れたので」

「熱はある?」

「37.1です。喉は痛くないです」


 十一月の下旬は、秋から冬に一気に近づく季節だ。どこかから風邪をもらったのかもしれない。一度自分の部屋に戻って、救急セットを持ってくる。額に冷えピタを貼ると、出雲は楽になったと言わんばかりに顔を崩した。

 こういうことにも、今シーズンでかなり慣れた。すぐに下がることもあれば、長引く時もある。

 ベッドに腰をかけて、スコアシートを広げてショートの演技を確認した。携帯電話でも確認できるから楽だ。スピンはレベルが最高評価だった。ステップは二つともレベル2だったけど、加点が2点以上もらえていて狙い通りだった。やはり惜しいのは最後の三回転ルッツで、そう指摘すると出雲は悔しそうに唇を噛んだ。もともと得意なジャンプなのだ。

 京本のショートの点は69.77。武田の点は66.94。逆転できない点数ではないが、今の構成だと難しいかもしれない。京本も武田も、トリプルアクセルを二本フリーに入れている。出雲は一本。しかし、ここまできたら小細工なんて何もできないのだ。

 戦い方によっては勝機がある。そのためのフリーのプログラムだ。

 色々と話しているうちに、顔の赤みが増された気がした。ちょっと横になりますと言って、ベッドに横たわる。


「熱が上がってきたんじゃないか?」

「明日には下がります。感覚でわかるんですよ。それより明日です。明日も、全力で行きます」

「……お前のその躊躇いのなさは本当に尊敬するよ」

「五輪の金メダルのため、ですから」


 体の弱さともうまく付き合う。その上で、自らの夢のために走っていく。どこまでも真っ直ぐだ。

 しばらく俺は、傍で他の選手の演技を思い出しながら、加点のつき方や得意なジャンプをチェックしていた。武田選手はルッツが得意そうだった。ただ、ブロック大会はフリーで二本のトリプルアクセルが揃うことはなかった。京本は演技の出来にムラがある。滑走順は武田が最終二番滑走。出雲が四番滑走。京本が五番滑走。ライバル選手に挟まれた形になるが、滑走順で左右されているようではダメだ。この状態でも平常心を保ち、且つ、いい演技をしなくては。あれこれと考えていたら、時間が経ってしまっていた。


「俺はそろそろ飯に行くけど……」


 声をかけると、教え子は目元に影を落としていた。やけに静かだったよなと思いながら、俺は布団をかけて部屋を出た。ホテルの近くに弁当屋がある。飯はそこで買ってこよう。


 夢は五輪の金メダル。


 俺が受け持った当初から、出雲は「五輪の金メダルを獲る」と口にしていた。指導者になった俺が不安を覚えるほど強く。

 彼の中で、その夢はいつから、そして何故、生まれたのだろうか。


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