第五話 それには渇いた笑いしか返せない

 どの競技もそうだが、フィギュアスケートに完璧に休みの時期はほぼない。大会がない期間は次のシーズンに向けての準備をしている。

 五月から七月にかけては、とにかく体力作りに勤しんだ。陸上ランニングの距離を伸ばし、コンパルソリーの時間を増やした。トリプルアクセルを飛ぶためにも必要な筋肉をつけさせたかった。一般的にシーズンオフと呼ばれる数ヶ月が鍵である。

 氷上練習や筋肉トレーニングの他に、週に二回バレエに通わせた。体を柔らかくするのと、腕の使い方や綺麗なポージングを身に付けさせるためでもある。男子にしては、出雲は体が柔らかい。これに更なる柔軟性が身につけば、スピンのヴァリエーションが増える。真面目に練習をしているからかスピンは得意な方だ。これを強みにしたい。


 プログラムの振り付けはどうしようかと頭を悩ませた。

 本当はマサに頼もうかと思った。マサは、他人の作品を作ったことはないが、現役時代にはいくつか自分でプログラムを作っていたはずだ。プロになった今でも、積極的に作品作りに勤しんでいる。最新作である「藤娘」は、マサの代表作になるだろう。

 だが、マサに泣き言を言ってしまった手前、なんとなく二の足を踏んでしまっていた。後輩にこれ以上頼りたくないという、妙な意地が俺の中に生まれていたのだ。


「……で、私に頼むことにしたの?」

「はい」


 神月先生はこめかみを揉んだ。


「勝ちたいなら、もっと他の有名な振付師に頼むべきよ。それか、あなた自身が作るか」

「そう思うのは山々なんですが……。先生は自分の教え子に、俺の作品を滑って欲しいと思いますか?」

「ごめんなさい。悪かったわ」


 どうも俺は振付師としての才能はないらしい。動きのブラッシュアップや、「ここをこうしたらいいかもしれない」というのはわかるのだが、一から新しい作品を作る、ということが出来ないのだ。出来たとしても、どこか有名振付師の焼き増しや劣化版になってしまう。それに、有名振付師になると振付費用も莫大になる。出雲のお母さんに相談したら、今はそこまでお金をかけられないと言っていた。

 神月先生は出雲を小さい時から知っているし、多少は振付費用が安く抑えられる。有名だけど出雲を全く知らない振付師よりも、そして俺が作品を作るよりも、いいものが出来ると踏んでいる。スピンとステップのレベルの取り方や、ジャンプのエッジエラーなどは、俺が細かく詰めて行けばいい。最終的に神月先生は了承してくれた。曲は、後で出雲を交えて決めればいい。


「あ、そうそう。真一、話は全然変わるんだけど、ちょっといい?」

「はい。なんでしょう?」


 神月先生は、どこかバツが悪そうだった。

 嫌な予感がする。


「夫の会社の上司の娘さんで……。これ、考えて欲しいんだけど」


 夫の会社の上司の娘という単語を心の中で復唱する。……嫌な予感しかしない。

 そうして恩師が見せてきたものに、俺は乾いた笑いしか返せなかった。


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