第四話 ドトールコーヒーの誓い
「来シーズンは結果を出そう」
盛岡に帰った俺は、中学帰りの出雲を捕まえて、スケートリンク近くのドトールに入った。自分用のコーヒーと、出雲の分のカフェオレを頼んで席に着く。同じく学校帰りらしい女子高校生が、ちらちらと出雲を見やっている。俺がいなかったら逆ナンされてもおかしくない。……それはどうでもいい。
「まずは全日本ジュニアで優勝する。そうすると、シニアの全日本に招待されるから、新人賞を貰いたい。で、ジュニアのエースの肩書を持ったまま、世界ジュニアに行こう。そうだね、それで表彰台を目指す」
「え……」
手元のコーヒーもそこそこに改まって話をされると、驚かれるものらしい。
「今、出雲が飛べる三回転は五種類。それにトリプルアクセルを加えたい。だけど出雲は、フリップでエッジエラーもらうから、そこも矯正していく。……あとは体力だね」
フィギュアスケートのジャンプは、難しい順に、アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トウループと六種類ある。アクセルは唯一前向きで飛び上がるジャンプで、外のジャンプより半回転多い。他のジャンプは全種類三回転が飛べるが、フリップを苦手としていた。
ジュニアカテゴリーは十三歳から十九歳までと、年齢の幅が広い。また、十九歳になればシニアでも通用するような実力や体力を持っている選手も多い。ノービスから上がりたての選手には酷だと思う。現在十四歳の出雲は、まだ子供に近い。ジュニア一年目の去年は特に顕著だった。加えての持病だ。
しかし体の弱さと向き合いつつも、ショートとフリーを滑り切れる体力はつけなければダメだ。熱を出すのは、大会が終わってからでいい。肺活量を少しづつ増やし、筋力をつける。ジュニアでもトリプルアクセルは必須なのだ。
そう説明して顔を上げると、出雲は驚いたまま固まっていた。
「……そこまで驚くことはないだろう」
そうじゃなくてと出雲は被りを振った。
「……ずっと、先生は俺の指導に関わりたくないんじゃないかって思っていました。俺の体が弱いから。重いですよね」
出雲も感じているのよ、あなたが本気になっていないって。
鈍器で頭を殴られた思いだった。俺の想像以上に、俺の行為に彼は傷ついていたのだ。自分が半端者とか、出雲の体が弱いとか、そんなのは関係ない。やはりただの言い訳だ。
「これからは、そうは思わせない。本当に悪かった」
「改めて、よろしくお願いします」
頭を下げた出雲に、カフェオレが冷めるから飲むようにすすめた。慌ててカップに口をつける出雲の瞳に光るものがあった。俺はそれに気がつかないふりをした。指摘されたくはないだろう。
腹は決めた。ここからは一蓮托生だ。
この瞬間、出雲と本当の師弟になった気がした。
フィギュアスケートの大会シーズンは一般的には冬のイメージがあるが、実は夏の終わりから競技会が始まる。シニアでは、ネーベルホルン大会やフィンランディア杯などのB級の試合がヨーロッパで始まるのが九月。そこから、シニアのグランプリシリーズでシーズンが本格化する。
これがジュニアになると、八月下旬からスタートと、少し前倒しになる。シニアグランプリシリーズが始まる頃には、とっくにジュニアのグランプリシリーズは終了し、ファイナリストが揃っている状態になるのだ。
俺はまず、国内外問わず出雲が出そうな試合をピックアップした。
去年の全日本ジュニア選手権では、出雲は五位だった。ブロック大会は免除されないので、全日本ジュニアに出場するためのブロック大会をこなしていかなくてはならない。
頭の中で「世界ジュニアに出場する場合」のスケジュールを組み立て、B5のノートに書き込んだ。
・国際大会 ジュニアグランプリシリーズ 八月下旬から十月上旬 二大会。
・国内大会 ブロック大会 一)北海道・東北ブロック 十月八日。 二)東日本選手権 十月二十一日
・全日本ジュニア 十一月二十四日 名古屋
・ジュニアグランプリファイナル(いけたら) 十二月上旬
・全日本選手権(招待) 十二月二十五日頃 長野
・全中フィギュアスケート選手権(中体) 二月ごろ
・世界ジュニア選手権 二月下旬 (ブルガリア ソフィア)
去年のジュニアグランプリシリーズでは、一戦派遣されて四位だった。その結果と全日本ジュニア五位から、強化選手に選ばれている。今年は強化選手という身分を得たので、ジュニアグランプリシリーズには二大会に派遣される。そしてまだ、大会のアサインメントは発表されていない。
つまり、大会のシーズンは最長で八月下旬から二月下旬。出場する大会は、出られそうな大会全てで出場になると、九大会出場することになる。
……後半はどうなるかわからないから、八月から十一月までが鍵だ。その中でも一つのポイントになるのが、全日本ジュニア選手権だろう。
グランプリシリーズは経験や場数を踏むためのステップだと思えばいい。
兎にも角にも、世界ジュニアの代表に選ばれなければ意味がないのだ。
考えることは山ほどある。俺はノートを閉じて、壁時計を見た。四時半。ノートを小脇に抱えて、慌てて事務室を出た。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ドトールで話してから二週間経った。今は四月の桜が咲く時期。
このノートが肝になる。大事なこと、注意すること、クリアしたところ、これからクリアすべきところ。出雲の指導に関わった全てをここに書き込んでいく。
「じゃあ、八の字と大小二つの丸い円から始めようか」
最近の若い子はサークルエイトというらしいが、俺は八の字という方が馴染んでいる。
まずは、不必要な体力を使わないための深いスケーティングを作ることから始めよう。ベースは神月先生が教えてくれている。そこからさらに長く伸びるように。
出雲は素直にはいと答えて、氷の上に向かっていく。そのスケートは、昨日よりもわずかにひと蹴りが長くなったような気がした。
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