第九話 アメシストの石言葉
エキシビションもバンケットも全て消化された後。
俺は何故だか神原出雲とニースの街を歩いていた。
買い物に付き合って欲しいと言われたからだ。どうして俺なのかと聞いたら、大事な人に送るものだからという返答がきた。
「それなら長澤先生の方がいいんじゃないか?」
「先生ではダメなんです」
そう言われると断るのも人情に反く。俺は出雲の買い物に付き合うことにした。
街中に植えられたミモザの花が茶色になっている。春の訪れではなく、春真っ盛りの三月下旬。シャープな春物のコートと細身のジーンズ姿の出雲と歩いていると、何故だか舞に申し訳ない気持ちになる。当の舞は、後輩の頼み事を聞くのも先輩の役目だと背中を叩いたが、出雲が選んだ場所に入ると、その思いが一層強くなった。
髪を隙なく結い上げ、品のいい制服をきた女性が俺たちを迎え入れる。店内の照明は暖色系で、店員は女性、主役はアクセサリー。……これでは、まるでデートだ。
「すみません、何も言わずにこんなところまで連れてきて」
ショーケースに並ぶのは装飾品だ。スワロフスキーはわかるが、他はほとんどノンブランド。値段を見ると、過剰に高い商品は見当たらないが、安っぽい作品もあまりない。
「大事な人に贈るものを買うから。相談に乗って欲しくて。……先生には頼めないし」
「どうして? 長澤先生の方が大人だろ?」
再び尋ねると、出雲は顔を横に逸らした。
「……色々、ありまして」
「色々」
復唱する。さっきも長澤先生ではダメだと強く言っていた。言いづらい、ではなく、まるで言えない事情があるのだろうか。しかし自分に置き換えると、出雲が渋るのにも納得できる。俺も林田先生に舞へのプレゼントの相談なんて、絶対にしたくない。
突っ込んで聞くのも気が引けたので、最低限のアドバイスを送った。俺だってそんなに詳しくはないから、一般論として。指輪は指のサイズが一人一人違うから、この場にいない人間に送るのは好ましくはない。耳の場合、ピアスの穴が空いているかわからない人には、イヤリングの方が無難だ。金属アレルギーがある人には、チェーンに気をつけること。以前、舞にペリドットのネックレスをプレゼントしたら、金属アレルギーだからどうしようと困った顔をされた。そこから慌ててステンレスチェーンに変えてもらった経緯がある……そんな話を、出雲は真剣な顔で聞いた。
「カナダに移籍するんです」
きらきらひかるスワロフスキーのピアス。パワーストーンのネックレス。ショーケースに並ぶそれらを眺めながら、出雲は切り出した。
「それ、舞が噂していた。……本当だったんだな」
出雲は緩やかに頷いた。
「今の先生には感謝しかありません。ここまで俺を育ててくれたんですから」
「フリーで「ライフ・イズ・ビューティフル」を選んだのもそのため?」
「そんなところです」
言葉は少なかったが、出雲の静かな口調からは、長澤先生に対する謝意が込められていた。……この二人は、本当に親子みたいなものかもしれない。
これにしよう、と小さくつぶやいて出雲が選んだのは、アメシストカラーの一粒ピアスだった。値段を見ると、それなりに手頃だ。ただ、高校三年生の出雲が買うには、少しませている気もした。しかし安っぽく見えてしまうから、下手なものは買えない。装飾品というのは意外に難しい。ピアスを選んだということは、その人の耳に開いているのだ。
俺にとっての舞みたいな人が、出雲にもいる。
出雲は忘れているかもしれないけど、昔、合宿で話していたひとだったらいいなと思う。
出雲は、ピアスが店員の手によって綺麗に包装されていくのを、目を細めて眺めていた。きっと、これがその人の耳を飾る場面を想像している。
そんな幸せな顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます