第八話 I'm not perfect skater


 最終グループ始まりのアナウンスが流れ、六分練習中が始まる。その間、いまいち集中し切れなかった。さっきの出雲の演技がチラチラと頭に浮かんでしまう。見なければよかったのかもしれないが、後の祭りだ。いい演技だったから? そうではない。


「後輩があそこまで滑ったんだ。お前が頑張らないわけにはいかんよな」


 フリーの直前。名前がコールされる前に、林田先生がハッパをかけてくる。先生は俺の隣で出雲の演技を見ていた。先生も惜しみなく拍手を送っていた。……173点という高得点には、流石に驚いてはいたが。前滑走のネイト・コリンズの点数が出るのが遅い。


「そうやってプレッシャーかけてくるの、演技前はやめませんか?」

「お前が動揺したかどうかを見たかった。していないようで安心したよ」

「またそうやって意地悪を」


 先日舞にも似たようなことをされた。そう言うと、林田先生は吹き出して、舞らしいなと笑った。


「……昔、トリノ五輪の代表選考の時、堤さんが俺に、次は君の時代だって言ってくれたんですよ」

「知っている。その時俺は横にいたからな」


 そうだった。この人はいつも俺の横にいた。そして、余計な言葉が多かった。チャイコフスカヤの言葉でうだうだしているときも「才能がない? そんなことを言うババアは蹴り飛ばしてやれ」とか鼻で笑っていたし、舞と一日逃げた時も「腑抜け野郎、どうせ逃げるなら一発やってこい」とか、そんな碌でもない言葉しかこの人からは聞いていない。……堤昌親に背中を押されたときは、流石に黙っていたが。


「さっき出雲の演技を見た時、俺もそろそろ背中を押す時が近づいてきたのかもしれないって思いました。自分がこの競技で古い人間になりつつありますし。この子にだったら俺の後を任せられるなぁって」

「お前、引退とか考えていたのか?」


 林田先生が目を丸くさせた。そんなに意外だったのだろうか。


「まぁ、多少は。歳も歳ですし」

「……だからフリーでこれを選んだのか」


 先生は俺の無言を肯定ととらえた。

 バンクーバー五輪で銅メダルを獲り、去年の世界選手権では初めて優勝した。今年二十六歳になり、スケート界では、ベテランというより老年の域にきている。体力的にも引退の字が目の前をチラついてもおかしくない歳だ。

 アメリカのネイト・コリンズの点数が表示される。なかなかにいい点数だった。

 ……俺の滑走のアナウンスとかぶるように、林田先生が、長く、呆れたため息を吐いた。


「何言ってんだ、この馬鹿。お前だってまだまだひよっこだ。余計なこと考えてないで、さっさと滑ってこい」


 最終グループ第二滑走。紀ノ川彗。黒を基調とした衣装は、背中に銀の十字架を背負っている。

 フリーは映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のサウンドトラック。



 シーズン始まりの前。次のプログラムの考えているときに、俺はこの映画を見た。

 視聴を始めた二時間後に、強烈な胸焼けを感じてトイレに駆け込んだ。

 陰鬱な内容をミュージカル仕立てで描いた問題作。失明間近のヒロイン・セルマが、同じ病気を持つ息子のために手術費用を稼いでいる中で、貯めていた貯金を奪われたり勤めていた工場を解雇されたりと、これでもかというぐらい悲惨で理不尽な目に遭う。最終的に彼女は殺人で絞首刑にされる。人種と移民が当たり前のように差別されていた60年代のアメリカを舞台にしている。

 二度とこの映画は見返さない。そう決意させるぐらいにはトラウマになった。こんなに救いのない話があっていいものかと、映画そのものを心底嫌いになったものだ。


 ……自分の吐瀉物の匂いを嗅ぎながらこうも思った。

 これを滑りたいと。


 セルマの妄想の中では、自身の陰惨な身の上も明るいミュージカルだ。いつか失明するかもしれない現実も、死刑執行の恐怖も、歌って踊って紛らわせる。セルマを演じるビョークの歌声は最高だ。映画の内容はともかくとして、タイトルの「闇の中のダンサー」という単語そのものになりたかった。ルール上ヴォーカル曲は使用禁止。常に一点減点されていたが、シーズン通して一定の評価は得てきたつもりだ。

「もう十分」と言ったセルマのように。競技人生を燃え尽きられたらどんなにいいだろうか。先生のいう通り、そんな憧れも頭の片隅にはあったのだ。


 だが。


 いざ世界選手権で滑り出すと、どうにも滑りが氷に乗っていかない。いや違う。滑りが乗っていかないと言うよりも、映画の内容を思い出して、この音楽に俺の心が乗っていかないのだ。滑りたいと思ったが、嫌いな映画だからか? ジャンプは飛べる。四回転も決められた。だけどどうも、エッジが浅い気がする。体の動きが硬い。サーキュラーステップもいまいちな出来だ。自分でいまいちだとおもっているのだから、ジャッジが見逃すはずがない。


 出雲の演技を見たからだ。

 才能あふれる後輩の確かな芽生えの瞬間を、目の当たりにした。

 絶望をしても、それでも人生は美しいと滑った姿。


 その姿がステップの途中でもチラチラと浮かんで、ビョークの音が体に乗り移らない。

 気がついた時には、俺はトリプルアクセルをパンクさせてしまっていた。

 得意なトリプルアクセルを一回転に。


 演技中に愕然とする。音に紛れて、観客の落胆した声が聞こえてきた。

 それでも曲は続いていく。滑りながら苛立ちが募ってきた。失敗する自分と、映画の内容に。


「もう十分、見たわ」


 失明した時、セルマはそういった。……本当にそうなのか? 見るものは見たといったが、自分は愛する息子を見られなくなってもいいのか? 息子と一緒に生きなくていいのか?セルマは、息子が良ければそれでいい、そう思った人間だ。自分の悲惨な境遇を明るく歌って紛らわし、息子が手術を受けたのを知った瞬間、思い残すことはないと歌った。

 だけど。

 三回転フリップをステップアウトした瞬間、苛立ちは猛烈な怒りに切り替わった。


 俺はまだまだ全然満足していないぞ。

 終わってなんてやるものか。



 四分半が終わって、バリバリと頭をかきながら、リンクサイドに戻る。キス&クライでやっちまったな、と林田先生が肩を叩いた。


「ほら。結局、終われないだろう?」


 ボロボロの演技を見せやがって、と林田先生が笑う。

 仕方がない、これが俺だ。点数が表示されて、まぁこんなもんだろうと思って納得する。バックヤードに引き上げると、舞がお疲れ様と労ってくれた。


 出雲は「ライフ・イズ・ビューティフル」のジョズエになれた。それは、彼を氷の上で大事に育て、愛情を注いだ誰かがいたからだ。その誰かがいなくなっても、出雲は受け取った愛情を胸に抱えてこれからも滑っていくのだろう。

 俺は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマになれない。

 滑るのが好きだ。才能がないと言われても、大怪我をしても、スケートだけは手放せなかった。

 だから、セルマのように「もう十分」とは思えないのだ。思い残すことは何もないという顔で絞首台になんて向かえない。


「肝心なところでトチるのが彗だよね。でも、それでいいんだよ。だから、これからも頑張っていける」


 ……本当に舞は、俺が欲しい時に欲しい言葉をくれる。

 そうして俺は、最終滑走のスコット・ヴァミールまでバックヤードのモニターで見つめた。




 鳴り響くカナダ国歌を耳に入れながら、俺は今回の結果をじっくりと見返した。

 優勝はカナダのスコット・ヴァミール。三大会連続銀メダルからの優勝だった。悲願のメダル、というのは今回の彼のようなことを言うのだろう。二位はアメリカのネイト・コリンズ。ショート四位からの逆転の表彰台だった。三位にフランスのフィリップ・ミルナーと続く。


 日本勢の結果は以下の通りだ。

 紀ノ川彗。ショートプログラム二位。フリースケーティング六位。総合五位。

 神原出雲。ショートプログラム八位。フリースケーティング三位。総合六位。


 才能豊かな後輩は確かに恐ろしい。今回のフリーでは負けてしまった。この子がこれからどう育っていくか。頼もしくもあり、怖くもある。


 だけど、俺はまだ、この氷上で生きていく。

 背中を押すのはもう少し先だ。

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