第七話 わが父の教えたまいし歌(ライフ・イズ・ビューティフル)

 じっくりと体をほぐしていたら、いつの間にか第三グループも終盤になっていた。2012年の世界選手権、男子シングルも佳境に入ってきていた。

 ショート八位の出雲は、第三グループの最終滑走のはずだ。俺はヨガマットから体を起こして、リンクサイドに向かった。

 普段、自分の前の選手の演技を見ようと俺は思わない。だから今、出雲の演技を見ようと思ったことに少しだけ驚く。移籍の噂を聞いたからか、出雲が日本の男子シングルの次を担う世代になるからか。自分でも理由はわからない。

 行くとちょうど、第五滑走であるロシアの選手が滑っているところだった。しかし調子が優れないのか、どこか怪我をしているのか、いまいち冴えない演技をしている。

 誰かが一つ失敗すると、自分も失敗するのではないかという根拠のない不安に駆り立てられる時がある。失敗や不安は連鎖する。昔はよくそれで演技を崩した。

 頭をふりながら、暗い顔でロシアの選手が氷から上がり、入れ替わりに神原出雲がリンクインする。昨日よりも呼吸が荒い気がする。顔色も良くなってはいない。

 チェック柄のベストに白いワイシャツ。カーキ色のスラックス。

 ……名前がコールされて送り出す際、長澤先生の顔が、滋味深いものになっていたのは俺の思い過ごしだろうか。


 プログラムは、映画「ライフ・イズ・ビューティフル」のサウンドトラック。

 第二次世界対戦時のユダヤ人親子を描いた映画である。


 シーズンを通して、このプログラムを見るたびに、よくわからない既視感を覚えていた。競技で誰かが使っただろうか。目に見えないボールを触っているようで、釈然としない。あまり使われない曲だから、誰かが使っていたら覚えていそうなのに。

 思い出せないのに、それを見た時、演じていた人間の優しさだけははっきりと感じとっていた。誰かのためにすべてを捧げられる。こんな演じ方もあるのだと。


 哀調のある音楽から始まる。

 手触りを確認するような四回転トウループ。拳を握ってそれを見つめた。去年はあまり成功率の高くなかったジャンプだが、今季はそれなりに決まるようになっていた。左足のトウを思い切り叩きつける。綺麗とは言い難い踏切だが、勢いはある。着氷は何も問題がない。俺が今シーズン見てきた中でも一番の出来だった。


 若干十八歳の少年が決めた四回転に、会場が沸いた。


 まだ荒削りだが、出雲のスケートはオノマトペで言うとふわっとしている。氷に触るタッチが軽くスピードがある。あまり男子では見ない個性だ。

 続くトリプルアクセル、三回転ループと三つのジャンプを前半に決めると、哀愁のある曲調が陽気なものに変わる。演出が効いたプログラムだ。顔は笑顔で、足元はケレン味に溢れている。

 サーキュラーステップはその陽気さを描くようにコミカルなものだった。出雲が演じているのは、強制収容所に連れてこられた子供だ。子供の目を通して、父親がどういう人間だったかを滑っている。陽気な父の戯けた顔。戦争の色が濃くなり、母親と父子は別々に引き離される。別れの寂しさ。怯える子供に、言いつけ守ればお母さんに会えるよと父が諭す。子供の手を撫でる優しい手のひら。強制収容所での日々は辛いけれど、父のおかげで楽しいゲームになる。

 びっくりするのは出雲本人の動きである。足元はしっかりと難しいターンを踏んでいても、ちょっとした仕草や目つきが、幼児のようなたどたどしさが残っている。今までの余裕のなさとは違う。


 シーズン通して、ステップの出来は、四回転トウループと同じく今日が一番いい。今までのどの大会でも、こなすのに精一杯で余裕がなかった。余裕がないと、辿々しい子供の仕草やコミカルな動きは空振りに終わってしまう。

 ステップが終わると怒涛のジャンプ五連続が待っている。後半に飛ぶジャンプは、基礎点から一.一倍される。最初のジャンプは……。


「あっ!」


 誰かが悲鳴を上げた。三回転フリップで出雲が転倒したのだ。エッジエラーをもらう癖がジュニア時代にあったが、矯正には成功していたはずだ。それでも苦手意識はぬぐえないものだ。

 立ち上がって演技を続行する。誰かが日本語で、頑張れと叫んだ気がした。

 問題は次のジャンプである。次はトリプルアクセルからの二回転トウにつなげるコンビネーション。のはずが。

 転倒のネガディブなイメージを自ら払拭するためか。出雲が鋭く前向きに飛んだ。三回転半飛んで着氷し……


「三回転!」


 繋げたのは三回転トウループ。

 これには観客が沸き、傍で見ていた俺は鮫肌が立った。瞬時に俺は計算する。トリプルアクセルの基礎点は8.5点。三回転トウループの基礎点は4.1点。加点はどれぐらいもらえる? テイクオフ、空中姿勢、飛距離、高さ、ライディングから三回転につなげる流れの良さ……非の打ち所がない。2点加点が以上もらえるかもしれない。

 ほうけている俺をよそに、出雲は演技を続行していく。単独の三回転サルコウ、三回転ルッツからの三連続コンビネーションとたたみかけるうちに、温かみのある音楽がだんだんと寂しさを帯びていった。

 物語の終盤は父と子の別れが待っている。父親は子供の見えないところでナチスドイツに殺されるのだ。子供は助かり、母親との再会を果たす。

 長く回るフライングシットスピン。体の柔らかさがよくわかるスピンだ。腿にピッタリと額をつけてスムーズに足を変える。

 スピンを解いた後のコレオグラフィックシークエンスは、優しさに満ち溢れていた。戦争が終わり、子供が青年になって大人になる。その時には子供はもうわかっていた。……あの時に戦争があり、迫害されて、父がどんな風に自分を守ってくれていたか。俺を含めた観客が、固唾を飲んでそれを見つめている。


 出雲の滑りに、会場にいる全てが飲み込まれていく。

 最初見たように、まだ荒い部分は多い。だけど俺は、こんな風に滑れる選手だったのかと、ただただ驚いていた。見るもの全ての目を奪い、感情を震わせ、物語を想起させる。


 俺がいるのはジャッジ側。キス&クライのすぐそばだ。その横を出雲が通り過ぎていく。ぞくっとするほど綺麗な顔で滑っていた。

 一番の盛り上がりと一緒に大きな円を描くイーグル。そこから最後のジャンプへと走っていく。スピードが上がりきらない。遠くから見ても顔が青い。頑張れ。もう少しだから。

 シーズン通して、最後のジャンプが一番不安定だった。体力がなくなる最終盤。失敗することが多かった。

 このルッツを降りろと祈っている観客は多いだろう。ジャンプの軌道に入る。右足と左足が一直線になる。そのまま左足のアウトサイドエッジに体重を乗せて飛び上がった。降り切って、そのまま最後のスピンになる。


 実況解説席には堤昌親が座っている。……俺が憧れた人は、一体何を話しているのだろうか。


 姿勢のいいキャメルスピンを見ながら、俺は今までの神原出雲の実績を思い出していた。二〇一一年全日本選手権二位、二〇一〇年全日本選手権五位。二〇一〇年世界ジュニア選手権三位、二〇〇九年世界ジュニア選手権十位。シニアに上がった去年は、身長が一気に伸びたせいもあるのだろう。表彰台には上がれなかった。姿勢が変わる。シットスピン。再び足を変えて立ち上がって今度はキャッチフット。

 最後のコンビネーションスピンをゆっくりと解くと、歓声、並びに観客は立ち上がって拍手を送っている。一つの物語……四分半が終わる。


 その時に思い至った。この曲は、現役時代の長澤真一の、最後のプログラムだったと。世界選手権での最終成績は六位。見ている人間に、温かな抱擁を与えるような演技だった。


 長澤先生が口元を覆っている。抑えきれない塊が、目じりからあふれ出ている。

 長澤先生が父ならば、出雲は子供。長澤先生は、今までどんな思いで出雲を育ててきたのだろう。自分自身の最高のプログラムで、愛する子供に己の全てを超えていってほしかったのだろうか。


 才能はある。それは誰もが認めるところだ。だけど、体の弱さからずっと燻っていた。


 ――鮮やかな緑色の芽が生まれた。

 そんなフリーの演技だった。

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