第六話 野辺山の記憶
俺が出雲に初めて会ったのは、二〇〇六年の熱い盛りの長野だった。
長野で夏休み時期に行われる野辺山合宿は、全国から有望の子供を集めて、オリンピックや世界大会の代表者を育成するという目的で開催される。これは一九九四年に、長野五輪を見据えて「第二の伊藤みどりを見つける」というスローガンのもと始められた。
トリノ五輪に出場した年の夏である。スケート連盟の市川監督が特別コーチにと俺を招いたのだ。
当時から出雲の顔立ちは女の子みたいに整っていた。同時に、体の弱さも際立ってしまっていた。中学一年生にしては体力がなさすぎる。持久力はなく、外で走るとのぼせて倒れ込む。喘息っぽい呼吸を繰り返して、部屋から出てこられない時もあった。聞けば、野辺山合宿は初めてだという。何回も来る子もいるのに、中一で初参加は遅い。
それでも一歩滑ると目が離せなくなった。顔だけ異常にいい体の弱い男の子が、氷の上に立つと剣山の上の花のように輝き始める。三回転ルッツを軽やかに決めて、男子では珍しいドーナツスピンで回る。
野辺山合宿で連盟が惚れ込んだ選手は、ノービスや小学生でも経験を積ませるために国際大会に送り出す。
「才能はある。育てたいのは大いに賛成するが、体が弱いのでリスクが高い。国際大会ではなく、国内で勝ち上がれたら考える」
それが、日本スケート連盟、主にフィギュアスケート強化部長の市川監督が下した出雲の評価だった。
冷静な評価だが、その時の市川監督が出雲を見る目は、他の子とは違った。こんな子がいままでどこに隠れていたのだと言わんばかりに目を輝かせていた。実際に、野辺山に来る前の出雲の大会成績は特筆すべき点がない。市川監督が、今までちゃんと育ててきたのかと当時のコーチを叱責していたのを、柱の陰から見つけてしまった。
「出雲は何を見て滑っているんだ」
食事の際、たまたま隣になった。出雲と一緒に座る神月先生が俺に会釈する。当時は、盛岡の女性コーチが指導をしていた。神月美里という、堤昌親を長野五輪に出場させた名コーチである。
食堂のビュッフェから出雲が持ってくるものは、老人が好みそうなものばっかりだった。女の子が体重を気にしながらエビフライやら唐揚げを選ぶ中、切り干し大根の煮物と焼き魚を選んでいるような子だ。他のものは食べないの? と聞いたら、食欲はそんなにないのでと答えた。
たまに出雲は遠くを見て滑っている。そう感じると思えば、足元に拾ったひかる石を大事にしているような丁寧さもある。必死かもしれないけど、擦り切れるような哀切がある。
「あるひと、かな」
「……あるひと?」
うなずく仕草が可愛らしい。
「とっても綺麗だったけど、そのひとは滑れなくなっちゃって。でも俺が滑ると、そのひとは笑ってくれるから。そのひとに悲しい顔をさせたくなくて、俺も滑っているのかもしれない」
肝心なところをぼかしていった。隣に座る神月先生が顔を伏せている。神月先生にとっては、触れられたくない話題らしい。そんな先生の様子を見ると、出雲に根掘り葉掘り尋ねるのも憚られた。じゃあ頑張らないとね、だからもっと食べないと体力がつかないよと言ってその話は打ち切った。
出雲は、その時語ったそのひとを、今でも大事にしているのだろうか。
……ホテルで彼のショートの演技を見返しながら、そんなことを考えた。
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