第30話 クリスマスイブイブイブ

 ちょっと寄り道をしつつ、菜々子さんの住むマンションに到着したのは午後六時頃。預かっていた合い鍵で部屋に入り、まずは暖房を入れる。気温一桁だったのが、少しずつ暖まっていく。



「菜々子さんの帰ってくる頃には暖まってるだろ。次は……晩ご飯、作るか!」



 菜々子さんに、部屋を訪れる約束はしている。しかし、夕食を作っておくという約束をしたわけではない。それでも、お金を稼がない俺にできることとして、ご飯を作ることにした。


 難しい料理はできない。今夜はシンプルにカレーを作るつもりでいる。大人からすれば些細でちっぽけなことかもしれないけれど、何もしないよりはきっといい。



「……少しでも喜んでくれたらいい。俺にできるのが料理くらいなら、それなりにちゃんと学ぶのもいいかもな……」



 悪くないアイディアかもしれない。菜々子さんにも喜んでもらえるだろうし、俺たちの将来のためにもなる。


 普段は料理などしないので、カレーを作るだけでも手間取った。手際も悪かった。それでも、野菜と肉を切り、市販のルーと一緒に鍋で煮るだけなら、そうそう失敗するわけもない。


 午後七時過ぎにはどうにか形になっていて、俺は一安心した。


 そして、菜々子さんも丁度帰宅。



「ただいまー、って言えるだけでやっぱりいいね。ご飯も作ってくれてありがとう!」



 菜々子さんには、俺が家にいることと、夕食を用意していることは伝えていた。


 帰宅早々に綺麗な笑顔を見せてくれて、俺は非常に嬉しい。



「おかえりなさい。俺にできることはこれくらいなので、余計なことをしてしまいました」


「余計なことなんかじゃないよ。本当に嬉しい。家に帰ったら勝手にご飯が出てくるなんて、それだけで私は感動だよ。ありがとう」



 菜々子さんが俺の元までやってきて、そのままぎゅっと抱きしめてくる。一日働いているのに、良い香りしかしない。俺からも菜々子さんをぎゅっと抱きしめて、思い切り息を吸う。体中が菜々子さんで満たされる気分。



「菜々子さんのためなら、何でもしますよ」


「ありがとう。でも、そんなこと言って、ご飯作っておけば速やかにエッチに持ち込めるぞ、とか思ってなかった?」


「まさかまさか。そんな下心はせいぜい八割くらいです」


「ほとんど下心じゃないの! もう、エロガキなんだから……」


「菜々子さんのことを好きすぎるだけですよ。……たまにしかこうして全力で触れ合えないの、本当に辛いです……」


「私も辛いけど……すごくすごく辛いけど、今は我慢」


「はい」



 無言のまま、一分ほど抱き合う。そのまま抱き合っていたいとも思ったけれど、きゅぅ、と菜々子さんのお腹が鳴ったので、ハグは一旦終了。



「すみません、お腹空いてますよね」


「雰囲気壊しちゃってごめんね?」


「俺もお腹空いてて、どうすればスムーズにハグを切り上げられるか考えてたので、丁度良かったです」


「性欲よりも食欲、ね。響弥君も男の子だねぇ」


「そうですよ。どっちもお盛んなんです」


「開き直っちゃって! ……着替えるから、少し待ってて」


「はい」



 俺から離れた菜々子さんは、居間でスーツを脱ぐ。何度見ても、女性のお着替えシーンは眼福だと思う。水色の下着で要所だけを隠した姿は、裸でいるよりもいやらしい感じがする。



「響弥君、見過ぎ!」


「すみません、俺、男の子なので」


「ま、いいけどね。裸も見せ合った仲で、今更下着で恥ずかしがることもないし」


「では、遠慮なく」


「観覧料は一千万円ね。将来、少しずつ払ってもらうから!」


「了解です。一生かけて払い続けます」


「ん。口約束でも契約は契約だから、ちゃんと守ってね?」


「はい」



 菜々子さんはとりあえずブラウスとチノパンに着替える。


 着替えが終わったら、俺はカレーをお皿によそう。二人分を居間の座卓に置いて、食事を始める。



「美味しい。私のためにありがとう」



 一口食べた菜々子さんが目を細めながら言った。



「どういたしまして。菜々子さんに喜んでもらえたら、作った甲斐があります」


「一緒に暮らし始めたら、毎日ご飯を作ってくれる? すごく美味しくて、響弥君の作るご飯、毎日食べたくなっちゃった」


「俺は菜々子さんの手料理も食べてみたいですが……」


「ちっ。さりげなく面倒ごとを押しつけようと思ったのに……」


「その本音は胸の内に秘めておいてください」



 二人でクスクスと笑い合う。


 カレーは事前に味見もしていたのだけれど、菜々子さんと一緒に食べると、より一層美味しく感じられる。


 毎日、こんな風にご飯を食べられたらいいな……。早くそんな日が来てほしい。


 食事を終えたら、午後八時過ぎ。



「少し早いですけど、菜々子さんには先に渡しておきます。クリスマスのプレゼントです」



 ショルダーバッグから用意していたプレゼントを取り出し、菜々子さんに渡す。


 プレゼント用の袋に入っているので、多少は見栄えもする。



「ありがとう! 開けてもいい?」


「はい。どうぞ」


「……お、可愛いイラストのポストカードと、キーホルダー? へぇ、いいじゃん」



 俺が購入したのは、可愛らしい動物と女の子が描かれた作品。イラストレーターの名前はKiseとなっていて、希望に満ちた明るい絵柄が気に入った。



「気に入ってもらえて良かったです」


「素敵なプレゼントをありがとう。大事にする」



 菜々子さんは俺からのプレゼントを心底大事そうに胸に抱える。こうして喜んでもらえるだけで、全てが報われる気分だ。



「……まぁ、でも、俺が大人になったら、もっといいものを用意します」



 俺がそう言うと、菜々子さんは首を横に振る。



「響弥君が言ってるのは、金銭的にもっと高価なものって意味だよね? 響弥君は高校生だし、私に対して引け目はあると思う。けどね、もらって嬉しいプレゼントって、金銭的な価値の問題じゃないよ」


「それは、そうかもしれませんけど……。綺麗事っていう感じも……」


「まぁ、結局のところ高級品を求めてる女性もいるとは思う。ブランド品とか、宝石とか。

 でもね、私が本当に嬉しいと思えるのは、金銭的に価値が高いものをもらったときじゃない。

 響弥君が私のために色々と考えて、用意してくれたものだから、私は嬉しい。豊かで幸せな人生って、そう思えることだとも思う。だから響弥君、プレゼント、ありがとう」



 綺麗事のような話。


 菜々子さんが本気でそう思ってくれているのなら、俺は一層菜々子さんに惹かれてしまう。



「……俺、そんな風に思ってもらえるプレゼント、これからもたくさん、菜々子さんに贈り続けます」


「うん。期待してる。……せっかくだから、私の用意したものも渡すね」



 菜々子さんが立ち上がり、クローゼットを開け、包装された小箱を取り出す。


 俺の隣に腰掛けて、それを俺に手渡してくれた。



「ちょっと早いけど、メリークリスマス」


「ありがとうございます。開けていいですか?」


「うん」



 赤と緑のラッピングを取り去る。中身は少しばかり高品質そうなワイヤレスイヤホンだった。


 俺は特別に音楽が好きというわけでもないが、品質の良いイヤホンは普通に嬉しい。



「男の子は実用的なものが好きだし、それなら普段使ってても変に思われないでしょ? 自分で買ったって言える範囲で選んでみたよ」


「……ありがとうございます。嬉しいです。たくさん使います」


「良かった。でも、エッチな動画見るときばっかり使わないでよ?」


「あ、それは保証致しかねます」


「バーカ」



 菜々子さんが俺の頭をコツンと叩く。痛くないのに脳髄全部粉砕されるような可愛さだと、俺は思った。


 そして、どちらからともなく、キスをした。


 そこはかとなくカレーの匂いがしたけれど、その生活感もどこか心地良かった。


 ごく当たり前に一緒にいる二人のような感じがして。


 長い長いキスの後、俺たちはその流れでベッドに入った。


 いつもなら先にシャワーを浴びるところだけれど、待ちきれない気持ちが勝ってしまった。


 体感的に久々な菜々子さんとの交わりはとても気持ち良く、溺れてしまったのは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る