第31話 悔しい

「菜々子さんは、明日も仕事ですか?」


「うん。部活の顧問で、五時頃までお仕事。……本当はお仕事じゃないんだけど、お仕事と同じかな」


「……明日、また夜に来ていいですか?」


「いいよ。でも、大丈夫? 椎名さんに色々訊かれない?」


「大丈夫です。ちょっとだけ、当てができました」


「当てができた? どういうこと?」



 ベッドで裸で抱き合いながら、美原さんとのことをざっくりと説明する。


 必要なときには話を合わせてくれるということで、多少は融通が利きそうだと。



「……そっか。相手が女の子だっていうのは気になるけど、協力者がいてくれるのは助かるかな……」


「はい。その方が動きやすくなると思います」


「……響弥君は、美原さんのこと、好きでもなんでもないんだよね?」


「そうですよ。ただの友達です。昔からずっと」


「それならいいかな……。でも、私は平気じゃないってことは、忘れないでね? 本当は響弥君が他の女の子と仲良くするの嫌だけど、仕方なく我慢してるだけ」


「わかってます。菜々子さんのためだけに尽くせなくて、ごめんなさい」


「裏切ったら……わかってるね?」



 菜々子さんが俺の背中に爪を立てる。



「わかってます。菜々子さん、死んじゃうんでしょ?」


「そういうこと。響弥君の人生に消えない傷を作って、死ぬ」


「そんなことはさせません。俺と一緒に、寿命で死ぬまで生きましょう」


「うん……」



 俺にすがるように抱きついてくる菜々子さんが心底愛おしい。でも、今日は一晩中抱き合って過ごすというわけにもいかなくて、ぼちぼち帰宅することに。


 二人とも服を着て、俺が出て行くのを、菜々子さんが玄関先まで見送りにきてくれる。



「……なんか、やることやったらさっさと帰るクソ男みたいになってしまって、すみません」


「今はそれでも我慢する。堂々と付き合えるようになったら、そんなの絶対許さないから」


「はい。わかってます」


「それならよし。それじゃ、もし来られたら、また明日」


「はい」



 別れ際に深いキスをする。唇で触れ合う快感に、頭がぼうっとする。


 長いキスを終えて、額をくっつけながら至近距離で見つめ合う。



「好きです。菜々子さん」


「私も、大好き」



 微笑み合って、俺は菜々子さんから離れる。魂の半分が引きはがされるような痛みを覚えた。



「……では、また」


「うん」



 菜々子さんの部屋を後にする。玄関前から離れるのに、随分と気力を必要とした。



「あー……ずっと一緒にいたい……」



 一緒にいるときはとても幸せなのに。


 少し離れただけで、胸が酷く痛む。


 この苦しみを、まだあと何年も味わい続けないといけないのか。



「……早く大人になりてぇ」



 菜々子さんと、堂々と付き合って問題ない、大人になりたい。


 溜息をつきながら、駅に向かって歩く。


 駅に着いたら、スマホを確認。椎名と美原さんからメッセージが来ていた。



『プレゼント、ちゃんと用意したよね? 夜明ならすごく素敵なプレゼントを用意してくれたんだろうね! とっっっても楽しみにしてる! けど、あたしのプレゼントは期待しないでね。それなりのものを選んだだけだからさ。ところで、今夜も電話してもいい?』



『今日は一緒にショッピングできて楽しかった。ありがとう。彼女さん、喜んでくれるといいね。彼女さんがいるとなかなか他の女の子とは遊べないかもしれないけど、たまに電話くらいはしてほしいかな。彼女ができたからって、私と夜明君の友情を全部なかったことするのは、惜しいと思うから』



 ひとまず、美原さんにささっと返信。



『今日は買い物に付き合ってくれてありがとう。おかげで助かった。また連絡するよ』



 椎名への返信は保留。返信するとすぐに電話がかかってきそうだ。



「椎名、なんでそんなに俺と話したがるかね? そこまで本気でカップルらしいことをする必要はある?」



 あくまで偽装のカップル。もし偽装だとバレても致命的な何かが起きるわけではないのだから、それなりに演じていれば良いようにも思う。椎名はそんな半端なことが嫌いだっただろうか?



「……椎名がもう少し控えめなら、もっと菜々子さんと話す時間ができるのに……」



 溜息は白いもやになって、空気に溶けていく。


 菜々子さんの声を聞きたい……。


 そう思っている間に電車が来て、それに乗り込む。電車の中は暖かくて、冷えた体が温もっていく。


 隣に菜々子さんがいてくれたらいいのに。


 そして、どこか遠くに、二人で行ってしまえたらいいのに。


 誰も俺たちのことを知らない場所で、二人で暮らしていきたい。



「……ガキっぽい妄想だ」



 声にもならない独り言をこぼす。


 まだお子様である俺には、菜々子さんと二人きりで暮らしていく力なんてない。


 駆け落ちのようなことをしても、行き詰まるのはわかりきったこと。


 わかりきったことでも、妄想を実現したいと、願わずにもいられない。


 俺は、本当にまだまだ未熟で、子供だ。


 悔しい。



「……泣きそう」



 泣かないけど。気分的には、とても惨めだ。


 不景気面のまま、俺はドアにもたれつつ、電車に揺られ続ける。


 溜息ばかりつくのも嫌なので、それだけは、我慢した。

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