第16話 高校生

「私の手料理は美味しいかい?」


「この世界の料理の中で一番美味しいと思います」


「大袈裟すぎて胡散臭いぞ?」


「ただの事実ですよ」


「はいはい」


「本当ですから!」



 恋人らしく戯れながら食事をしつつ、俺は椎名とのことを切り出すことにする。



「……ところで、事後報告になってしまうんですけど」



 不意に、菜々子さんの顔から笑顔が消失。座卓を挟んで俺と向かい合って座る菜々子さんは、右手を伸ばして俺の首に触れる。



「……何かな? まさか、他に女ができた、とかじゃないよね?」



 俺の魂を掴むような、底冷えする声だった。


 ぞくぞくして、思わず菜々子さんにキスしたくなった。


 うっとりしつつ、菜々子さんに微笑みかける。



「……違いますよ」


「そう」



 首が解放される。菜々子さんは柔和な微笑みを取り戻す。



「じゃあ、改まって、何の話?」


「……俺、椎名しいなと偽装カップルやることになりました」


「偽装、カップル? それ、付き合ってるフリをするってこと?」


「はい」


「……リアルでそんなことをする男女、初めて聞いた」



 ほうほう、と菜々子さんは愉快そうにしている。たまに危うい菜々子さんだけれど、偽装であれば許容範囲のようだ。



「俺も今まで聞いたことありませんし、自分が当事者になるとも思っていませんでしたよ」


「面白そうだけど、なんでそんなことをするの?」


「友達の宗谷にしょっちゅう言われるんです。いい加減椎名と付き合えって。椎名は椎名で、赤木さんから俺とさっさと付き合えって言われるそうです」


「ふぅん……。確かに、たまに見かけると、二人はすごく仲良さそうだよね」


「仲はいいですよ。異性としての関心はないだけで」


「まぁ、仲がいいのは良いことだね。それで、周りがうるさいから、いっそ付き合っていることにしようってなったのかな?」


「そういうことです」


「なるほどね。まぁ、私としてはちょっと複雑だけど、悪くない話かな。響弥君と椎名さんが付き合ってるって広まれば、多少響弥君が私と仲良くしても、変に疑われることはないはず」


「ですね」


「それに……響弥君には、高校生としての生活もやっぱり楽しんでほしい。私と一緒にいてくれるのは嬉しいけど、高校生同士じゃないと味わえない青春も、たくさんある。私に縛られるのは、響弥君のためにならない」


「……俺は、菜々子さんにずっと縛られていてもいいと思っていますよ」


「ダーメ。響弥君はまだ十六歳なんだから、どんどん世界を広げていくべき。でも、その気持ちは嬉しいよ」


「……はい」



 菜々子さんは軽く溜息をついたが、口元には笑みを浮かべる。



「偽装カップル、私は認めるよ。ただし、わかってると思うけど、本気になっちゃダメだよ?」


「わかってます。そんなことはありえません」


「響弥君に裏切られたら、遺書には響弥君に裏切られたので死にますって書くからね?」


「ええ、どうぞ」


「ネット上にも、実名と写真込みで全部書き残して、晒すからね?」


「どうぞ、ご自由に」


「ん。その覚悟があれば良し」



 たまに出る菜々子さんの病んだ感じ、いいよなぁ……。


 かといって、変に菜々子さんを不安にさせたいわけでもないから、裏切りをほのめかすなんてこともできない。


 俺は誠実な男なのである。


 食事が終わったら、順にシャワーを浴びた。


 それからは心行くまで男女を営んで、菜々子さんとベッドでしばし抱き合う。


 時刻は十一時過ぎ。


 なお、今日は友達の家に泊まる、と両親には連絡済み。すんなりと了承された。



「……菜々子さんって、学校で見る姿では想像できないくらい、やらしい人ですよね」


「……響弥君、その発言はデリカシーに欠けるよ?」


「あ、すみません……」


「私はもうそれなりに大人だし、自分の性欲を受け入れてる。けど、女の子に向かって、君って意外とエッチだよね、とか言うの、良くないよ。色々と寛容になったご時世でも、やらしい女の子って思われると恥ずかしい、って考える子は多いんだから」


「……そうですね。思い至らず、すみません」


「まだまだ子供だなー」


「……はい。本当に、子供です」


「落ち込まないで。それがわかったうえで私は響弥君と付き合ってるし、そんな響弥君が好きだよ」


「……はい」


「少しずつ、成長してくれればいいよ」


「……俺は、早く菜々子さんと肩を並べたいです」


「焦らないでいい。私とずっと一緒にいてくれるんでしょ? あと十年もしたら、もう自然に肩を並べられてるよ」


「……そうでしょうか」


「あ、でも十年経っても響弥君はまだ二十六か。若いなぁ……。ま、十五年後くらいには、年の差なんて関係なくなるよ。その後の六十年、七十年は、肩を並べて歩いていける。それでいいよ」


「……そうかもしれませんね」



 俺としては、もっと早く菜々子さんに追いつきたいと思ってしまう。


 菜々子さんを本当に支えられる、立派な大人になりたい。



「あとさ、響弥君」


「……なんでしょうか」


「私、いざとなったら教師辞める。私が教師辞めれば万事解決ってわけじゃないけど、教師であるよりは、問題も少ないはず。色々誤魔化しも利く」


「……いいんですか? 菜々子さん、教師になりたかったんじゃないんですか?」


「あくまで選択肢の一つだよ」


「教師を辞めて、何をするんですか?」


「正直、まだ模索中。教師の転職は大変みたいだし、どうなることやら、だよ」


「……いざとなったら、俺が菜々子さんを支えます」


「ありがと。頼りにしてる」



 でも、俺が社会人になるのは、六年以上先の話になるだろう。


 もっと早く、菜々子さんを安心させてあげられたらいいのに。


 自分の若さが恨めしい。



「俺、今からでもバイトとか始めます」


「うちの学校、バイトできるのは特別な事情がある人だけだよ」


「……見逃してくれません?」


「ダメ」


「……そうですか」


「響弥君は、高校生活を目一杯楽しんで。早く大人になろうとしなくていいから」


「……はい」


「今は気づけないかもしれないけど、高校生活は、人生の中で本当に貴重なものなんだから」


「……はい」


「……ちょっと教師モードになっちゃたね。ごめん」


「構いません。教師としての一面もある菜々子さんを、俺は好きになったんですから」


「それ、教師コスしてる私とシたいってこと?」


「つまりはそういうことです」



 いや、違うけどね。



「仕方ないなぁ。今度着替えなしでさせてあげるから、今夜は我慢ね」


「ありがとうございます。最高です」



 クスクスと笑い合う。


 二人の呼吸、二人の体温、二人の鼓動が、心底愛おしい。



「……菜々子さん、一生俺と一緒にいてください」


「うん。いいよ」



 もうしばらく菜々子さんとイチャついて、いつしか二人とも眠りについていた。


 薄氷の上を歩くような危うい状態だとはわかっていたけれど、今確かにある幸せを噛みしめていた。

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