第11話 電話

『私がお仕事を頑張っている間に、響弥君は他の女の子とイチャイチャしてたんだねぇ……。ふぅん……』



 帰宅後、夜九時過ぎ。自室にて。


 ようやく時雨先生……菜々子さんと電話が繋がったのだが、予想通りに若干不機嫌だった。



「その、菜々子さんには申し訳ないと思ったんですが、椎名の誘いを断るのも不自然な感じだったんで、仕方なく……」



 焦りながら言って、相手に見えもしないのに頭を下げる。


 俺の動きに合わせて、デスクチェアがキィっと鳴いた。



『……何もやましいことしてない?』


「してません」


『間接キスも、あーん、もしてない?』


「してません」


『ボディタッチもない?』


「ありません」


『……じゃあ、いい。許す』


「……ありがとうございます」



 ほっと一息。



『全く何も思わないわけじゃないけど、響弥君には響弥君の人間関係も付き合いもあるからね。こういうことがあるのは仕方ないよ』


「……はい」


『私だって、男性と二人きりで何かをすることだってあると思う。明らかに男女関係絡みの誘いだったら断るけど、仕事の打ち合わせとかだったら、私も断れない。それは、許してね』


「それはもちろんです」


『良かった。理解してくれてありがとう。でも、ごめんね。我慢させちゃって』


「それは、俺の方こそ、ですよ」


『まぁ、ね。正直言うと、椎名さんと二人きりで過ごすのは、今日だけにしてほしいとは思っちゃう』


「あー、それは……」


『ん? 何かあった?』


「実はですね……」



 椎名からの誘いで、アバター配信をさせられそうだという話を菜々子さんに伝える。菜々子さんは妙に感心して、乗り気な声を明るい出す。



『面白そうだね。安全面は十分注意が必要だけど、そういう挑戦はいいことだと思う。学校の勉強みたいに言われたことをやるんじゃなくて、自分で色々考えて活動するのは響弥君にとってもプラスだよ』


「そうですか? ただ、その関係で椎名とは交流する機会も増えそうで……」


『……それは正直、嫌。だけど、響弥君は同年代と交流するべきだとも思う。高校生っていう貴重な時間を、変な縛りの中で過ごしてほしくない』


「……我慢させてしまて、すみません」


『気にしないで。恋愛なんて、お互いに我慢することばっかりだもん』


「……そうですか」



 俺は恋愛初心者だけど、菜々子さんの言葉はなんとなくわかった。



『響弥君にはのびのび過ごしてほしい。けど、浮気を許してるわけじゃないからね?』


「それはもちろんわかってます」


『椎名さんとはただの友達ってことで、いいんだよね?』


「はい。ただの友達です」


『……なら、よし。ただ、忘れないでね。響弥君に裏切られたら、私、たぶん死ぬから。響弥君に裏切られたから死にますって、遺書も残すから』


「……はい」



 単なる脅しとかではなく、菜々子さんは本当に遺書を残して死にかねない。


 心に余裕があるときは人格者だが、不安定になると何をしでかすかわからない。高校生に手を出してしまうくらいには、自分を見失う。


 狂気を秘めた菜々子さんを……俺はやっぱり、愛おしく感じてしまう。


 俺、どうかしてるよ。



「まだ高校生の身分で言っても重みはないかもしれませんが……俺、菜々子さんとは将来結婚して、一生一緒にいるつもりです。絶対に裏切りません」



 高校生なりのプロポーズ。電話越しで言うことではないと思ったが、言ってしまった言葉はもう戻せない。


 菜々子さんからの返事は、すぐには返ってこなかった。


 一分ほどの沈黙の後。



『本当に結婚しようね? 約束だよ?』


「はい」


『それなら、私は……』



 私は、なんだろう? 菜々子さんの言葉は続かなかった。



「なんですか?」


『ううん、なんでもない。響弥君、好きだよ』


「俺も、菜々子さんが好きです」


『嬉しい。大好き』



 菜々子さんの囁きがとても甘くて、脳髄が溶けるかと思った。



『響弥君、日曜日は空いてる?』


「……あ、はい」


「一緒に旅行しようか? 知り合いはまずいない、遠くまで。日帰りできる範囲で、になるけどさ」


「行きます。あ、ただ、お金は……」


『私が出すよ。将来、働き始めたら返して』


「……わかりました」


『あ、配信始めるなら、それで稼ぐこともできるのかな?』


「いや、それは期待しない方がいいみたいです。稼げるのは一部のトップ層だけだって」


『そっか。ま、そんなもんだよね。とにかく、響弥君はお金の心配しなくていいよ』


「わかりました……。男としては情けないですけど、今は仕方ないです」


『焦らなくていいよ。響弥君は、人並みのペースで成長すれば十分だから』


「……はい」



 菜々子さんとの電話は長くなった。椎名のことを改めて根ほり葉ほり訊かれた他、俺のことも、菜々子さんのことも、たくさん話した。


 俺が一人っ子なこと、菜々子さんには姉がいること、二人とも両親は健在であること。そんな初歩的なことを話すのも、何故か楽しかった。


 午後十時半過ぎ、菜々子さんとの通話が終わった。



「……電話じゃなくて、直接会って話したかったな」



 無理だとわかっているからこそ、余計にそう思ってしまう。


 スマホを置こうとしたが、その前に、椎名からメッセージが届いているのに気づいた。



『やっぱり電話しちゃダメ?』



 受信時刻は午後九時半になっている。



「……なんで俺と電話したがるかね? 寂しがりか?」



 少し迷い、返信。



『五分でいい?』



 返事はすぐだった。



『ちっ』



 それだけなのだけれど。



「舌打ちすんなよ……。乙女の嗜みがなってないぞ」



 ぼやいているうちに、椎名から電話がかかってきた。


 応答してやる。



『ちっ!』


「おい。舌打ちから始まる通話なんて生まれて初めてだよ」


『あたしも初めてだわ』


「マナーが悪いぞ。親の顔が見てみたいもんだ」


『うち来る? 親に会わせてあげよっか?』


「……気まずいから遠慮しとく」


『情けない奴』


「悪いね。ただの高校生なもんで。それで、何か用件でも?」


『……用件がないと電話しちゃいけないの?』


「……さぁ。椎名って、もしかして意外と寂しがり屋か?」


『……かもね』


「まぁいい。用件がないならまた明日ー」


『切ろうとすんな! バカ!』


「じゃあ、何の話をするわけ?」


『それはもちろん……えっと……夜明と時雨先生をくっつける為の作戦会議でしょ!』


「余計なお世話だ。時雨先生を破滅させたいのか?」


『違う。夜明が時雨先生に告白して、玉砕するところを見たいの』


「そのねじくれた性格、今すぐどうにか矯正しろ」


『もう手遅れだから』



 ケラケラと笑う声。これはこれで、心地良い。



『っていうか、返信遅かったじゃん。何してたの?』


「……マンガとか読んでたよ。スマホは放置してたから、連絡来てるの気づかなかったんだ」


『ふぅん……。あたしから連絡が来るの、嫌だったわけじゃない?』


「なんだ、その弱気発言。中身誰かと入れ替わってない?」


『入れ替わってねぇよ! バカ!』


「叫ぶな。もう遅い時間なんだから」


『ふん。どうせ、読んでたのはエッチなマンガでしょ!』


「それは指摘しないのが男子への思いやりだ」


『……本当にそういうのだったわけ? バカ』


「はいはい。バカで悪かったね」



 椎名との特に中身のないやり取りが続く。


 こいつはなんで電話してきたんだ? と疑問に思いながらも、楽しくないわけではなかったので、会話を続けた。


 二十分ほどで終わりにしたのだが、椎名は名残惜しそうだったかもしれない。



「……なんだったのやら。まぁ、いいや。そろそろ寝よう……」



 スマホを机に置いて立ち上がる。軽く体を解して、就寝準備を始める。



「……椎名と仲良くなるのはいいとして、菜々子さんとのことは、秘密にしないとな……」



 隠し通せるだろうか? いや、隠し通さなければいけない。


 大変だが、やり通す。


 俺と菜々子さんの未来のために。

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