第10話 早く
椎名との話し合いを終えたのは、午後六時過ぎ。もう空は真っ暗で、気温もかなり下がっている。
時刻的にはまださほど遅くはないとはいえ、外は暗いので、俺は椎名を家まで送り届けた。椎名の家は俺の家から徒歩で三十分くらいの距離にあり、自転車でも使えば気軽に行き来できるような場所だった。
自宅の二階建て一軒家前にて、椎名が俺に向かって言う。
「送ってくれてありがと! 今日は長々と付き合わせちゃってごめん! けど、夜明と一緒に活動するの、あたし、すごく楽しみ!」
「……あんまり期待するな。俺は別におしゃべり上手でもなんでもないんだから」
「そうでもないよ? あたしは夜明と話してると楽しい。一人で一方的にしゃべる力がなかったとしても、会話が盛り上がればそれでいいんだよ」
「……俺と話してて盛り上がるの、椎名くらいじゃないかと思うぞ?」
「よく知らない相手との会話を盛り上げるスキルも、今は求められてない。あたしとの会話が盛り上がればいいんだよ」
「そんなもんか」
「うん。そんなもん」
何がそんなに楽しいのか、椎名はいつになくニコニコ顔。
そういうのは恋人にでも見せてやれよ、と思わないでもない。
俺は時雨先生を好きだけど、女子に笑顔を向けられて何も思わないほど鋼の精神をしているわけではない。少し気まずくて、視線を逸らす。
そろそろ話を打ち切ろう……と思ったが、その前に、一つだけ尋ねる。
「……なぁ、椎名って、どうして配信なんて始めたんだ?」
「それ、今訊くの? ……特別な理由があるわけじゃないよ。何者かになりたい、なんていう、子供らしい理由」
「……なるほど」
「学校の勉強がどうとか、部活がどうとかじゃなくて……学校の外の世界で、自分の価値とか、自分に何ができるのかとか、知りたかった。夜明はそういうの、ない?」
「……あるよ。もちろん」
時雨先生と付き合い始めてから、ずっとそんなことを考えている。
相手は社会人で、俺の知らない世界をたくさん知っている。時雨先生と少しでも肩を並べたいなら、俺は学校の勉強に励んでいるだけではダメだと思う。
「自分探し的なのと、なんか楽しそう、っていう好奇心で、あたしは配信始めてみたんだ。何万人に見てもらえる人気者になんてなれてないけど、それはいい。一人でも、二人でも、あたしの声を聞いて、楽しんでくれる人がいれば、あたしは満足」
「……そう言っていた彼女は、後に百万人登録者を誇る大人気ライバーになるのであった」
「勝手にハードル高過ぎなモノローグいれんな! それは無理!」
「目標は高く持たないと」
「ほぉー? じゃあ、夜明は百万人に見てもらうことを目標にするわけね?」
「いや、俺は別にそんな……。そもそも、俺は椎名に付き合って始めるだけで……」
「……百万は非現実的すぎるとして、まずは一万人だね。頑張れ!」
「……それも無理だっての。つーか、俺はもう帰るよ。またな」
「あ、ねぇ、夜、電話していい?」
「……え、まだ話すのか?」
「ちっ。なにその言い草! もういい! バイバイ! また明日!」
椎名がプリプリしながら家に入る。その姿が見えなくなるまで見送ったが、振り返ることはなかった。
「……怒らせちゃったか? でも、恋人同士じゃあるまいし、これくらい普通の反応だろ?」
時雨先生と電話する予定がなければ、きっと椎名との電話にも応じていたのだろう。
申し訳ない気持ちはありつつも、時雨先生の方が優先だ。
「……早く電話したいな」
スマホを取り出し、メッセージアプリを起動。時雨先生はまだ俺のメッセージを確認していないらしい。仕事中だから仕方ない。
「……一緒に過ごせるのは土日だけ。いや、土曜日も仕事してることがあるって言ってたな……。一緒に過ごせる時間、少ないなぁ……」
学生と社会人。生活のリズムが全く違うのは当然のこと。
でも、俺が社会人だったら、平日でも時雨先生の家に行って、一緒に過ごす時間を作れた。それができないことが悔しい。
「……簡単じゃないな、この恋愛。早く大人になりてぇ……」
溜息をつきながら、自宅に向かって歩き始める。
冷えた空気は余計に体から温度を奪っていくようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます