第5話 時雨菜々子

 * * *


 一人きりになった部屋で、菜々子はベッドに仰向けになって脱力する。



「……私、なんてことを……。十六歳に手を出すなんて、ありえない……」



 昔から何かに依存しがちな性格だというのはわかっていた。


 親、友達、恋人、アイドル、二次元キャラ……。色々なものに依存して、どうにか人としての体裁を保ってきた。


 その性格をどうにかしようと思っていたこともある。しかし、依存していないとより不安定になり、人として本当にしてはいけないことをしてしまいそうだったので、無理矢理自分を矯正するのは諦めた。


 依存するといっても、軽く支えとなるものがあれば良いのだ。この人のために頑張ろうとか、何かあったらこの人に支えてもらうとか。


 依存しすぎて他人を壊すようなことはなかった……はず。自分の暗い衝動はどうにか抑え込めていた……はず。



「……あいつが突然別れ話なんてしてこなければ、こんなことにはならなかったのに……」



 元カレとは、良い関係を築けていたはずだった。大学生の頃から二年以上の付き合いで、数年のうちに結婚しようという話もしていた。


 菜々子としては、相手が負担に思うほどの依存はしていなかった。何か決定的に関係を壊す行いは、していなかったはず。


 それなのに、関係はあっさりと壊れてしまった。


 原因があるとすれば……。



「私が教師になったこと、かなぁ……」



 教師の仕事は忙しい。平日は朝早くから登校し、夜七時過ぎまで拘束される。土曜日にも部活動の顧問としての仕事がある。


 まともに休める日は少ないうえ、休みの日にも色々な準備のためにゆっくり遊ぶ時間を取れなかった。


 特に、教師なりたての頃は効率も悪く、余計に自由な時間がなかった。


 会いたいと思っても会えない時間が続いた。できるのはせいぜい電話くらい。そのせいで、いつしか元カレの心が菜々子から離れていた。


 元カレも一般企業に就職したばかりで大変だったようだが、そんなとき、菜々子は元カレを上手く支えてあげることもできなかった。


 年齢的には大人でも、お互いにまだまだ未熟。噛み合わなくなった二人の関係を修復することはできなかった。


 元カレは別の女性に惹かれるようになり、菜々子と元カレの関係は終わった。


 誰よりも近しかった二人は、もう二度と交わることはないのだろう。



「教師にならなければ、なんて考えてももう遅いよね……。教師になったことを後悔してるわけでもない……」



 教師の仕事は忙しい。でも、子供たちの成長を手助けする仕事には、やりがいも満ちている。


 子供たちと向き合い、必死になっていると、全力で生きている実感が湧く。


 できることは実のところちっぽけであっても、どこかで一人、二人の生徒にとって、重要な役割を果たせるときがあれば嬉しい。


 かつて、自分がそうだったように。



『人間は誰しも、自分では変えられないどうしようもない部分を持っているものだよ。

 それは、他人に言えば、自分を変える努力が足りないとか、甘えているだとか批判されることなのかもしれない。

 でも、やっぱり自分ではどうしようもないんだ。

 それを受け入れて、上手く付き合っていくしかない。そういうことは、珍しくない』



 先生に言われた言葉が、支えになっている。


 変えられない自分の欠点に悩むより、それを受け入れていけば良いと教えてもらえたことは、今でも大切な思い出の一つ。



「私は教師になりたいと思った。その心は否定したくない。だから……元カレとは、終わるべくして終わった……。私は、教師として生きていく。……少なくとも、今は。教師に執着するつもりはないけどね」



 あくまで一つの職業として教師を捉えている冷静な部分もある。


 理想を追い求めても、実際の現場とのギャップに苦しむだけ。子供たちの成長を手助けできるなどというのも、だいたいは教師の側の自己満足。


 学生時代に嫌いだった教師のようにはならない、優しくて楽しい教師になろうと思っても、下手すると生徒に舐められるだけ。


 真面目に取り組みすぎない、ほどほどに気楽に構える、あくまで仕事と割り切る、教師を辞めて他の道を行くこともありうる。


 そういう姿勢も大事だと、菜々子は理解している。



「元カレのことはもういい。今考えるべきは、響弥君のこと……」



 先生と生徒は恋愛してはいけない。そんなのは常識。


 一昔前なら、まぁそんなこともあるよねと軽く受け止められていたかもしれない。


 しかし、現代では厳しい目で見られてしまう。菜々子は教師を続けられないし、罰せられる可能性もある。響弥にも悪い影響が出る可能性は高い。



「本当なら別れないといけない……。でも、そんなのもう無理だよ……」



 菜々子がみっともない自分を晒して、響弥はそれを受け止めた。


 まだ子供ながら、力強さも、頼もしさもある。


 肌を重ねた時間も、心地良かった。


 ぽっかり空いてしまった心の透き間が、響弥で埋まってしまった。



「……好き。もう、好き。響弥君がいなくなるなんて無理……っ」



 大人として間違った道を歩んでいる自覚はある。


 今ならまだ、お互いに正しい道を歩めるのかもしれない。


 そうしないといけない。


 二人とも別々の道を行って、それぞれの幸せを……。



「……ダメだ。やっぱり無理。響弥君、側にいて……っ」



 菜々子はベッドの上で丸くなり、静かに涙を流す。



「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」



 誰に謝っているのか、自分でもよくわからない。


 色々な罪悪感を誤魔化すために、菜々子はしばらく謝罪の言葉を呟き続けた。

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