若き法務官


「すいません、よろしいですか?法務官事務所のものです」


 警備兵と少女の間に割り込むと、警備兵の表情が少し和らいだように見えた。


 長い銀髪に透き通った青色の目、整った顔立ちと小柄な体型。間違いなく美少女と呼べるような容姿ではあったが、そんな少女が帝国軍の――些かサイズがあっていない――軍服を身に纏っているのはどこかちぐはぐな印象も受ける。


 警備兵から『後はよろしくお願いします』という言葉を授かり、改めてユリウスは少女に向き直った。


「あなたは?」

「先日付でオイベルツ連隊区法務官付補佐官となったユリウス・ベルング・ランツ陸軍軍曹です」

「あぁ、あなたが補佐官ですか。私はオイベルツ連隊区法務官を拝命した、レーネ・アマーリア・ライヒェンベルガー陸軍法務少尉です。今日からよろしくお願いしますね、ランツ軍曹」


 柔らかい笑顔とともに右手を差し出してくる少女に対し、ユリウスは激しい動揺を必死に押し殺しながらその手を握り返した。


(法務官が、この少女?)


 あまりにも予想外過ぎる出来事に、ユリウスの頭は半ば混乱を起こしかけていた。軍法務官は、本来士官学校卒業もしくはそれと同等と陸軍教育総監が認める軍事的知見を有する高等教育学校卒業者であることを要件とする士官登用の例外として置かれた官である。


 法務省が実施する検察官及び裁判官、弁護官登用試験としての『帝国法務官吏試験』、通称法務試験を突破した者がその登用対象であり、一定期間の軍内部での研修の後に法務少尉の階級を以て任官する。


 極めて難関であるとして知られる法務試験を突破する必要があり、また軍が実施する法務官採用試験自体の難易度も高いことから、軍法務官の平均年齢は凡そ40歳と一般的な士官よりも高くなっているのが実情である。


 しかしながら、目の前の少女はどう見ても10代後半にしか見えなかった。まだ幼さの残る顔つきも相まって、本当にこの少女が法務官なのかと疑いの目を一瞬向けるのも致し方なかった。そんなユリウスの考えを読み取ったのか、小さくため息を吐いてから、少女――レーネはコートのポケットから身分証を取り出し、彼の方にグイっと突き出した。


「どうぞ。疑われることには慣れていますので、いくらでも確認していただければ」

「……では、失礼して」


 ユリウスはレーネから身分証を受け取り、身分証に記された内容を目で追う。貼られた写真、名前、階級、所属、そして証明印として押される陸軍教育総監の印。何もかもが彼女が帝国陸軍の軍人であること、そして法務資格を有しており正真正銘の法務官であることを物語っていた。


 しかし、何よりもユリウスの視線を釘付けにしたのは、その身分証の年齢欄であった。


『誕生日:帝暦1705年3月14日』


 今は帝暦1720年12月21日。つまり――彼女は、まだ15歳ということになる。現在、帝国での成人年齢は17歳とされており、15歳は成人ですらない。士官学校の入校条件ですら15歳以上なので、恐らく彼女は帝国軍内で最も若い士官であろう。


「……満足しましたか?あまりじろじろ見られるのは好きではないので、早く事務所に案内していただきたいのですが」


 若干の苛立ちがこもった言葉に周りを見渡すと、レーネの存在を物珍しく思ったのか、何人かの人間がこちらに視線を向けてひそひそと話をしている様子が目に入る。


「失礼しました。すぐに案内いたします。こちらへ」


 短く返して、ユリウスは3階までレーネを案内する。たった1日前に来たばかりの場所に他人を案内するというのは何とも不思議な感覚であったが、正直彼の内心はそれどころではなかった。


 法務官事務所に入り、部屋の主を導き入れる。レーネが荷物を整理するのを手伝い、それが終わり彼女が執務机の前に座ると、ユリウスはそこで漸く一息ついた。


「手伝っていただきありがとうございます」

「いえ、これも補佐官の仕事ですから。……少尉殿、紅茶はお好きでしょうか?」

「えぇ。多少は嗜んでおりますが」

「では、紅茶を淹れてきます。少々お待ち下さい」


 そう言ってユリウスは給湯室に向かい、2人分の紅茶を淹れて戻ってくると、レーネは机の上に置かれていた引き継ぎ書類の束に目を通している最中だった。


「どうぞ、お口に合えば良いのですが」

「ありがとうございます。いただきます」


 ユリウスの淹れた紅茶をレーネは口に運ぶと、僅かにその頬を緩ませたように見えた。


しばらく紅茶を堪能したのち、彼女は「さて」と呟くと、カップを机の上に置き、来客用のソファに腰掛けているユリウスの方をじっと見据える。


 その射貫くような視線に、思わずユリウスは背筋を伸ばした。


「既に準備はしていただいているようですし、早速仕事に取り掛かりたいところではありますが。その前に、一緒に働く身としては、あなたの諸々の疑問に答えておくのが上官としての務めというものでしょう」

「……よろしいので?」

「『あなたがなぜここに来たのかとても気になっています』とでも言わんばかりの表情を顔に貼っつけたままの部下と一緒に仕事をするのは些か骨が折れるので」


 あけすけと物を言う彼女に、ユリウスは呆気にとられてしまった。しかし、相手がいいと言うなら聞かない他に選択肢はない。


「……では、失礼して。あなたはまだ、15歳ですよね?なのに、なぜ軍の法務官に?」

「まぁ、最初はそうでしょうね。では逆に質問させていただきます。どの法律に『15歳の人間は法務官になれない』と書いているのでしょうか?」

「それは……」


 そう問われ、ユリウスは言葉に詰まる。一般軍人については軍法において明確に年齢制限が設けられており、それは兵卒も将校も変わりはない。


 だが、法務官は『帝国陸海空軍に置く特別の役職官』として、その身分や俸給に関する事項は一般軍法の埒外扱いとなる。


 そう考えれば、15歳の法務官が存在することも、確かに法律上は可能ともいえる。しかし……


「……法務試験を、その年で?」

「はい。その通りです。法務試験には年齢制限がありませんので。さえあれば面倒臭い前提試験も受けなくてもいいですしね」


 レーネの言い放った一言に、ユリウスは文字通り凍りついた。


「2年前にラスティナ法科大学の速習課程を卒業して、その後すぐに法務試験を受けました。合格後はすぐに陸軍に法務官として入隊を希望する旨を告げ、1年間の特別職士官候補生課程を経て今日、このオイベルツへとやってきたわけです」


 にべもなく続けるレーネに対して、ユリウスはただただ唖然とするばかりだった。超難関と言われる法務試験を突破したのみならず、彼女の言を信じれば――弱冠13歳で法科大学を卒業したというのだ。


 そこで彼は、少し前に『飛び入学で法科大学に入学し、僅か2年で卒業した秀才!』というタイトルの新聞特集を見た記憶を呼び覚ました。末は弁護官か検察官として大いに大成するだろうという論調の最中、年齢要件がある以上卒業後すぐの任官は難しい、大学に残り法学研究に身を捧げるのではという意見があったことを覚えている。


 しかし、まさか年齢要件がないという法の抜け穴を突いて軍法務官になるとは、一体誰が予想しただろうか。


 あまりにも行く先々で疑われるものだから常に鞄に入れているという学士号授与証を見せてもらったユリウスから執務室に座る少女に対する疑念は取り払われ――その代わりに彼が抱いたのは、言語として形容するにはあまりに複雑な感情であった。


「……もう一つ質問してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ。書類を拝見したところ急ぎの案件もなさそうなので」

「何故法務官に?少尉殿ほどの才があれば、あらゆる法務関係者から引く手数多であったことは、小官にも容易に想像できます」

「単純な話ですよ。一刻も早く実務経験を積みたかったから、です。恐らくはあなたもご存知のように他の法務官吏は法において明確に年齢要件が定められています。それがない軍法務官ならば、私のような若輩者でも実務経験を積むことが出来ます」


 半ば予想できていた回答を返すレーネに、ユリウスは若干の違和感を抱いた。根拠はないが、取って付けた回答であるような、そんな気がしたのだ。しかし、それを彼女に追求するような言葉をユリウスは持ち合わせていなかったし、そんな勇気もとてもなかった。


 そんなやり取りをしている間にも、レーネは淡々と書類に目を通していた。黙りこくるユリウスにちらりと視線をやり、彼女は口を開く。


「質問は以上ですか?」

「……はい。お答えいただきありがとうございました、少尉殿」

「先にも言ったように、これは私が負った責任です。むしろたった2つの質問だけで終わらせてしまってもいいのですか、とすら思うくらいですよ」

「いえ、あまりいい質問が思い浮かばなかったもので」

「そうですか。業務が忙しくなければ、という前提を付けた上でですが、何か聞きたいことがあれば適宜聞きに来ていただければ、お答えできる範囲で回答いたしますよ」


 ペンを走らせながら、事務的な口調でレーネは話す。ありがとうございますとユリウスが返すと、返答の代わりにやってきたのはファイルの束であった。


 唖然とするユリウスに、レーネは恐怖を喚起する類の笑顔を向けてきた。


「質問がないなら、すぐに仕事に取り掛かりましょう。よろしくお願いしますよ、ランツ補佐官」

「……承知しました」


 ユリウスは引き攣った顔のまま、仕事に取り掛かるのであった。

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