49.優柔不断はやっぱり狡い

 事件より丸五日経った。ノエルはまだ療養を言い渡されていた。

 自覚症状としては、それほど酷くないのだが、魔力の戻りが悪いらしい。

 一度呪いを受けたせいではないかとのことで、追加療養となった。


(この機会に魔導書がいっぱい読めて嬉しいなぁ)

 

 何せやることがない。だから、今まで読めなかった本まで持ち込んで読んでいる。

 あまり部屋から出ると叱られる、というか、図書室に行くと帰って来ないので、行くのを禁止された。

 今はロキが毎日本を借りて届けてくれる。


 ノックの音がして、部屋の扉が開いた。


「ノエル、今日の調子は、どう? 少しは動けるようになった? あとこれ、頼まれてた本」


 文庫本を五冊手渡され、万歳した。


「やったぁ! ありがとう、ロキ。ちょうど読み終わって続きが気になっていたんだぁ」


 いわゆる大衆小説のシリーズものだ。気楽に読めるし面白いのでハマっている。

 魔導書の合間に、休憩代わりに読んでいる。


「え? 昨日の分、もう読み終わったの?」


 驚くというより呆れるロキに、普通に頷く。


「だって、一日中やることないんだよ。自分としては元気だしさ。ずっと寝ているわけにもいかないしさぁ」


 ロキが苦笑しながら手を出す。


「じゃぁ、それ返して、明日また借りてくるよ」

「ありがとう。でも、本当にいいの? 毎日来てもらうの、さすがに申し訳ないよ」

「いいの。俺がノエルに会いたくて来てるんだから。口実があったほうが来やすいでしょ」

「それ、自分で言う?」


 ロキが笑いながら、籠と須恵器の水筒をテーブルに置く。

 ノエルのベッドに並んで腰を下ろした。


「サンドウィッチと果実水持って来たから、お昼にしようよ。ちなみにランチも口実だよ」

「そういわれると、食べづらいな」

「いいから食べよ」


 ロキの屈託のない笑顔に釣られる。


 今、ノエルが療養している部屋は、学院にある治癒魔法室だ。高密度の治癒魔法が施されており、主に魔力の回復に使用される。寝ているだけで魔力が回復する。 

 普段は六人同時に使用する大部屋だが、ノエルの消耗が激しいため、一人で広い部屋を独占していた。


「ロキは、もう大丈夫? 怪我も酷かったって聞いたよ」


 腹に突き刺さった氷の矢は、貫通していた。他にも全身の凍傷と、左足の骨にヒビが入っていたらしい。何より、覚えたての雷魔法を使い過ぎて魔力切れギリギリだったという。


「もう回復しているけど、ここに来るのは俺にとっても療養になるんだよ」


 目の前でサンドウィッチを食むロキは、一見して元気そうではある。

 しかし、雷魔法を強要した手前、申し訳なさもある。


「本当にちゃんと戻ってる? あれからまた無理して雷魔法練習してない? なんなら、ここで一緒に療養する?」


 ロキが口に含んだ果実水を吹き出した。


「ノエル、それって、俺と一緒に寝てもいいってこと? 普通、男女は部屋を分けるものだと思うけど」

「あ……、ごめん。そういう意味ではない。今のは、私が悪かったと思う」


 ロキを心配しただけだったのだが、失言だった。

 ノエルの顔を覗き込んで、ロキが悪戯っ子のように笑う。


「俺は、ノエルとなら一緒がいいけどね。ベッドもこんなにたくさん要らない。二人で一緒に寝ればいいよね」


 付け入る隙を与えてしまった自分の発言に後悔する。あの告白以来、ロキは無害な弟キャラではなくなった。ノエルとしては、ちょっと接しづらい。


「それはダメ、絶対」

 

 チビチビと果実水を飲みながら目を逸らす。

 ユリウスと丸一日一緒に寝ていた事実を思い出して、耳の先が熱い。


「他の皆は、今、どうしているの? アイザック様とマリアは、目が覚めた?」


 魔力を消耗し過ぎたアイザックとマリアには、すぐに治癒魔法が施された。だが、未だに目覚めない。


「リアムとレイリーは元気だよ。アイザックとマリアは学院の集中治療室では手に負えないって、城内にある治療院に移ったよ」

「そうなんだ」


 治療院は、国内最高峰の総合病院みたいなものだ。

 アイザックは王族だ。身柄を移して然るべきだが、しかし、マリアは。

 アイザックを救った英雄として、同等の扱いをしてくれているのならいいが、取り返しがつかないほどの重症だったとしたら。


(マリアに中和術を強いたのは、正しかったんだろうか)


 すでにシナリオからズレた世界なのに、シナリオと同じ展開を強要したから、本当ならしないはずの重傷を負ってしまった可能性もある。


 俯いたノエルの頭を、ロキがポンポンと叩く。

 顔を上げると、口にリンゴを放り込まれた。


「大丈夫、きっと元気になって帰ってくるよ。今のノエルは自分のことを考えたほうが良いよ。魔力の回復がいつもよりずっと遅いって、ユリウス先生も零していたから」


(そうだよな。考え出したら、きりがないんだし。今は信じて、待つしかない)


 頭を切り替えて、サンドウィッチにかぶり付く。

 魔力を付与された治療食だが、普通に美味しい。


「それにさ、光魔法と闇魔法を融合した中和術なんて、禁忌術式の中でも上位に入る大罪を犯したんだから、もっと自分の心配をした方がいいよ」


 生温い目がじっとりと向けられる。

 びくっと肩が波打った。


「なんで、ロキが知ってるの。誰に聞いたの」


 嫌な汗が流れて、声が震える。

 

「ユリウス先生が教えてくれたよ。実はノエルが全属性適応者だってこともね。魔力の戻りが悪いのは、中和術を使ったせいもあるかもってさ」


 不服そうな視線に、そろりと目を逸らす。


「学院の申請も誤魔化してたみたいだし、全属性適応者なんて普通いないから、隠す気持ちもわかるけどさ。俺たちには教えてくれても、良かったんじゃないの?」


 多分、何を言っても言訳じみてしまう気がする。


「うん、ごめん」


 とりあえず素直に謝った。


「ユリウス先生はノエルのこと、何でも知ってるんだね」

「それは教員だからだよ。中和術の特訓とか、してもらっていたから」


 立ち上がったロキが、ノエルの腕を引いた。勢いが強すぎて体が浮き上がる。二人して、隣のベッドに転がった。


「俺が言ってるのは、こういうこと」

 

 ロキに抱き竦められる。

 顔を抱き寄せられて、ロキの肩にうずまる形になった。


「こういうことって、ユリウス先生に、何を聞いたの?」

「丸一日一緒に寝てたから、大丈夫って。何が、どう大丈夫なの? 全然、大丈夫じゃないよね?」


(そっちか。良かった。いや、良くもないけど)


 ノアの空間魔法内で起きた件を話されたら、本気で殴りに行くところだった。


「あれは魔力の回復に必要だったとアーロ先生も言ってたから、仕方がなかったんだよ。私、ずっと寝てて隣に誰がいるかなんて、気が付かなかった」

「つまり、何されても気が付かなかったってことだよね」


(失言‼)


「何もされてない、多分。ユリウス先生の方が重傷だった。あの状態で何かできたら正気を疑う、本当に」


 ユリウスならできそうな気もするが、そうも言えない。


「ユリウス先生なら、できそうだよ。普通に」


(同じこと思ってた‼)


 体が密着して、ロキの早い鼓動が胸に響く。

 自分の音も聞こえてしまいそうだ。

 体を離したいのに、背中を抱くロキの腕がそれを許してくれない。


「そもそも正気ですることじゃないだろ、こういうことって」


 ロキの指が顎に掛かる。柔らかい唇がノエルの唇に触れた。


「! ロキ、待って、何をっ……」


 驚いて離れた唇に、また唇が重なる。後頭部を押さえられて、離れられない。


「んっ……ふぁ」


 息と一緒に声が漏れて、息を止める。より深まる口付けに、体が強張る。

 背中をつぃとなぞられて、力が抜ける。


「ぁ……ん」


 思わず、ロキの腕を掴んだ。

 名残惜しそうに唇が離れていく。

 離れた唇が耳たぶを食む。


「ひゃぁ……んっ」


 耳元で、ロキが小さく笑った。


「ノエルのこんな声、初めて知った。すごく可愛い」


 吐息が掛かって擽ったい。


「ロキ、くすぐったいよ」


 弱々しい声が震える。


「わざとだよ。もっと、俺を感じて」

「ダメ、もう、無理」


 じれったくて、息が上がる。瞳が潤む。

 ノエルの顔を覗いたロキが、苦笑した。


「こんなに無防備じゃ、すぐに奪われちゃうよ」


 ロキの唇が額にキスを落とした。


「言っておくけど、これでもまだ我慢してるからね」


 起き上がったロキが、ノエルの腕を引いて起き上がらせた。

 ベッドに上がって、後ろからノエルを抱き包む。


「俺はノエルのこと、諦めないよ。ユリウス先生からだろうと奪ってみせる」


 そんなことを耳元で囁かれたら、何も言えない。


(少し前なら、ユリウスとは恋人同士じゃないって言えたのに。今でも、恋人じゃないけど)


 今のロキにそれを言うのは、憚られた。


(私は、ロキを、どう思っているんだろう。友人でいたいっていうのは、我儘なのかな)


 肩を抱くロキの腕を振り解こうとは、思わない。

 けれど、あまりにも真っ直ぐに伝えられる気持ちに応えられる自信もない。


(私の優柔不断は、狡い。でもきっと、この中途半端な関係でいたいんだ。もっと狡いや)


 こんな時に、どうしてユリウスの顔が浮かんでくるんだろうと考えながら、現実を遮るように目を閉じた。













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