第13話 足跡

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 雑賀に囲みを破られた後、小四郎たちは傷を負った朋輩ほうはいとその面倒を見る数名を残してすぐ馬を出し雑賀の後を追っていた。


 小四郎も怪我をしてはいたが追跡の指揮を執る立場上、傷口に包帯代わりの布をきつく巻き付けただけの応急処置で無理矢理に何とか馬に乗っている。


 幸い、弾丸は太股を貫通して裏に抜けていた。


 とはいえ、無傷の朋輩たちと比べると走らせる馬の速度が落ちてしまうのはどうしても否めない。


 小四郎が操る馬は縦列となって走る馬の列の最後尾を走っていた。


 馬が走る振動の激しさで太股にずきずきと痛みが走る。


 傷口だけでなく全身が発熱しているようで小四郎はひどい悪寒を感じていた。


 前を見て馬を走らせたいがどうしても視線が下がってしまう。


 つい、眼は太股の傷口にばかり向いてしまった。


 灰色のはかまの布地にできた赤黒い血の染みが乾く気配もなくどんどん大きく広がっていた。


 落馬しないよう何とか馬にしがみついているだけというのが小四郎の現状だった。


 馬自身が先を行く朋輩を追うつもりで走ってくれているのと朋輩が遅れがちな小四郎を気にかけていてくれなければ早々に追跡班から落伍していたのに違いない。


 追跡班は領民と出会う都度、雑賀らしき者を見なかったかと聞き込みをしながら追跡を進めた。


 すると目撃した者からは一様に「水戸方面に向かった」と口を揃えたような答が返ってきた。


 雑賀は目立つ身なりであるから領民が誰かと見間違えをしている心配は、まずないだろう。それに雑賀に水戸藩を探索する腹積もりがあるのなら、当然、行き先は水戸であるはずだ。


 朦朧とする頭で小四郎は馬にしがみついているだけであったが、馬は、いつの間にか水戸城の天守閣に見下ろされる家臣らの居住区域に入り込んでいた。


 長屋のような下級藩士の集合住宅から重臣が住む広大な屋敷まで藩士らは有事にすぐ城に駆けつけられるよう城の近在に集められて生活をしていた。


 小四郎の家も近くである。


 左右にそれぞれの屋敷を囲む白壁の塀が続く通りを小四郎らは馬で駆けていた。


 小四郎は何とか歯を食いしばって顔をあげた。


 額に浮いた嫌な脂汗が眼に流れ込まぬよう袖口に顔面を擦りつけるようにして汗を拭うと前を行く朋輩たちの様子を確認した。


 ちょうど前方で塀が切れた曲がり角を先頭の朋輩が左折するところだ。


 他の朋輩も続々と同じ曲がり角を左折して行った。


 その直後「いたぞ!」と角の先で朋輩から歓喜の声が高くあがった。


 一足遅れて小四郎も同じ角を左折する。


 路地の遙か先に小さく駆け去っていく馬の姿があり競うように自分の馬に鞭を呉れながら速度を上げて朋輩たちが駆け去る馬の後を追っていた。


 もちろん、その馬に雑賀は跨ってなどいないのだが距離があるため朋輩にも小四郎にもそこまでは分からなかった。


 今、小四郎にはっきりと分かるのは朋輩に合わせて速度を上げるだけの余力が、もう自分には残ってはいないという現状認識だけだ。


 そのとき、小四郎は瞬間的に背後へ流れ去っていく屋敷の塀の白壁に壁には見慣れぬ『色』を発見した。


 いや、むしろ、追跡の間中、終始ずっと俯きがちだった小四郎にとっては逆に見慣れた存在になってしまった『色』である。


 直感的な何かが小四郎の脳裏を駆け抜けた。


 弾かれたように小四郎は手綱を力の限り引きしぼって無理矢理に馬を止まらせた。


 半分落馬も同然の状態で小四郎は馬からずり降りる。


 小四郎は痛めた足を引きずるようにして白壁の所まで進んだ。


 見た物をもう一度しっかり確認するべく白壁を見上げる。


『やはり、そうだ』


 小四郎は白壁に背中をつけて崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。


 全身で、はあはあと荒い息を吐く。


 小四郎の袴は右側半分が、ほぼ全体的に赤黒く染まってしまっていた。


 小四郎のことを気にかけながら小四郎の少し先を走っていた朋輩が急に馬を降りてしまった小四郎の様子に気づいて心配した表情で馬を走らせて戻ってきた。


「大丈夫か?」


 小四郎は右手の親指を突き立てて手を上げ自分が背中をつけている白壁の自分の頭の上を立てた親指で指し示した。


「奴は、この屋敷の中だ」


 小四郎が親指で示した場所には赤黒い何かの染みがある。


 雑賀が馬の背から跳躍した際に着いた雑賀の血の『色』の足跡だった。


「皆を呼び戻せ。それから我らだけで屋敷へ踏み込むわけにはいかぬから町奉行の田丸殿をお連れするんだ。捕り方の用意も怠るな」


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 屋敷の当主である鈴木重孚しげざねは自分の部屋で文机を前にして正座をしていた。


 痩身である。歳は六十のいくつか前か。


 重孚は門番が持ってきた勝海舟自筆だという堀居九郎の身分証明書を検分していた。


 文机の側では行灯が灯っている。


 門番は縁側に通じる障子戸を背にして正座し重孚から声がかけられるのを、じっと待っていた。


 重孚は文書を文机に置いた。


 むう、と唸るような声を重孚は発した。


 門番は、びくりと身を震わせた。


「それで勝殿の御使者は儂に何用だと?」


 門番は畳に手をつき平伏した。


「はっ。ただ『取り次ぎを』と仰るのみでした」


 重孚は再び、むう、と唸った。


「恐れながら」


 頭を垂れたまま門番がおずおずと言葉を発した。


「御使者は足に斬り合いの傷があり血を流しておられます。邸内に入れては余計な面倒まで呼び込むことになるやも知れません」


「まさか隠密かよ」


 重孚は、より一層、ふう、と重苦しく息を吐いた。


「だからといって会わずに返すわけにもいくまいな」


「申し訳ありませぬ」


「べつにおぬしのせいではなかろう。すぐに行く。客間へ通して待たせておけ」

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