第8話 通詞
12
執務室のプリュインを訪ねるにあたり、雑賀は皮革でできた薄い書類鞄を携えてきていた。
両腰に拳銃を下げ、体には薬莢のベルトを巻き付けた、いつもの服装だ。
雑賀とジョナサンが部屋に通されてもプリュインは本から目を上げようともせず、特段、二人の来客に対して席を勧めようともしなかった。
雑賀は書類鞄を小脇に抱えたままジョナサンと共に
プリュインは二人を立たせたまま平然と区切りのいいところまで本を読んだ。
ようやくテーブルに本を置くとプリュインは初めて来客に視線を向けた。
プリュインは大層な勿体を付けて席を立った。
ジョナサンに向かって歩を進める。
プリュインは人と人が普通に握手を酌み交わす距離より半歩だけ近くまで、ジョナサンに歩み寄った。
親密さを装ってはいるが近付くことで背の高いプリュインには真上から自然と相手を見下ろすことができる。
雑賀には、そう計算してのプリュインの振る舞いと見て取れた。
自分の高身長には、それだけで相手を威圧する力がある事実を、プリュインは、よく知っているのだ。もちろん、その活かし方も。
プリュインがジョナサンを見下ろしながら声を掛けた。
「失礼。お待たせした。アメリカ合衆国駐日領事、ロバート・ヒューソン・プリュインだ」
言葉とは裏腹に、これっぽっちも『失礼』などとは思ってもいない口調だった。
ジョナサンは右掌をプリュインに見せるように上げて海軍式の敬礼をした。
「モビーディック船長、ジョナサン・デビット大佐です。着任の挨拶に伺いました」
プリュインは満足そうに頷いてジョナサンと握手を交わした。
当然、次は自分が挨拶をする順番だと雑賀は思っていたが、プリュインは雑賀とは視線を合わせようとはしなかった。お互いに英語で会話ができる場においては通詞などに用はない、という意思表示らしい。
『いけすかねぇ奴だ』
憤然としたが雑賀は何も言わなかった。
「モビーディックというのか。よい船かね?」
プリュインはジョナサンに尋ねた。
かねてからプリュインはアメリカ本国に対して自分の権限で動かせる船の配備を要望していた。前任者であるハリス以来の悲願だが、今までのところ日本に常駐の軍艦の配備は行われていなかった。
だが、今回、その軍艦が入港したのだ。
「最新式です。本国にもモビーディックに勝る船はありません」
「そうか。よぅし」
ジョナサンの言葉にプリュインは強く頷いた。
続いて、口から小さく、クククという声が漏れた。笑い声だ。
何を思ってか、プリュインは『してやったり』という表情だった。
13
文久二年
プリュインは幕府からアメリカ政府への新造艦発注の仲介を依頼された。
既に軍艦三隻の購入代金として六十万ドルを受け取っている。
幕府としては日本とアメリカ、国同士の取り引きの仲介役を頼んだつもりだ。
だが、プリュインは幕府の依頼をプリュイン自身への軍艦購入の仲介依頼だと故意にすり替えた。
しかも、代金の内、すでに幾ばくかを使い込んでしまってもいる。
もちろん、アメリカ本国に対しては極秘のことだ。
とはいえ、実際にはプリュインに新造艦を調達する良い伝手などあるわけもない。
「いつ軍艦は届くのか」
「日数が掛かるようであれば、他国に依頼しなおすので、代金を返還されたい」
と、日々、矢のように強く迫られている。
そもそもアメリカ国内は、現在、南北戦争の最中である。少しでも戦力が必要な状況下にあって日本へ売り渡せる余剰軍艦などあるわけがないのだ。
プリュインは、まったくの手詰まりだった。
かといって、今さら本国へ話をすることもできはしない。日本人相手の駆け引きを打開するため、あらためて『日本遠征記』を読み直したくもなるというものである。
そこへ軍艦の到着だ。
『ようやく、運気が向いてきたか』
プリュインにとっては、まさしく渡りに船であった。
『目に見える形で軍艦を示せば、まだ時間を稼げるだろう。南北戦争もそのうち終わって使い道の無くなった軍艦の売り手が見つかるに違いない』
自然と笑い声が零れた次第だ。
その時、プリュインは自分の顔を怪訝そうに見つめるジョナサンの視線に気がついた。
ジョナサンは、突然、笑い出したプリュインに対して、どう対処すべきか図りかねている様子だった。
プリュインは咳払いを一つして笑い声の余韻を消した。
「失礼した。私にも他国の領事並みに自由になる船が与えられたのかと思うと、つい笑いが出てしまった。貴君の着任を歓迎する」
だが、ジョナサンは生真面目そのものといった顔でプリュインを見据えると、はっきりと首を横に振った。
「残念ながら領事のために働く船ではありません。自分とモビーディックの任務はホリー・クロウ・ペリー大尉を日本に送り届け大尉の日本での活動を補佐することです」
「なんだと!」
プリュインは声を荒げた。頬が、ひくひくと引きつっているのが自分で分かった。
「君は領事である私を助けるために日本へ来たのではないのかね!」
ジョナサンは、もう一度、ゆっくりと大きく首を横に振った。
「残念ながら」
「ノー!」と、プリュインは叫び声を上げた。
両手で自分の頭を掴み髪をがしがしと掻き毟りながらプリュインは大股に室内を歩き回った。
「ホリー! クロウ! ペリー!」
と、ジョナサンから聞いたばかりの名前を一語ずつ区切って声に出して言う。
プリュインは自分の執務机の上にある『日本遠征記』を掴むなり、くるりとジョナサンを振り返った。掴んだ本を指揮棒のように突き出してジョナサンを指し示す。
「ペリーという姓は、この国では畏怖を持って記憶されている。駆け引きと恫喝で無理矢理、開国の扉を開けさせた男の姓だ」
プリュインは早口で捲し立てた。
「それで、その何とかペリーとかいう奴はどこにいるのだ!」
ジョナサンは横を向き脇に立つ雑賀の顔を見た。
プリュインも釣られて雑賀を見る。
腰の左右に拳銃をブラ下げ、両肩から襷掛けに薬莢を付けたベルトを巻きつけている、仰々しい身なりの日本人だ。
『物騒だからな』
外国人のために働く日本人は志士から特に裏切り者として命を狙われている状況をプリュインは知っていた。
だが、プリュインにとっては通詞など気に掛けるには値しない存在だ。
「通詞がどうした?」
プリュインは一瞥した雑賀から視線をジョナサンに戻そうとした。
雑賀がプリュインに微笑みかけた。
そこで初めてプリュインの視線は雑賀の顔に釘付けになった。
「まさか」
と、プリュインの口から声が漏れた。
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