第6話 こいつら志士か?
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部屋を出た女中により閉じられた襖が、すぐまた開いた。
ジョナサンは箸での食事をすっかり諦めて匙の到着を待っていた。
てっきり女中が戻ったものと思ったジョナサンは襖を開けた相手をよく見もせずに、「サンキュー、サンキュー」と相好を崩して感謝の言葉を連呼した。
だが、その声を掻き消して「フリーズ!」と制止を命じる雑賀の声が飛んだ。
ジョナサンは硬直し、ぎくっと動きを止めた。
雑賀の言葉はジョナサン・デビットと襖の開放者の双方に向けられたものである。襖を開いたのは芹沢鴨だった。
持病の梅毒により崩れかけた芹沢の元々かなり赤黒い顔が、酒酔いのため、さらに赤くなっている。
襖に掛けていた手を離し芹沢は室内を一瞥した。さすがに部屋を間違えたと気がついたらしかった。
だが、続いて出た言葉は謝罪ではない。
「異人どもが調子にのりおって」
「部屋違いだぜ」と雑賀は応じた。
「
芹沢のぎょろりとした瞳が雑賀を睨みつけた。
雑賀はウインクで受け流した。
芹沢の目が、さらに大きく見開かれる。
「貴様、日本人だな!」
芹沢は腰の刀に手を掛けた。
「この異人
芹沢は罵声を発するや室内に足を踏み入れた。
すかさず雑賀は右手で畳に置いたベルトのホルスターから銃を抜くと芹沢の額に狙いをつけた。
「部屋を間違えた上、斬りかかろうだなんて、どういう了見だい?」
芹沢は刀を抜こうとした体勢のまま足を止めた。
雑賀は口の中の梅干しの種を舌で転がした。銃口は芹沢の額に向けたまま、ぴくりとも揺らさない。
もちろん、視線も外さなかった。
芹沢も雑賀から視線を逸らさない。
それ以上は、芹沢は無理に室内に踏み込んでこなかった。
かといって、あっさり退く気もないようだ。
額に銃口を向けられて芹沢が足を止めたのは恐怖で足が竦んでしまったためではない。単純にこのまま斬りかかるのが無謀な攻撃だと悟ったためである。
酔ってはいたが止まるか否かの判断は正常だった。だからといって銃を恐れて退いたと思われるのも癪なのだろう。
「ぬぬぬ」と芹沢の口から声が漏れた。
廊下を走る複数の足音が雑賀のいる部屋に近づいてきた。
まず眞柴十三が、続いて藤田小四郎が芹沢の背後の廊下に姿を現した。
「芹沢殿っ!」
銃口を向けられた芹沢の様子に、小四郎は、ぎょっとした表情で声を上げた。だが、眞柴は顔色を変えはしなかった。
「誰かっ! 早く来てくださいっ!」
小四郎は自分が走ってきた廊下の奥に声を掛け朋輩を呼んだ。
ジョナサン・デビットが飛びつくようにして自分の拳銃に手を伸ばした。
「志士か? こいつら志士か?」
とジョナサンは早口で雑賀に問うた。
「イエス」と雑賀。
雑賀もまた空いている左手で畳の上の自分のもう一つの拳銃を掴んだ。掴んだ拳銃を芹沢同様にぴたりと眞柴の額にも向ける。
ジョナサンは小四郎に狙いをつけた。
「まだ撃つなよ」
と雑賀はジョナサンに釘を刺した。
雑賀は眞柴の顔を見つめた。眞柴に動じた様子はない。
雑賀の眼光と眞柴の眼光がぶつかり合った。
「失礼する」
眞柴は無表情のまま両掌を雑賀に向けて肩の高さで小さく万歳をした。刀を抜かない、という意思表示だ。
そのまま眞柴は室内に足を踏み入れた。落ち着いた足取りで歩を進めてくる。
眞柴の歩調に合わせて眞柴の額に狙いをつけていた雑賀は狙いが外れぬよう左手の向きを少しずつずらしていった。
眞柴は芹沢の前まで進み、自分の体を芹沢と雑賀の間に入れると芹沢を狙う雑賀の射線を遮った。
眞柴は雑賀に対峙するように足を止めた。芹沢を狙う銃口の射線と眞柴を狙う銃口の射線が一本になった。
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雑賀は、今は眞柴の額のみを左右の拳銃で狙っていた。
「邪魔立てするな」
芹沢が自分を庇うようにして背を向けて立つ眞柴に言った。
芹沢は体勢を戻してはいなかった。今にも刀を抜くぞという体勢のままだ。
「どかぬと貴様から斬るぞ」
憎々しげに目の前に立つ眞柴の背中を芹沢は睨みつけた。
「ご随意に。ですが大事の前です。清河八郎亡き今、あなたまで失うわけにはいきません」
眞柴は、さらりと言ってのけた。
しばしの後、「ふん」と、つまらなげに芹沢が刀から手を離した。
雑賀は銃口を降ろさない。変わらずに眞柴の額を狙っていた。
眞柴の背後で芹沢は身を翻して廊下を振り返った。
廊下には藤田小四郎が立っていた。
部屋を出る芹沢にとっては邪魔な位置だ。
小四郎の顔からは血の気が引いていた。膝が小刻みに震えている。
小四郎には、ぴたりとジョナサンの銃口が向けられていた。
騒ぎを聞きつけ他の水戸藩士らが駆けつけてきた。立ちつくす小四郎の背後の狭い廊下に水戸藩士らが
「
弾かれたように芹沢を避けた小四郎は室内に立ち入った。
きょろきょろと小四郎の視線が雑賀と眞柴、ジョナサンの間を往復する。
雑賀と小四郎の目が合った。
小四郎が頭巾を被った襲撃者の一人だと雑賀は見破った。目に見覚えがあった。
「あんたの目は、どこかで見た目だな」
軽く笑いを含んだ声で雑賀が小四郎に声を掛けた。二丁とも拳銃は眞柴に向けたままだ。
「貴様など知らん」
小四郎は雑賀から視線を逸らした。
雑賀は、にやりとした。
「抜けるのかい? その朱鞘にも見覚えがあるんだぜ」
雑賀は右腕を動かし拳銃を小四郎に向けた。小四郎の膝の震えが大きくなった。
「昼間は世話になったな」
小さく、ぶっきらぼうに雑賀は吐き捨てた。
続いて雑賀は「バン!」と大声をだした。
同時に雑賀は梅干しの種を口から吹き出した。
種は狙い違わず小四郎の額に当たった。
「ひゃあっ!」と小四郎は背後に跳ねるようにして、どでっと廊下に尻餅をついた。大股を開いて、ふんどしが剥き出しになった。
「そんなもの見せるなよ」
小四郎は慌てて立ち上がった。
小四郎の脇には芹沢が立っていた。
芹沢は小四郎を見もせずに言った。
「清河の代わりは貴様にゃ早い」
小四郎はがっくりとうなだれた。
そのとき、犇めく水戸藩士を掻き分けて小柄だが恰幅のいい男が進み出てきた。四十代半ばに見受けられた。
男は芹沢に頭を下げた。
「この店の主人です」
「けしからんな。客を不快にさせる店だ」
「申し訳ありません」
主人は自分の着物の袖で芹沢の右手を包み込んだ。
「お飲み直しの席をご用意させていただいております」
主人と芹沢の手が離れた。
「よかろう」
芹沢はつまらなそうな顔で主人の袖の内で受け取った物を懐へしまい込んだ。
主人は廊下の水戸藩士たちの背後を振り返り柏手を打った。
水戸藩士らを脇へ押しのけるようにして歓声を上げながら多数の芸妓が進み出てきた。
芸妓らは抱きつくようにして芹沢を取り囲んだ。
芹沢の元まで辿り着けない芸妓は手近の水戸藩士の腕を引いた。
「綺麗どころを集めました。ほら、お客様たちを早くご案内して」
芹沢と水戸藩士らは芸妓に手を引かれ背中を押されるようにして部屋を去った。
歓声が消え途端に辺りは静かになった。
残ったのは雑賀とジョナサン、雑賀に銃を突きつけられたままの眞柴だった。主人も残っている。
「失礼いたした」
眞柴がぺこりと頭を下げた。
雑賀は銃をさげ、二丁とも畳に転がした。
「驚かさないでくれ。俺は気が弱いんだ」
眞柴は雑賀の顔を見つめた。
「そうは見えませんな」
「あんたほど肝は据わっちゃいないよ」
眞柴は再び頭を下げた。
「それでは」
「あいよ」
眞柴は部屋を去った。
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