第5話 推挙願い

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 誰かに手を差し入れられたためか、だらしなく胸元が乱れた芸妓が傾ける銚子の酒を、藤田小四郎は自分の杯で受けとめた。


 二十畳程の部屋である。美味いと評判の店の一室だ。


 料理が載った膳が並べられ、十数名の男女が宴を張っていた。


 室内には空いた銚子が、そこここにいくつも転がっている。


 京都から遠路、蒸気船で駆けつけた攘夷を志す同志のための、ねぎらいの宴だ。


 水戸藩は攘夷を支持していた。


 小四郎は席次の中程に座っている。


 芸妓の胸のふくらみが気になったが煩悩を振り切るように小四郎は杯を傾けた。


 小四郎如き立場の者が、羽目を外して、失態を演じるわけにはいかない。


 京都から来た同志は四名。芹沢せりざわかも平山ひらやま五郎ごろう平間ひらま重助じゅうすけ眞柴ましば十三じゅうぞうだ。


 文久三年二月、今は亡き攘夷派の同志清河八郎の発案を受け、京都の治安を悪化させている関西の浪士に対処するため幕府により集められた関東の浪士、二三〇名余りが京に上った。


 だが、攘夷活動家である清河の真意は集めた浪士を攘夷のための兵に転じることにあった。京都に着いた清河は浪士たちによる攘夷断行を、もともと攘夷を望む朝廷に願い出、認められたのだ。


 幕府は開国の立場であったが、朝廷が認めた以上、反対するわけにもいかない。清河は一行の内の二〇〇名余りを率いてイギリスとの戦争に備えるため江戸に帰還する。


 結局、清河は横浜の外国人居留地襲撃を企てたとして四月に幕府により暗殺されることとなるが、京都で清河とたもとをわかち残留した二〇名余りの浪士たちを共同で率いているのが芹沢鴨だった。他の三人は芹沢の同胞だ。


 だが、実際には清河と芹沢は袂をわかってはいなかった。関東での攘夷活動を清河が率い京都での攘夷活動を芹沢が率いるという東西同時挙兵の役割分担が目的だった。東西同時挙兵のための活動資金の一部を水戸藩が出している。


 京に残った芹沢らは藩主の松平まつだいら容保かたもりが京都守護職に任じられている会津藩お預かりの立場となり、活動の拠点とした壬生村みぶむらの地名から壬生浪士組と名乗っていた。


 表向き、京都の見回りを役目とする芹沢だが、清河の暗殺により狂いが生じた攘夷活動の計画変更と水戸藩からの軍資金受領のため密かに横浜に入ったのだ。そのねぎらいの宴である。


 小四郎は上座に目をやった。


 芹沢の兄でもある小四郎の二名の上役と芹沢ら四人が上座である。


 小便にでも行ったのか芹沢鴨は自分の席にいなかったが、平山五郎と平間重助がだらしなく半裸で芸妓に絡んでいた。芸妓は半裸以上に剥かれている。


 その脇で眞柴十三だけが居住まいを正して座り、ちびりと酒を含んでいた。一人だけ異質な空気に包まれている。


 小四郎は銚子を摘んで席を立つと眞柴の対面に移動した。


「眞柴殿」


 と眞柴に銚子をさしだす。眞柴は自分の杯を空にした。


 男女を問わず部屋にいる誰もが顔を赤くしていたが眞柴だけは白く透き通った顔色をしている。月代さかやきを剃りあげ残りの髪は一本に束ねて背後に垂らしていた。


 女性のように整った顔立ちをしていたが眼光はきつい。顔立ちが整っている分だけ余計に近づきがたい雰囲気を眞柴は放っていた。年齢は二十八。


 小四郎は眞柴の杯を満たし頭を垂れた。


「眞柴殿からも芹沢殿に私を推挙していただくようお願いします。清河殿が担っていた攘夷のお役目、必ずや私が成功させます」


 眞柴は小四郎を見つめた。


 頭を垂れているため眞柴の顔は見えなかったが、眞柴の視線が貫くように自分に向けられていることを小四郎は感じた。


 頼み事を口にするからではなく眞柴の視線を避けるために頭を下げたような気が小四郎はした。


 眞柴は無言だ。


『言わなければ良かった』


 眞柴の沈黙に悔恨の思いが小四郎を包む。眞柴は小四郎が注いだ酒を口にした。


「私は芹沢局長の護衛として、この場にいるだけ。貴殿を抜擢するか否かは局長がご自身で判断なさることだ」


 独り言のように眞柴はつぶやいた。小四郎は動けない。


 二人の様子を端で見つめていた平山が芸妓に抱きつくように小四郎に抱きついた。


「駄目だよぉ小四郎ちゃん。そんなこと眞柴ちゃんに頼んだって固いんだから。芹沢さんには俺から言ってあげるからさ」


「ありがとうございます」


 小四郎は感謝の言葉を口にした。推挙に対する感謝なのか助け船に対する感謝なのか、自分でもよくわからなかった。


「いいよいいよ」


 平山は、ひらひらと小四郎に手を振った。にやけた顔が、突然、思案顔になる。


「芹沢さん遅いねぇ。小便に行っただけなのに何かあったかな」


 眞柴が畳に置いてある刀に手を伸ばした。


「にゃはははは。冗談だよ」


 と平山は笑ったが、意に介さずに眞柴が立ち上がった。


「探してくる。迷ったのかもしれん」


「では、私も」


 小四郎も慌てて自分の刀を掴み眞柴の後を追った。

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