第4話 白い米と味噌汁

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 もといた大通りが見えたところで、雑賀は全速力から早足に切り替えた。


 歩きながら、やや荒くなった呼吸を整える。


 細い路地からもとの大通りへ出た時には、雑賀の呼吸はすっかり平常に戻っていた。


「今の銃声は貴公の仕業か?」


 雑賀の前に二人の男が立ちふさがった。


 雑賀より背が低くやや腹が出た男と背が高く顎の鰓の張った男の二人連れだ。


 どちらも腰に刀を帯びている。


 さきほど日本人居留地へ入る門を抜けた際に雑賀をちらりと見ていた役人たちだ。


 口を開いたのは背が低いほうの男である。


「許可のない銃の使用は禁止されている。いかなる了見での発砲か聞かせてもらおう」


「斬りかかられたから撃ったまでだ。自分の命を守るために銃を抜くことは禁じられてなどなかったはずだぜ」


 雑賀は役人に折れた刀身を差し出した。


「門の内外を自由に悪党が行き来しているぞ」


 役人は刀身を手に取り自分の顔の前に翳して、よく見るような仕草をした。


 背の高いほうの男が朋輩の脇を離れ挟撃するように雑賀の背後に移動した。


 背中の後ろで鯉口が切られる音が聞こえた。もし逆らえばどうなるか、といった脅しなのだろう。


 刀身を受け取った役人は相棒が配置に就いたのを確認してから、


「よく口が立つ。貴様、支那人ではないな」


「だとしたら?」


「怪しい身なりだ。奉行所まで同行願おう」


 雑賀は両手をホルスターの間近にだらりと下げていた。抜く気ならすぐ抜ける。


 背後をとって有利に立ったつもりでいる相手が刀を抜くよりも、よほど早く銃をつきつける自信が雑賀にはあった。


「あいにくだが俺の身元はアメリカ預かりだ。ここの奉行には裁けないよ」


「では、そのアメリカに確認をするまでだ」


 雑賀は腰の両脇にある銃を抜いた。


 身をねじり、右手の拳銃を背後の男の蟀谷こめかみに向ける。


 と同時に左手の拳銃で前の男の蟀谷にも狙いをつけた。


 あまりの早業はやわざに役人は二人とも微動だにしていない。


 二人の男の顔からは血の気が引き額に汗が浮きあがった。


 雑賀はかわるがわる前後の男の顔を見比べ、目で「動くな」と牽制した。


 前に立つ男の手の中から折れた刀身がこぼれ落ちる。


「今日、入港したモビーディックだ」


 雑賀は無愛想に問い合わせすべき船の名を吐き捨てた。


「艦長のジョナサン・デビットに聞いてくれ」


 雑賀は無造作に拳銃を下げるとホルスターに再び戻した。


 へなへなと二人の役人は崩れ落ちた。


 入港に伴う雑事に追われていたジョナサン・デビッドが、雑賀を迎えに奉行所にやってきたのは暮れ六つだった。


 特に取り調べがあるわけではなく、もちろん茶や飯が出るわけでもない。単なる嫌がらせとして足止めをされているだけだった雑賀は、すぐに解放された。


 その足で雑賀はジョナサンと連れだち飯屋に向かった。


 簪売りが言っていた美味い飯を食わせるという店である。


 簪売りの評価は本当なのだろう。


 暖簾を潜り入った店内は、すでに人で一杯だった。


 相席で気軽に食事をするための卓には、まったく空きがない。


 ほどよく酒が入った客たちから好奇の視線が雑賀らに集まった。


 横浜では外国人を見かける機会など珍しくないはずだが純粋に日本人相手の商売をしている店に外国人が立ち寄ることは、あまりない出来事のようであった。


 店内には醤油と味噌で味付けされた日本の食事の匂いが充満していた。


 雑賀の腹が、ぐうと鳴いた。


「まだ、おあずけのままなのか」


 ジョナサンが高らかに笑い声を上げた。


「おまえが早く来ないからだ」


 と雑賀は毒づく。


 ジョナサンは意に介さずに笑っている。


 突然、笑い出した外国人の様子に愛想良く「いらっしゃいまし」と出てきた女中が、びくりと身を震わせた。十七、八歳といったところだろう。


 女中は案内すべきか否か逡巡の色を浮かべた瞳で雑賀の顔を窺った。

雑賀は相手の不安を取り除くように女中に向かって破顔して見せた。


 年頃の女中の頬が微かに朱に染まる。


「朝から、ずっとおあずけなんだ。腹が減って倒れちまうよ」


 女中の返事を待たず雑賀はおもむろにブーツを脱いだ。すぐジョナサンも後に続く。


「奥に部屋があるんだろ?」


 と雑賀は廊下の奥を手で示した。


「ここじゃ満員だし、目立ちすぎる」


 雑賀らと女中のやりとりに店内の客たちの視線が集まっていることに女中は初めて気がついた。女中の頬が、ますます赤くなった。


「こちらです」


 消え入るような声で囁き、女中は二人を先導した。板張りの廊下を進んでいく。


 二人は八畳間に案内された。


「白い米を丼で。それから味噌汁を」


 雑賀の言葉に女中は部屋を去った。


 薬莢と拳銃のベルトをそれぞれ外し、雑賀は自分の席にあぐらをかいた。


 ベルトは畳の上に置いた。


 慣れない様子で、ジョナサン・デビッドも同様に座った。


 ジョナサンも拳銃のベルトを外して置いていた。最新式の雑賀の銃と違って一般的な軍仕様の拳銃だ。


 女中が炊いた白米を入れた丼と味噌汁の椀を膳に載せて戻ってきた。


 どちらも出来合いを器に盛るだけなので、あっと言う間だ。


 小皿に載せた梅干しと漬けた大根の切り身が添えられている。


 雑賀にとっては懐かしい食事だったが、ジョナサンにとっては初めての食べ物だ。


 もちろん、箸も初めてだった。


 困惑顔で食事を眺めるジョナサンに、雑賀はにやりと微笑んだ。


「こうするんだよ」


 雑賀は味噌汁の椀を掴むと丼の白米に味噌汁を掛けた。白米の上に賽の目に切られた豆腐が、ころころと載っかった。


 しゃりしゃりと茶漬けのように湯気の立つ味噌汁飯を、雑賀は喉に掻き込んだ。


 雑賀は瞬く間に丼を空にした。


「お代わりちょうだい」


 と雑賀は空になった丼を女中に突き出した。


 しげしげと女中は雑賀を見つめていた。


「ん?」


「いえ。異国の方? では、ありませんよね?」


「乗ってた船が嵐で沈んでね。海の真ん中でペリー提督の黒船に拾われて、そのまま十年もアメリカ暮らしさ。今じゃ、すっかりアメリカ人だ。おかげで、こんな箸も使えない奴と一緒だよ」


 ジョナサンは雑賀の真似をして味噌汁を米に掛けたまではいいが、箸がうまく握れずに、苦闘しているところだった。


 女中は「こんなの」呼ばわりされたジョナサンの奮闘に目をやり、口元を軽く押さえながら席を立った。


「ついでにさじを持ってきてやってくれ」


 雑賀は足を伸ばし後ろ手に両手を畳についた。大きく伸びをする。


 どこかの部屋から酒に酔った複数の男の声と、やはり複数の女の嬌声が聞こえてきた。よろしく楽しんでいるらしい。


「アメリカも日本も、やるこた同じだね」


 雑賀は紫蘇の葉が巻かれた梅干しを一つ指で摘むと口に投げ込んだ。


 しょっぱさに顔をしかめる。


 雑賀のように箸を持つことを諦めたジョナサンが逆手に棒を握るように箸を握って味噌汁飯をすすり込んだ。

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