第2話 攘夷期限日

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 山手の丘の上から数名の水戸藩の朋輩と一緒に、藤田ふじた小四郎こしろうは横浜村を見下ろしていた。


 外国人居留地越しに横浜港に居並ぶ外国軍艦の威容が見てとれる。


 乗組員の誰かが上陸をしようという心づもりなのだろう。入港したばかりの帆柱のないアメリカ船から小船が離れたところだった。


夷人いじんめが!」


 小四郎は吐き捨てた。


 偉丈夫だが色黒で顔立ちは、おかめによく似ている。年齢は二十一歳。


 小四郎は朱鞘の大小を腰に差していた。


「攘夷期限日に夷敵いてきの船が入港したというのに幕府の腰抜けどもは、なぜ討たんのだ!」


 小四郎は眼下の住宅街を睨みつけた。忌々しい夷人どもの住みかだ。


清河きよかわ八郎はちろう殿さえ殺されなければ、こんなところ、今頃、灰燼かいじんとなっていたものを」


 小四郎は去る四月十三日に幕府の刺客により討たれた攘夷活動家の名を口にした。


 朋輩と一緒に横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を立てていた事実が幕府の知るところとなり暗殺されたのだ。


 小四郎は桟橋へ近づく小船に視線を戻した。


 小船には褌を身につけた以外は裸の漕ぎ手が二名と洋装の男が乗っている。


 小船が接岸し洋装の男が桟橋に降りた。男は黒髪で腰の左右に拳銃をさげていた。


「なんだ、奴は? 日本人みたいだぞ」


「下男として船に雇われた支那シナ人では?」


 小四郎の言葉に朋輩の一人が応じた。


「自分の国を阿片づけにした相手に雇われるか。死ぬまで戦う気概がないから戦に負けるのだ」


 清国はイギリスとの二度にわたる戦争、アヘン戦争とアロー戦争に敗れて半ばイギリスの植民地と化していると聞いた。


 支那人がイギリス人に雇われているのであれば先の小四郎の言葉はあてはまる。

だが、アメリカ船に雇われているのだとしたら小四郎の言葉は正しくはなかった。


 とはいえ、小四郎にとってはイギリスだろうとアメリカだろうと夷人の国など、どこでも同じだ。


 夷人どもは清国に続いて日本を植民地にするつもりに違いない。夷敵の植民地にされる前に、何としてでも日本から夷人を排除しなければならなかった。


 攘夷は孝明天皇の御意志でもある。


 小四郎は左手で朱鞘に触れた。亡き父、藤田東湖とうこの形見の品である。


 朱鞘を握った左掌の触感から、初めて、この刀を身につけようと思った時の決意が小四郎の身の内に思い起こされる。


 水戸藩の重臣であり、攘夷激派げきはの急先鋒であった父の遺志を継ぐのは自分しかいない。


 二人の兄が床の間の飾りとして身につけることのなかった大小を、あえて妾腹の小四郎が帯びるようになった理由は他でもない。父親の思想を最もよく受け継いだのは自分だ、という強い信念があればこそだ。


 小四郎は荒く息を吐いた。興奮が血液とともに体内を駆けめぐっている。


「幕府がやらんのなら我らがやる」


 小四郎は口を開いた。朋輩に対する決起の言葉であると同時に自身への宣誓の言葉だった。


「手始めは、あの支那人だ。夷人どもに我らの力を示すのだ」


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 外国人居留地と日本人居留地を結ぶ通りは、通称、骨董通りと呼ばれている。


 横浜に滞在する外国人の財布をあてにして道の両側に所狭しと骨董品を商う店が建ち並んでいた。


 漆器、青銅、象牙、磁器、水晶といった骨董品が値段も質も様々に販売されている様子は、さながら骨董の展覧会といった趣だ。


 怪しげな物から掘り出し品まで何か珍しい日本土産はないかと探し求める外国人相手に、商売熱心な日本人商人が片言の英語と身振りで盛んに商談に精を出していた。


 雑賀は港から外国人居留地を抜けて骨董通りを日本人居留地へ向かっていた。


「ヘイ、ミスター!」


 熱心すぎる一人の日本人商人が商品を手に雑賀の前方に立ちはだかった。


 やや小太りの小男である。


 雑賀は足を止めた。


 商人の顔に困惑の表情が浮かびあがった。


 雑賀の身なりからよく顔も見ずにてっきり外国人だと思って声を掛けたが、雑賀の顔立ちがあまりにも日本人のものであったのでとまどっているらしかった。


 雑賀は苦笑した。


「日本人だ。通訳としてアメリカ船に乗っている」


「ああ」


 商人は合点が行った様子で声を上げた。


「じゃあ、ぜひ買ってくださいな。岩亀桜ヤンキローあたりで芸妓に渡せば、おおもてになれますよ」


 岩亀桜とは横浜の遊郭で一番有名な茶屋の名前だ。


 商人は雑賀に持っていたかんざしの束を見せた。赤、青、黄など様々な色がついたガラス玉で飾られた簪だ。


 雑賀は赤い玉の簪を手に取った。


 ガラス玉が濁っている。


 お世辞にも質がいいとは言いがたかった。


 それに今のところ芸妓に会う予定もない。


 とはいえ、十年ぶりの日本人との日常会話を無下にうち切るのもしのびがたい。


「ドルでいいのか?」と会話を続ける。


 商人は「もちろん」と自慢げに頷いた。


「日本の金よりよっぽど信頼できますよ。開国このかた値上がり続きで昨日一分イチブで買えた物が今日は一分じゃ、もう買えません」


 商人は大仰に身をすくめた。


「わたしらは商品を値上げすればすみますが毎年一定の俸禄しかもらえない武士だったら開国を恨んで攘夷を唱えたくもなるでしょうね」


 年俸が変わらずに物価だけ上がれば実質的に年俸は下がったも同然である。


 その原因が、開国後、外国人が大量の小判を横浜から海外に流出させたためだと知れば外国人を排除したくもなるだろう。


 開国当時、日本では金一グラムの価値は銀五グラムに相当していた。


 一方、国際的な金銀の重量換算比率は一対十六。金一グラムは銀十六グラムに相当していた。


 日本から一グラムの金を外国に持ち出して交換すれば十六グラムの銀になる。その銀を再び日本に運んで金と交換すれば三グラム超の金が手に入った。


 日本と外国の金の価値に差があるために金貨である小判は、どんどん外国人に買われて海外へ流出することとなったのだ。


 徳川幕府は日本での金銀比率も他国同様、一対十六とすることで事態の収拾を図ったが、このとき広く通貨として国内に流通していたのは一分という銀貨であった。


 それまでは一分銀貨四枚が小判という金貨一両に相当していたのが外国人の小判買いあさりを防ぐために、突然、金の価値が銀の十六倍に変更させられた。


 しかしながら、実際に国内に流通している通貨の多くは一分銀であったため何を買うにも四倍の一分銀を支払わなければならなくなったのだ。


 要するに物価が四倍に上昇したのである。


 庶民も勿論だが、庶民よりも毎年決められた年俸しか収入がない武士階級の生活が一気に困窮した。


 すべては開国と外国人のせいである。


 外国人相手の商売にうまく成功した者を除けば誰だって攘夷を唱えたくなるだろう。


「かもしれねえな」


 雑賀は簪の代金を支払うと胸元に花を挿すように簪を胸ポケットに挿しこんだ。


「志士には気をつけて下さいよ。イギリス領事に通詞として雇われていた日本人が、このあいだ斬り殺されましたからね」


「だから、こんな物を持っているんだよ」


 雑賀は商人にウインクをして腰のホルスターの銃を叩いた。


 途端に話題を変える。


「ところで、美味い飯を食わせる店を知らねえかい?」

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