第12話 弓をひく

 早朝。


 私はまた夕焼けに囚われていた。夢だとわかる。凜華の頬をもう一度、触れそうになっては、夢だとわかっているのに、触れられずにいる。

 私がエストの記憶のせいで、抱きしめたいと思うように、凜華もジルの気持ちで、抱きしめられたいと思って……?


 うー……。


 考えては、それはあくまで過去の遺物で、凜華の意思ではない気がして、打ち消す。私もそうなのかな、凜華への恋、それは、エストのせいなのかな。


 いやちがう、エストと比べて、ずっとずっと大事なんだから。


「ともえ」


 名前を呼ばれて、凜華を見る。朝だ。爽やかな5月の風。

 私は、ジャージの上に胸当て?みたいなやつを付けて、板張りの床上に立たされていた。艶やかな黒髪を束ねた女性に、弓を渡される。

「そんなに自信満々なら、射てみて」


 弓道部部長だという彼女はずいぶん怒っている。


 寝ていた私は、状況がわからず、凜華を見つめるけど、彼女は不敵に笑う。

「わかったわ」

「……」


 なにをするんだっけ。


 そう、そうだ!


 エストの弓兵としての資質があるのかどうか試すため、道場にお邪魔した。弓道部に入部したいとうそぶいて、一射だけの魂胆だ。でも……与猶ともえの姿で弓に触るのは、初めてだし、エスト時代の弓よりずいぶん大きい。


「実際、素人にいきなり弓に矢をつがえて射るなんてことさせたくないんだけど、ずいぶんご自信があるようだから」


 凜華と部長が、バチバチと火花を散らす。それはそうだ。エストだって人に弓を貸すことはなかった。


「凜華、大事な弓を素人に貸してくれる優しい人だよ!」

「!」

「与猶さんは、わかってるみたいね。まあいいわ、どうぞ」


 態度が少しだけ柔らかくなった部長に、ぺこりと頭を下げる。


 私は弓と矢を見た。エストの時の、記憶は、矢羽をすこしだけ寝かせて、そうそう、やじりを親指で少し撫でて、つがえる。キリリと音を立てる弓の感覚が懐かしい。もう少し弦が硬くていい、けど、この柔らかさなら、……こうかな。


 私から矢が離れて、虚空に飛んでいく。少しだけカーブを描いたその軌道は、思った通り風にのり、的の真ん中に当たる。


「!!」

 部長が驚いたように、的と私を見た。

 凜華が遠巻きにコクンと頷いて、確認は済んだという顔をするので、私は部長に頭を下げた。

「本気でちゃんとしてくれるなら、仮入部を認めます。一カ月、きちんと通って、もちろん基礎錬、早朝練習も出てくださいね」

「は?部長しか出てないような早朝練習に!?」

 凜華が言うと、部長が赤い顔で何か言いたげに凜華をにらんだが、正論だと思ったのか、口を閉ざし、少し冷静になる。


「早朝は毎日は無理。だってこの人は、起きない!」

 凜華ははっきりと、「起きれない」ではなく「起きない」と断言されて、恥ずかしい気持ちになった。「今も本当は寝てる!」などと追加で言われいる。事実だ。


「だって」

 部長は少し涙声になる。

「カッコいいからって入部して、袴は揃えても練習は一切しないって人が多すぎる!ともえさんは突然素敵になったから、人気取りなんじゃないかって!」


 なるほど、そういうことでちょっととげとげしかったんだ。

「そうよ、そのつもりだったのに魂胆がバレたみたいね、いきましょともえ」


 確認だけのつもりだった凜華は、もう仕事が済んだとばかりに手を振る。

 よ、よし、いくぞ。頭を下げる。


「入部させてください!」

「え!」


 部長と凜華が一緒に驚いた声を上げた。


「ともえ!?」

「……こんな実力のある人が入ってくれたなら、あの、うれしいです、ええ、はい、あの、早朝練習も、気が向いた時で……」


 部長は、人が変わったようだ。


 ::::::::::::::::::::::


 やっと覚醒しだしたお昼休み。

 凜華は少し怒ったようになってる。

「どういうつもり」

 プンプンお弁当を食べる。

「あなた、部活に縁がないじゃない!」

 ぼさぼさだけど身長が大きいからと参加した部活で、とことん失敗したことを見続けていた凜華が、心配そうに言う。私を心配しての、ぷんぷんはひたすらかわいい。


「でも、弓を頑張ってみたくなったんだ。ひいてみたらやっぱ好きだったし、前に好きだったものは今も好きなのかも。今は力は強いし、荷物運びばっかでも気楽にできると思う。見守ってほしい」


 そう、夜のうちに、決めていたんだ。凜華のとなりにいる自信がつくように体力もつけたいし。でも凜華のプロデュース的には、運動音痴なとこを人に見せたくないのかも。


「無理やり、前世の好きだった事をしなくても」


 鎖骨のあたりを、綺麗に整えられた指先でつつかれて、凜華を見る。無駄にドキンと心臓が鳴った。

「前世で好きだったものは、やっぱり好きなんだよ」

ちょっとだけ言外の気持ちを込めたのに、凜華には気付かれなかった。

「おうえんしてるけど!また理不尽に雑用係になったらいうのよ!」

 バレー部でもバスケ部でも、やめるときは凜華が乗り込んでくれた。それは本当に心強い武勇伝なんだけど、割愛。やっぱりプロデュースよりも私を心配してのことみたいで、ときめく。

「でも苦手なことを頑張ろうとするとこ、結構好き」

 淡く凜華の瞳が揺れて、ほほ笑む。

 これは、私なのかエストの気持ちなのか。




 ──抱きしめたい。


 ダイエットのために野菜・タンパク質多めのメニューを続けてシュッとしたし、エストの能力のおかげで、見た目通りの力持ちになれたんだけど、気持ちはそんなにすぐシャキッとはできない。うずくまる。


「なんなの?しゃきっとして!」


 だって凜華が!好きだなって思うようなことを言うから!!!


 これは絶対、私側の気持ちだ。好きなものは、何年経っても、それが生まれる前のモノじゃなくても、好きなんだ。

 まるで射止められたよう。赤くなってしまう。凜華から隠すように手で覆った。凜華には、好きな人がいるんだってば。

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