第8話 葛藤
凜華が、私の部屋にいる。
「お風呂ありがとー、さて、何から話す?」
中学のジャージを着る私に、凜華が怒る。凜華には私のTシャツにジャージの半パンを貸した。Tシャツも大きくて、なにもはいていないように見える。
いつもならそんなの、全然気にならないはずなのに。
当然だけど、私の家のお風呂一式の匂いがして、色々戸惑う。
お風呂上がりの肌は普段の肌よりもずっと透明感があって、化粧っ気のない凜華を初めて見た。
一緒にスキンケアを塗りたくって、ふたりではしゃぐ。凜華のまつ毛が濡れて輝く。少し幼くて、こうみるとやはり、前世のジルに似ていた。
そして、私は、ひとつの感情に支配されていた。
──抱きしめたい。
なんなんすか、これ?
「エストとジルは、幼馴染で、同じ村だったよね、ジルが結構いい家の子で、エストとそれから、アリューシャ。この子が勇者。魔物を倒せる力を持ってる。私は賢者で、エストは弓兵ね」
凜華は、持参したノートに、きれいな字で書き込んでいく。思いだした記憶のすり合わせをしたいようだ。頭がいい凜華はきっと、前世から知識欲を授けられたんだろう。単純に膨大な知識が頭を占めているらしい。
私、性欲をさずけられたってこと?さいっていじゃない!?
時系列を書き出す凜華に、私はドキドキとする心臓を気付かれないよう極めて冷静に、自分が覚えている過去を話した。
エストが父親に化け物扱いされたこと、ジルは裕福な家に育てられていて、そんなエストを助けたこと。アリューシャはそんな二人の幼馴染だったこと…。
凜華が言いながら、まとめノートに「アリューシャを探す」と小さく書いて、ウンと頷いた。
「三人の村が魔物に焼かれて、無事だったのはなぜ?勇者の力を覚醒したのは16歳ごろのはずなのに。時系列が何個かある感じ」
「覚醒する前から、なにかに守られてたとか?」
「ファンタジーね!まあ過去の記憶を思い出すとか、ファンタジー以外の何物でもないけど」
凜華が、ふうとため息をついた。
「ね、ともえ、持ち上げてみて」
凜華が、「抱っこ」というように手を広げる。
な、な!?
頬が赤くなるのが分かった。だってその願望と、戦ってるのに!
エストは、怪力の持ち主。無尽蔵な体力で運動神経抜群の弓兵だった。私は運動神経もなく、ザコで力も弱い与猶ともえ。記憶と同時に力も戻ってるか確認したいんだろう。でも!!
「他にいくらでもっ」
ベッドの脇をもって指先でつまんで少し持ち上げるふりをすると、軽い様子でベッドが持ち上がった。ふたりで「おお」と思わず感嘆の声。これは掃除が楽に……私は、うす汚れた床を見た。
「順番にひとつずつ!今日は話し合い!」
凜華になだめられて、これからはちゃんとしようって思った……恥ずかしっ。
凜華は腕を組む。
「この覚醒した力、魔王を倒すためだったらどうする?」
問われて、思わず笑ってしまうけれど、ある日いきなり戦うことになったら?
ひどく喉が渇く気がした。
「そうだ、弓道部があったから、弓を引かせてもらいましょうか」
「部活か」
「あなたけっこう部活運が悪いから、入れとは言ってない」
身長だけ大きくて、望まれて入っても、力が弱くてずぼらで面倒くさがりの私が雑用係になっていく様を、凜華も思いだしたようで、はぁとため息を吐く。
「でも、やっぱり部活は入ってみたいな、皆でワイワイたのしい感じに」
「あなたほんっと、お人よしなんだから」
なんでさ、友達100人に憧れたことないのかな。
「お茶でも入れる?お風呂の後だけど」
気分転換になるかと、凜華に問う。
「白湯にしましょう、22時には寝たいし」
「美容、ほんと詳しいよねえ」
「私。卒業したら、美容関係の仕事に就きたいの」
「へえ、初耳」
「今初めて言ったもん。ともえ以外、誰にも言ってないの!」
凜華は少し照れたようにポコッと私にふれる。記憶が戻ってから、本当に少しだけだけど、凜華の話かたが柔らかくなった気がする。ジルは、朗らかで甘えんぼなで、いつでも笑顔。アイドルのようなウインクの癖。お茶目な会話を心がけているような子で、えっと、だから、今、凜華が「もん」とか言って、私にだけ未来の夢を語ってくれたことに、少し動揺した。
カワイイ。
「似合うよ、凜華ならきっと成功する」
そう言うと、凜華ははにかんで笑ってから、「あっつい」と言いながら照れた頬に手を添えた。
──うん、可愛い。
なんだろう、前世の感覚が私の中にあるせいだろうか。
エスト──、前世の私は、希死念慮が強く、そんなエストを献身的に支えているジルの恋心を利用して、いつでも思うまま気ままに抱いて、愛を囁く。ジルだけが心の支え、一筋の光だったくせに、空虚な人。死に惹かれている。エストは親との葛藤もあったのかな、そんなの、忘れたらいいのに。
『愛されてる人にはわからないよ』って、エストの心では、思ってしまう。愛されててなにが悪いのさ!
──
(抱きしめたい感覚があるのは、絶対にエストのせいだ)
夜はまだ始まったばかりで、私はまだまだその欲求に打ち勝たねばならなかった。
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