ポンちゃんはもう来ない

尾八原ジュージ

ポンちゃんはもう来ない

 ポンちゃんが死んだ。最近来ねーなと思ってたら、どうもセフレの恋人にコンクリートブロックで頭割られて死んだらしい、と人伝に聞いた。実は大学内ではそこそこの騒ぎになってたらしく、でもそれに三日くらい気づかなかったのが、おれらしいといえばおれらしかった。

 ポンちゃん。あの美しく愛すべき男。もうあんな生き物には二度と会えないだろうなと思ったら、悲しみを通り越して虚無だった。この広い宇宙のどこを探しても、もうポンちゃんはいない。


 ポンちゃんが中学校の学ランを着て、皆にはポンタとか本田くんとか呼ばれていたころ、おれは初めて彼に出会った。おれは陰キャ、ポンちゃんは隣のクラスの有名人だった。

 確かにとびきり顔のいい男ではあったけど、それはごく普通の――というのも変なのだが、後のポンちゃんのようにやべー奴ではなかった。陽キャの美少年、とりたてて弱点もなく、やらせてみれば大抵何でもできるやつで、当たり前のように人気者だった。おれなんかとは全然違った。ところがたまたまジャンケンで負けて入った美化委員会で一緒になり、ポンちゃん――というか当時は本田くん――は陽キャだから、おれみたいな陰キャにもガンガン話しかけてくる。

「不破くん、水やり超真面目にやるじゃん。花とか好きなん?」

 いやべつにと答えると、正直かよ〜と言ってゲラゲラ笑う本田くんは、どんなにバカみたいなことを言っていても一定水準以上の美しさを保っていた。おれはイケメンすげーなと感心した。それくらいの間柄に過ぎなかった。

 別々の高校に通うためにバラバラになり、再会したのがなんと上京後の大学時代。ポンちゃんがおれを見つけてくれたのだ。

「不破くんって不破くんだよね!? ウソ、奇跡じゃね? ねぇおれのこと覚えてる!?」

 誰かと思った。ポンちゃんは会わない間に身長が伸びて顔は大人っぽくなり、黒い髪を伸ばして華奢なピアスをつけ、中性的な魅力に溢れていた。話しかけてきたときの笑顔はひたすら明るくて、よく見れば中学時代の面影が残っていた。

 でも二十歳の夏、花火大会の夜に、藍色のTシャツを着てにっと笑った顔は、おれが知ってるポンちゃんと全然違った。火薬の微かな匂いとアルコールの火照り、夜闇に浮いて見えるような白い頬、どうしてあのとき二人きりだったのか、おれは思い出すことができない。

 ポンちゃんはおれの手首を引いて、屋台のない路地に飛び込んだ。暗い方に歩いていくにつれ、祭の喧騒が遠くなった。鼻先がぶつかりそうな距離で「キスしよっか」と言われて、おれ男なんだけどと言いかけた言葉は、ポンちゃんに瞳を覗き込まれると喉の奥で瞬時に溶けた。ポンちゃんの舌は女の子みたいに薄くて、熱かった。


 ポンちゃんは、おれのアパートに時々転がり込むようになった。

「ポンちゃん、自分ちは?」

 そう聞くと「いづれーんだわ」と笑う。

 ポンちゃんは高校のとき、シングルマザーだった母親が再婚して、一家で上京してきたらしい。だから実家から大学に通えるのだが、それをあえてやらずにおれの――というかあちこちの男の部屋に、野良猫みたいに上がり込んでいるらしかった。

 それを聞いて、いっぱし彼氏気取りだった気持ちががくんと崩れた。ポンちゃんにとっておれは大勢の中のひとり、いわゆるワンオブゼムだったのだ。「全員とやってんの?」と聞くと、ポンちゃんはニヤニヤ笑いながら「そうだよ」と答えた。ポンちゃんはいつも挿れられる側で、実は童貞なんだよねぇとまた笑うのだった。

 ポンちゃんが、おれの知らない男といちゃつきながらコンビニから出てくるのを目撃してしまって、慌てて隠れたことがあった。おれより背が高くて断然モテそうな男の大きな手が、ポンちゃんの細い腰を抱いていた。

 それから二日後、ポンちゃんはふらっとおれの部屋を訪れた。おれは目の当たりにした浮気現場にまだ怒っていて、怒りのままに常備してるゴムがなくなるまでやりまくってやろうかと直前まで思っていたのだけど、できなかった。ポンちゃんは目の下に青痣があって、首筋に湿布を貼って、「わりーな湿布臭くって」とヘラヘラ笑った。

「どうしたそれ。痛くない?」

「いてーよ」

 ポンちゃんは影の多い笑い方をした。

 その夜おれは、はやる気持ちをボコボコに押し殺して、一回だけ、すぐ壊れる砂糖菓子を相手にしてるみたいに、ポンちゃんを抱いた。

「ポンちゃん、そのケガさぁ、別の男にやられたん?」

 おれはそう尋ねると共に、コンビニから出てきた男の特徴を羅列した。ポンちゃんは意外にも「違うよ!」と真剣に否定した。

「これなぁ〜。不破くん、ないしょにしてよ」

 そう前置きしてから、おふくろにやられたと打ち明けてくれた。

「こんくらいの酒瓶でさぁ、死ぬかと思ったぜ! ワハハ」

「笑い事じゃないんだよ」

「まー、しょうがないよね。おれがお父さんと寝るからさぁ」

 はあ!? ってすごい声が出てしまった。

「おまえ、おふくろさんの再婚相手とやったの!?」

「おれがやりたくてやったんじゃないよ」

 ポンちゃんはそう言って、急にそっぽを向いてしまった。おれは(まずいことを言ったな)と悟った。でもポンちゃんが最初にそういう言い方をしたんじゃん……と言い訳を心のなかで繰り返しながら、黙ってポンちゃんの白い首筋を見ていた。黒髪が緩い曲線を描きながら肩に落ちているのが、美術館に飾られている絵みたいに綺麗だった。

 しばらくすると、ポンちゃんがぱっとこっちを向いた。で、

「アイス食べるの忘れてた!」

 と叫んだ。ポンちゃんが買ってきた、ドラッグストアで値下げになってたというちょっといいアイスクリームが、冷凍庫の中でほったらかしになっていたのだ。おれはほっとして、笑って、二人でアイスを食べた。

 それからおれは、冷凍庫にアイスを常備するようになった。二人の間の空気が沈んだときはポンちゃんに「アイスあるけど」と声をかけ、「よっしゃ食おうか」となればその時だけでも空気は明るくなって、救われたような気がした。

 もちろん何の解決にもなっていなかった。そもそも和姦じゃなかったんならそれ相応の機関に通報とかすべきじゃないかとか、いくらポンちゃんが成人でも、こういうときはもっと人生の経験値が高い大人に助けを求めるべきじゃないのかとか、色々考えはしたけど結局おれは無力のままだった。

「おれとやっちゃう以外は問題ないお父さんだからさあ」

 ってポンちゃんは言う。それは今までのおふくろさんの男に問題がありすぎただけだろ……と思うんだけど、でもポンちゃんがそう言って流すのなら、おれは首を突っ込めなかった。

 ポンちゃんがあちこちで男とばかりやってた理由がわかった気がした。ポンちゃんは「お父さん」をワンオブゼムにしたかったんじゃないか。おふくろさんの選んだ再婚相手は間違っていない、こういうことになったのは自分がこういうやつだから、だから自分が悪いんだって、そういうことにしようとしたんじゃないか。

 それを本当っぽくしてしまうだけの魅力が、残念ながらポンちゃんにはあった。おれもそれに惹かれたひとりだったから、罪深かった。


 ポンちゃんの実家は、中学の同級生に聞いた。

 都内のでっかいマンションだった。線香をあげたいと言って訪ねると、おふくろさんが玄関に出てきた。ポンちゃんの母親だから相当美人だが、幽霊みたいに青白くて窶れていた。

 なんでも、葬式にやってきたポンちゃんの恋人だっていう男に、おやじさんが殴られたらしい。そのうえそいつが連れ子に手を出してたことを弔問客一同の前でばらされ、あちこちから責められて、もうへとへとなのだそうだ。

 おれは、おふくろさんのことはどうでもよかった。鬱みたいになっちゃったとかいうクソおやじのことも、普通に逮捕されたっていうポンちゃんを殺した女の子のことも、正直そんなに気にならなかった。それはポンちゃん自身が、わかっていて招いた結末の一部だという気がした。

 それよりも、葬式に現れた男のことが気になった。そいつは、いつだったかのコンビニのイケメンだろうか。誰にせよ、おれができなかったことを彼はやってくれたのだ。おれは本当にワンオブゼムだった。おれは臆病で、自己中心的で、こうやって線香をあげることと、アイスの買い置きを切らさないくらいしか、ポンちゃんに対してやってあげたことはなかった。

 実は、今でもアイスは買う。未練たらしく、ポンちゃんが好きだったチョコミントのやつを、おれはあんまり好きじゃないのに、冷凍庫の中に常備している。もちろん、ポンちゃんはもう二度と来ない。

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