38 戦後処理 01 政務

 エルムステルの街は、領主とその家族が領民を見捨てて逃げ魔族たちに皆殺しにされ、騎士団も壊滅し、統治機構は崩壊寸前になっている。街の幹部級の者共も領主と一緒に逃げて殺され、領主に見捨てられ街に残された役人たちは自分のするべきこともわからない烏合うごうの衆になっていた。騎士団も多くが戦死もしくは負傷した。逃亡する領主を守るために同行せよという命令に逆らって、自分たちの家族や街の住民を守るために街に残って防備をしていた騎士や兵士たちも、指揮系統は崩壊していた。それらを応急的にであっても立て直す必要があった。



「仕事は多いだろうとは予想していたが、予想以上だな」



 官庁にある領主の執務室では、本来の主ではない男が暫定ざんてい的な主になっている。黒髪の、暗いものを感じさせる灰色の瞳を持つ男。人間不信の魔法剣士バート。この男はきらびやかな装飾に満ちた部屋でも鎧をまとったままでいるのは場違いであるが。彼は領主代理でしかなく、正式に統治を引き継ぐ者を送ってもらえるように、帝国のフィリップ第二皇子に使者を出している。



「でもそのいっぱいある仕事を処理できるバートさんはすごいです」



 明るい金色の髪と美しい青い瞳を持つ可憐かれんな少女、ホリーもこの部屋でバートの手伝いをしている。ホリーは今は普通の服を着ている。ただでさえ慣れない作業をするのに、鎧まで着ていたらまともにできるはずがない。ホリーがするのは雑用だけだが、それでも彼女にとっては慣れない作業だ。

 なお官庁に出入りするからにはいつまでもホリーが村娘や町娘のような服を着ているのはよろしくないと、領主に仕えていた仕立屋したてやが大急ぎで動きやすくかつ上品な服を用意している最中だ。彼女はそのような格好をするのは落ち着かなさそうだと思っているのだが。




 そうして政務をしていた彼らのいる執務室に役人が来た。扉がノックされホリーが扉を開けて役人を迎え入れ、ホリーは自分にあてがわれた机の側で待つ。机を前にしたバートの対面に立った役人は書類の束を手にしている。この世界において植物性の原料を使用した紙も一般に使用されている。



「次の書類はそれか?」


「はい。こちらでございます」


「あちらのお嬢さんの机に置け。今そちらにある書類は処理が終わっているから、各部署に分配して対処しろ」


「こちらです。お願いします」


「はい。かしこまりました。ではこちらはお願いいたします」



 指示を受けた役人は処理の終わった書類の束を手にして退室する。残った役人たちも命令をされることに安心するという感情があるのか、バートの指示におとなしく従っている。旧チェスター王国領の支配層側の者たちにとって冒険者は見下す対象であるし、最初は彼らもその態度を隠せていなかったが、バートの働きぶりを見ててのひらを返した。バートが賄賂わいろの授受を禁止する指示を出したことには悔しがる役人たちもいたが、賄賂は帝国の法で禁止されており、その者たちも反発するにもできないでいた。



「役人さんたちもきちんと生活できるようになって良かったです」


「彼らも生活するためには給金を受け取る必要がある。お嬢さんも理解しておく必要がある。人が不自由することなく生きるためにはある程度の金は必要だ。お嬢さんが欲深くなられても困るが」


「はい」



 役人たちも生活するためには給金を受け取らなければならないが、その財源となる街の資金の保管庫を死んだ領主が逃げる前に封鎖してしまっていた。それをバートの領主代理としての依頼を受けた盗賊のベネディクトと魔術師のシャルリーヌが、機械的な鍵と罠と魔法的な鍵を解除し、資金を出せるようにした。つまり役人たちにとって彼らは自分たちも生活を続けられるようにしてくれた恩人なのだ。バートは役人たちのために保管庫の開放を依頼したわけではなく、領主代理として施策しさくを行うための財源とし、その手足となって動く役人たちの給金を確保するためであったが。



「でもやっぱり悪い役人さんもいるのでしょうか……」


「ほとんどの人間の本性は悪だ。一見善良そうな者も、その顔の裏にはみにくい本性を隠している」


「……」



 ホリーにとって、バートがそう考えていることは悲しい。だけど彼女も悪い人間がいることは認めざるをえない。

 この街の役人にも、城門でホリーに目を付けた役人のような上にへつらい下には傲慢ごうまんに振る舞う者共もいるが、あそこまで極端な者ばかりではない。あの役人は今もこの街にいるのかそれとも領主と共に死んだのかは彼らは知らない。あの役人や他の門で同じような役割を与えられていた者たちは、領主のお気に入りとして、いずれまた領主の好みに合う少女たちを集めるためにと領主にお供して、魔族たちに殺されたのだが。



「でも、バートさんもすごいですね。皆さんもバートさんをめているようですよ」


「一時的とはいえ立場が上になっている私にこびへつらっているだけの者も多いだろう」


「……」



 ホリーも理解せざるをえない。この人は人間を信じていない。この人にとってはほとんど全ての人間は敵に見えているのだろう。

 だがバートに感心している者が多いことは事実だ。バートに一時的にでもこの街を統率するように頼み込んだマルコムたちにとっても、指示を受ける役人たちにとってもうれしい誤算であることに、一冒険者でしかないはずのバートの政務能力は高かった。とどこおっていた政務をたちどころに処理し、適切な指示を出していく。このほんの短期間で、役人たちはバートを自分たちの上で指示する者として認めるようになった。政務をおろそかにしていた死んだ領主の元で働くことに鬱屈うっくつしていた役人たちもおり、今はやりがいがあると張り切っている者たちもいるほどだ。バートにこびへつらおうとする者すら出てきているのだが、彼は人間などそんなものだと思って無視している。

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