36 悪魔族の将アードリアン 01 祈りと弔い

 頭に角を持ち、背中にコウモリのような羽があるという、人間が想像する悪魔そのものの姿をしている悪魔族の将アードリアンは、旧チェスター王国領北西部にある大きな街の邸宅に一時的な拠点を置いている。この街の名前を述べることにはもはや意味はない。街の住民は彼の配下の魔族たちと妖魔共によって皆殺しにされたのだから。アードリアンには赤子や幼児を含む無力な人間も殺すことに抵抗などなく、むしろ人間共を滅ぼすことこそが自分たち魔族の使命だと信じている。エルフやドワーフは抵抗しない者は見逃させているが。

 なお悪魔族とは人類側からの呼称であり、同胞たる魔族たちは彼らを悪呼ばわりなどせず、飛天ひてん族と呼ぶ。だがこの種族には人間種族に対して特に攻撃的な者が多いため、人類側は畏怖いふと憎悪を込めて悪魔族と呼ぶのだ。

 机を前にしたアードリアンの対面には、旧王国領南西部で活動していたゲオルク配下の魔族が報告するために立っている。飛行できるその魔族は機動力に優れ国境くにざかいを越えるのも容易だから、ゲオルクはその魔族をいざという時のアードリアンに対する伝令として任命していた。ゲオルクはアードリアンを毛嫌いしていたが、それで魔族の将としての通達義務をおろそかにする男ではなかった。



「ゲオルク様は、静かなる聖者バートとの堂々たる一騎打ちの結果、討ち取られました。イーヴォ様たちも鉄騎てっきヘクターとの戦いにより討ち取られました。ゲオルク様たちは軍師様から任された任務を完遂かんすいした上で、本懐を遂げられました」


「それは聞いている。だが信じがたい。あのゲオルクが人間に一騎打ちで敗れたのか?」


「はっ。ゲオルク様も静かなる聖者も、見事な戦いぶりでした」



 アードリアンも旧王国領で注意が必要な人物の名は知っている。静かなる聖者バートと鉄騎てっきヘクターもそのリストに名を連ねる人間だ。あのゲオルクが人間に一騎打ちで敗れたという報には彼も驚いた。ゲオルクが大軍相手に力尽きることはありうると考えていたが。

 遠距離通話できるマジックアイテムでも報告は入っていたのだが、直接の伝令と二重での報告を受けたのである。同様に魔王領にいる軍師ギュンターにも遠距離通話による報告は既に入っているであろうが、直接の報告もされるであろう。アードリアンにもゲオルクたちがどのように戦ったのか、その光景を見ていた者の報告を直接聞きたいという思いもあった。



「ゲオルクと静かなる聖者の戦いはどのようなものだったのだ?」


「静かなる聖者は剣技と魔法を使ってゲオルク様を少しずつ弱らせ、決定打を入れる隙をうかがうという戦い方でした。それは脆弱ぜいじゃくな人間の肉体的な限界からすれば、その弱みを克服こくふくするための戦い方と言えましょう」


「あのゲオルクが封殺ふうさつされたというのか?」


「いえ。静かなる聖者も危うい勝負だったのでしょう。ゲオルク様も一撃を静かなる聖者に当てました。静かなる聖者は防御魔法と盾でそれを受けましたが吹き飛ばされ、耐えられたのはぎりぎりだったのでしょう。静かなる聖者にもおそらく次はなく、もう一撃ゲオルク様の攻撃が当たっていれば、ゲオルク様が勝っていたでしょう。勝敗を分けたのは、紙一重かみひとえの差だったのではないかと」


「そうか」



 目の前の魔族の言葉が本当ならば、警戒する必要がある。ゲオルクは一対一での実力ではアードリアンよりも上だったのだから。静かなる聖者当人の実力に加え、いくばくかの幸運が彼に味方したのだろうが、それでも驚くべきことだ。



「ゲオルクの義兄弟たちは鉄騎てっきに三対一で敗北したのか? あの三体が一斉にかかれば、ゲオルク相手でも戦えたと思うのだが」


「はっ。イーヴォ様たちが敗北したのもぎりぎりの勝負であったと私は考えます。鉄騎も恐ろしく強力な戦士です。彼は魔法は使えないのだと考えますが、彼の身体能力は人間の限界を超えているのかもしれません。彼はイーヴォ様たち三体を相手取り、見事勝利を収めました。その戦いぶりも賞賛に値します。鉄騎も相当なダメージを受け、たおれたのが彼でも全くおかしくなかったとは考えますが」


「そうか。報告ご苦労。お前は魔王領に帰還せよ。我々はもう少し人間共を殺してから帰還する」


「……はっ」



 報告に来た魔族は退室する。アードリアンが戦う力も持たぬ人間共を虐殺していることに不満げな様子ではあるが。その魔族もゲオルクと同じように、人間共は滅ぼすべしという魔族の神聖な義務を理解していないのであろう。

 アードリアンは控えている同族の副官のモーリッツに声をかける。



「ワインを持ってこい。赤だ。グラスは五つ」


「はっ」



 モーリッツが退室し、程なくワインの瓶とグラスを盆に乗せて持ってくる。副官は一つを机のアードリアンの前に、残り四つをアードリアンの対面側に置く。そして血のように赤いワインを五つのグラスに注いで退室する。忠実な副官はアードリアンが自分に何を求めたかを理解していた。

 ガラス瓶入りのワインや美しいガラスのグラスは人間共にとっては高級品のようだ。このワインも邸宅の主人だった人間が秘蔵していたもののようだが、彼らにとってはそれはどうでもよい。



「ゲオルク。貴様たちの望みが果たされたことは祝ってやろう」



 アードリアンは自分の前に置かれたグラスを持って掲げ、ワインを飲み干す。

 そして彼は立ち上がって、机の上に残った四つのグラスを一つずつ胸の前に掲げ、窓際まで運んでグラスを傾け、ワインを外にこぼす。それを四回繰り返す。それは彼なりのゲオルクたちに対するとむらいであった。

 ゲオルクが強敵と戦いたおれることを望んでいたのは魔王軍でも有名であり、彼もそれを知っていた。ゲオルクたちは彼を毛嫌いしていたが、彼はゲオルクたちのことが嫌いではなかった。むしろその堂々たる在り方をある意味では尊敬していた。ゲオルクたちが人間共を皆殺しにしようとしなかったことは許しがたいが。

 アードリアンが独り言をこぼす。



「だが静かなる聖者と鉄騎てっき……まさか人間が一騎打ちでゲオルクを破るとは、警戒が必要かもしれんな。仮に戦うとして、私も一対一で戦うのは不利かもしれん」



 その言葉とは裏腹に、彼の様子はどこか楽しげだ。彼も武勇に優れた者として、強い敵と競い合い、そして勝ちたいという欲求がある。その点では彼はゲオルクとは似ているようで対照的なのだろう。彼は戦場で死ぬのではなく、せいぜい長生きしてやろうと思っている。死んでしまえば、人間共をそれ以上殺すことはできなくなるのだから。



「偉大なるアルスナムよ。我ら魔族に加護を。我らは人間共を滅ぼし、あなたがお望みの美しい世界を実現しましょう。そしてゲオルクたちの魂に安らぎあれ」



 アードリアンは悪神アルスナムに祈る。加護の希求ききゅうと、そしてゲオルクたちの魂の安息を。

 アードリアンは人間共を世界そのものを食い潰す害悪だと考えている。そのみにくてのない欲望は、妖魔共よりもたちが悪い。妖魔共も欲望が垂れ流しの醜い存在だ。人間共を滅ぼすことができれば、妖魔共も用済みだ。偉大なるアルスナムもそれをお望みであろう。

 人間共は偉大なるアルスナムを悪神と言っているが、彼のような魔族からすれば人間共こそが世界の害悪なのである。人間共は己らを善と錯覚して偉大なるアルスナムを悪とののしるなど、あまりにも不敬だ。人間共がアードリアンを悪と言うことは、確かに自分は人間共を殺し尽くそうとして、現に赤子や幼児まで含めて虐殺しているのだから、そう言われることは理解する。だがそれは人間共も我ら魔族を殺すのだから、お互い様であろう。

 神々の時代を初めとする人間共が繁栄を謳歌おうかした時代は、彼のような魔族からすれば世界が人間共に食い潰される危機にさらされた時代だった。人間共を野放しにすれば、いずれこの世界は滅ぶだろう。それを許すわけにはいかない。一方エルフやドワーフたちはそのような時代においても自然と共生していた者共であり、人間共のように有害ではないからこの世界に生きる者として共存していいのだが、彼らは人間共をかばい立てして魔族に抗うから困ったものだ。



「人間共のみにくい欲望は、我ら魔族が消し去りましょう。この世界から人間共も妖魔共も消し去りましょう」



 そのアードリアンからしてみれば、この街の領主の館のような華美な装飾やいかにも手間暇をかけているのが明白な調度品や芸術品が並び、莫大な財宝が蓄えられた豪奢ごうしゃな建物は、人間共の欲望が結晶化したような醜いものに見えている。彼は当初領主の館をこの街での一時的な拠点にしようとしたのだが、あまりの醜さに耐えかねて、それに比べればはるかにましな小規模な商人の邸宅を拠点として使っている。目障りな装飾を凝らした調度品類は一室に放り込ませて、簡素で丈夫な家具類を民家から運び込ませて。華美なものも作りは上質で使いやすいなどのメリットもあることは認めるが、彼からすれば無駄にりすぎた物品に対する嫌悪感の方がまさった。

 彼の配下の魔族たちと妖魔共もこの街の主を失った建物を一時的な駐留の場としている。人間が生活するための建物では小さすぎる大柄な魔族たちは、神殿や公的な施設などの人間が使うには大きすぎる作りの建造物を使っている。魔族たちといえどもいつまでも野営を続けるのは嫌気が差すから、屋根のある建物で過ごせるならその方がいい。



「この世界を穏やかにしましょう。この世界を調和と友愛をもって共存できる者たちの楽園としましょう。そのために人間共と妖魔共を消し去りましょう。偉大なるアルスナムよ。我らに加護を」



 それは真摯しんしな祈りであった。それが人間たちに災厄さいやくをもたらすことを誓うものであっても。

 妖魔共は刹那的せつなてきな欲望の権化のような存在だが、より高等な魔族たちは物質的な欲望はそれほどないのが一般的だ。魔族たちにもうまい食事、うまい酒を求める欲はある。物品を取引するために彼ら独自の通貨も使用する。だが、金銭や物品に強く執着しゅうちゃくする者はほとんどいない。せいぜい武器や防具を含めた実用的な物品にこだわる程度である。それらを多少飾り付けることもあるが、装飾品や芸術品などの優先度は低い。魔族にも物好きな者もいて、人間の作った芸術品を集めたり、自分自身でそれらを作る者もいるが。

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