26 救援要請

 ホリーたちが水浴びをしている頃、バートとヘクターたちは水浴びの順番を待つために待機している。奇襲などを受けないように見張りも任命している。冒険者たちには討伐戦は終了したのだからここまで警戒しなくてもいいのではないかという空気も漂い始めているが、バートとヘクターはそれをいましめている。まだ自分たちが討伐していない妖魔共がいるかもしれないと。既に妖魔を討伐した街や村でも、どこからかまた別の妖魔集団が来ているかもしれないと。

 だがこの地域の、彼らが任務として行動する範囲の妖魔集団があらかた討伐されたことは事実なのだろう。彼ら冒険者集団の戦果は目をみはるばかりなのだし、領主が派遣した騎士団も動きは鈍いながら五集団もあって、そちらも犠牲を出しながらもそれなりの戦果を上げている。バートたちはマルコムから渡されたマジックアイテムで相互の情報を交換しており、騎士団の動きもマルコムの使用人から聞いていた。

 その時、小鳥の形をしたそのマジックアイテムが声を発した。マルコムとの取り決めでは、バートたちは戦闘中の可能性があるため、基本的にバートたちからしか連絡を入れないことになっている。



『バート君! 聞いているかい!?』


「聞いている。あなた自身から連絡してくるとは、何かあったのか? 現在は話をしても問題はない」



 その声はマルコムの使用人ではなく、マルコム自身のものだった。



『あ、ああ。エルムステルの近くに魔族の軍団が出現した! 領主様の騎士団は壊滅状態らしい! 助けてくれ!』


「……なに? 我々がエルムステルに戻るにも、あと二日はかかるぞ」


「まさか……妖魔共はエルムステルから戦力を引き離すためのおとりだったってことか!?」


「バート殿が危惧きぐしておったのはまことだったということか」


「そんなことがあるなんて……」



 マルコムの言葉に、バートたちの周囲にいる冒険者たちがざわめく。

 バートは危惧していた。妖魔共があまりにも手応えがなさ過ぎる。囮の可能性もあると。これまでの妖魔の大侵攻ではそのような事例はなかったようだとはいえ、今回もそうであるとは限らないと。それは領主と騎士団が考えることであって、雇われの身である冒険者たちが考えることではないのだが。

 彼らもそこまで心配しているわけではなかった。エルムステルからは騎士団の半数程度と冒険者集団が不在にしているとはいえ、街にはまだ騎士団の半数は残っているのだから。街には貧弱とはいえ堀と土塁どるいと柵もあり、多少大規模な妖魔集団が街を襲撃したとしても、十分に防げるはずだった。

 だが妖魔どころではない魔族の軍団が現れたとならば、話は別だ。彼らがエルムステルに戻ろうにも、二日はかかる。



「敵は妖魔ではなく、魔族なのか」


『そ、そうらしい。妖魔は一体もいなくて、全部魔族らしい』


「街は攻撃を受けているのか」


『い、いや。魔族の軍団は攻撃せずに留まっている。逃げようとする人たちは殺されているようだけど、街に引き返す人たちは見逃されているようだよ。領主様は生き残りの騎士団と一緒に逃げようとして、皆殺しにされちまったようだ』


「魔族の数は?」


『そ、それほど多くはないようだ。五百体くらいじゃないかと聞いている。それで魔族たちの将のゲオルクという奴がバート君とヘクター君との戦いを望んでいるって書いた紙が空から街にまかれたんだ! 君たちが来なければ街を攻撃するとも!』


「……」


『君たちが十日以内に来れば、街を攻撃しないとも書いてある! 頼む! 報酬ははずむから、助けてくれ!』


「承知した」



 バートにはそんな無謀なことをする筋合いはないはずだ。そんな所に行けば、命を落とすのは間違いないのだから。しかもバートは人間の大半は妖魔同然の存在だと思っているのだから。たとえ冒険者たちと一緒に街に戻っても、五百体とこちらの数の五倍もの魔族を相手に戦えば、いくらバートとヘクターが強くとも全滅は必至だ。エルムステルの騎士団を壊滅させたというのだから、その魔族集団の力は本物なのだろう。それなのにバートは迷いもしなかった。




 そして水浴びを終えた女性陣が合流する。彼女らは深刻な雰囲気の男性陣に不思議そうな顔をしている。

 バートが口を開く。



「エルムステルのマルコム氏から連絡があった。街に魔族の集団が接近し、騎士団は壊滅したようだ。逃げようとした領主も殺されたらしい」


「なんだって!? みんなを助けに行かないと!」



 リンジーはまっすぐな性格だ。すぐに街の者たちを助けに行くべきと言う。だがバートの言葉には続きがある。



「敵の頭目は、私とヘクターとの戦いを望んでいるようだ。私たちが来れば、街は攻撃しないと」


「まあ俺とバートは逃げるわけにはいかねえよな」


「そんなの嘘に決まってるじゃない! あなたたちが行ったところで!」


「君たちはこの場で解散して逃げろ。君たちが来ても死者が増えるだけだ」


「……!」


「あなたたち……死ぬ気?」


「そうなるだろうな」



 ホリーもシャルリーヌたちも絶句する。この男たちは死を覚悟して、敵は本気で街を攻撃しないと言っているとは思えないのに、敵集団が待っている所におもむこうとしているのだから。



「そしてシャルリーヌたちには私から依頼をする。報酬は払う。お嬢さん……ホリーをフィリップ第二皇子殿下の元に送ってほしい」


「……」



 この男はシャルリーヌたち四人の冒険者たちを見込んでいるのだろう。ホリーを任せてもいいと考えるほどに。

 そしてこの男は本当に死を覚悟しているのだとシャルリーヌは悟った。ホリーのことをお嬢さんと言いかけてから名前で言い直したのは、尋常じんじょうならざる覚悟があるのだろう。それを止めようにも、彼女の口は動かない。感情的になるには彼女は聡明そうめいすぎた。彼女も理解はできるのだ。ホリーは聖女であるのだろうから死なせるわけにはいかず、フィリップ第二皇子の元まで送る必要がある。一方バートたちが挑戦から逃げれば、彼らの名声は地に落ちて誰も彼らを信用しなくなるだろう。彼らが行こうと行くまいと街が壊滅するのは確定しているだろうが、彼らはそうするしかないのだ。それはバートの考えを正確に見抜くものではなかったが。



「敵集団の指揮官は無駄な殺戮さつりくは好まない魔族の可能性が高い。私とヘクターがおもむけば、エルムステルの街への攻撃はしないかもしれない」


「……」



 バートには自分とヘクターの死を無駄なものにはしない目算があった。無意味な殺戮を好まない魔族たちがいることは賢者たちには知られており、バートとシャルリーヌもそれを知っていた。

 だがここにはそれをくつがえす者がいる。



「嫌です! 私はバートさんたちを置いて逃げたくありません!」



 ホリーだ。彼女はこれまで遠慮がちに振る舞い、バートたちの言葉に異を唱えることはほとんどなかった。それなのに今回ばかりは強く主張した。



「お嬢さん。君は死なせるわけにはいかない。私は逃げるわけにはいかない。これ以外に方策はない」


「嫌です! 私もバートさんたちと一緒に行きます!」



 ホリーは強い意志を込めた視線で、バートの暗いものを感じさせる灰色の瞳を見つめる。

 しばし二人は無言のまま見つめ合う。

 そして視線を外したのはバートだった。

 ホリーの言葉はシャルリーヌの心も動かした。



「バート。ヘクター。あなたたちの負けよ。あと、私もエルムステルに行くから」


「まったく。あんたたちも馬鹿な男だね。あたしはそんな馬鹿も嫌いじゃないよ」


「うむうむ。男子たるもの、こうであらねばな」


「ま、なんとかなるさ」


「……」



 シャルリーヌたちもバートたちに同行すると申し出る。冒険者たちも次々と同道するという意思を口にする。彼らはもうバートたちを自分たちの仲間だと認めている。もちろん彼らも人である以上は命は惜しいという感情はある。だが仲間と、そしてエルムステルの人々を見捨てることはできなかった。

 ヘクターが嘆息たんそくする。



「はぁ……バート。諦めよう。お嬢さんもみんなも俺たちが逃げろと言っても聞いてくれそうにない」


「……わかった」



 ヘクターとバートも折れた。

 冒険者たちが勇壮なときの声を上げる。一人の脱落者もいなかった。

 ホリーがバートの手を取る。



「私はあなたと共に行きます」


「……わかった」



 手を取られバートはホリーの目を見るが、すぐにまぶしいものを見たかのように視線をらす。強い意志を込めたホリーの言葉に、バートは拒否することはできなかった。

 ホリーにとってバートは不思議な人であるが、バートにとってもホリーは不思議な少女だ。この少女は少し前までただの村娘だったのに、なぜこれほどにまぶしいのか。こんな人間が存在するのか。バートはホリーを聖女なのだろうと思っているが、聖女という存在を盲信する気はなかった。彼はホリーという一人の少女に戸惑とまどっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る