02 少女は青年と出会う 02 二人組の冒険者

 少女の前には、魔法剣士の青年。少女は青年が怖い。凶悪な野盗相手とはいえ、表情も変えずに九人もの人を殺した青年が。

 青年が少女を見る。当然青年も少女が自分を見ておびえているのは気づいているだろう。だが青年は表情を変えない。いつしか少女を守るように囲っていた光の壁も消えていた。



なんじ、人なりや? 汝、心をさらせ』



 青年はまた少女にはわからない言語の言葉を二回発する。魔法だろう。少女は理解できない何かの力が自分に向けられたのはわかった。少女はなぜ自分が魔法を使われたのか理解できなかった。少女は混乱していた。自分は本当に助かったのだろうかと。


 そこに草や枯葉を踏む重い足音、そして金属がこすれ合う音が聞こえて来た。少女はその音を初めて聞いたが、それは金属製の鎧を着た者が動くと出る特有の音だった。

 姿を現したのは、鉄の塊のような重厚な鎧に身を包んだ、槍に斧頭を組み合わせたようなの長い武器ハルバードを持ち、腰にも剣を下げた偉丈夫いじょうぶだった。その兜から除く髪は金色で、瞳は青い。この偉丈夫も魔法剣士の青年と同じくらいの歳に見えた。

 現れた偉丈夫が声を発する。



「バート。俺を待たずに終わらせたのか? その子がいたから動いたんだろうけど」


「ああ。こいつらが目的の賊共だった。この少女も捕まってはいたが怪我はないようだ。もう少し遅かったら危うかったが」



 少女を助けた魔法剣士の名はバートというようだ。

 少女はこの青年たちが自分を助けてくれたことは理解した。まだ猿ぐつわを噛まされ、後ろ手に縛られたままで、礼を言おうにも声を出すことはできなかったけれど。



「ヘクター。周囲の警戒を頼む。この賊共に他に仲間はいないようだが、一応だ」


「わかった。そいつらの心は読んだんだな? その子も」


「ああ。この少女は単なる被害者のようだ」


「まあこの状況でその子が敵とは思えないけどな」



 偉丈夫いじょうぶの名はヘクターというようだ。指示されたヘクターという青年は油断なく辺りを警戒する。

 バートという青年は少女も敵の恐れがあると警戒していた。保護対象と思っていた相手が実は敵という事例はたまにある。優秀な冒険者ならなおさらその危険は身に染みている。人に化ける魔族もいるし、そして人であっても信用できるとは限らないのだから。

 少女は自分の心も読まれたと知り、自分も疑われたことが悲しかったが、命の恩人相手に責めることもできないと思い直す。それでもやはり悲しいという感情を抑えることはできなかった。



「君の拘束を解く。動かないでくれ」



 バートは剣を鞘に収め、少女の前に膝をつく。そして少女の猿ぐつわを外し、手を縛っている縄も解く。おびえている少女に対し、バートは安心させるために微笑みを浮かべることも優しい言葉をかけることもなく、淡々と作業をする。

 それでも少女は勇気を振り絞って声を出す。



「あ、あの……た、助けていただいてありがとうございます……」



 その声はか細く、途切れ途切れだ。

 バートという青年と視線を合わせ、暗い影を感じさせる灰色の瞳を見たら、ふと少女の心に浮かぶ言葉があった。



「王子……様……?」



 少女はなんで自分がこんなことを言い出したのか、自分でも理解できなかった。

 バートはピクリと眉を動かす。



「は……はっはっはっは! バート、あんたが王子様だってよ!」


「私たちは単なる冒険者だ」


「あ……す……すいません……」



 少女は恥ずかしさに声も消え入りそうになる。

 周囲の警戒を解かないままのヘクターの笑いと言葉に、ほんの少しのわざとらしさがあることに、少女は気づかなかった。



「あの……私はホリー・クリスタルと言います。助けていただいて、本当にありがとうございます」


「私は魔法剣士のバートだ。私にとっては礼を言われるほどのことではないが、君にとってはそうではないだろう。その礼の言葉は受け取っておこう」


「俺は見た目通りの戦士のヘクターだ。バート、その子、手に縄が食い込んで傷ができているじゃないか」


「そうだな。治そう。『水精と地精よ、やせ』」


「あ……ありがとうございます」



 ホリーはバートはひねくれた性格の人なのかもしれないと少々失礼なことを思った。でもバートが神聖魔法ではない治癒魔法らしきものを使って、傷がきれいに癒えて痛みも消えたことには素直に感嘆し、感謝した。魔法に詳しくない彼女は、この感想も心を読まれているのか読まれていないのかも判断はできなかった。

 クリスタルという村娘らしからぬ姓は、ホリーの先祖が王都で腕のいいガラス職人だったため王様からその姓をたまわったと聞いていた。今の彼女とその家族は農業と牧畜を生業とする普通の農民だから、普段意識することはないけれど。


 世界には大きく分けて神々の力を借りる神聖魔法、精霊たちの力を借りる精霊魔法、そして学術としての意味合いもある智現魔法ちげんまほうがある。他にもマイナーな魔法体系はあるが、おもだったものはこの三種類だ。

 村娘のホリーは知らぬことだが、神官戦士はともかく魔法剣士は冒険者でも珍しい。普通は戦士か魔法使いのいずれかに特化する方がより高みに至りやすいと言われているし、それは厳然たる事実だ。だが強力な魔法剣士ともなると、その力はよほどの戦士や魔法使いでも対抗するのは容易ではない。そしてバートは魔法剣士としてかなりの高みにいる男だった。彼は精霊魔法と智現魔法の使い手という、魔法剣士の中でもさらに珍しい男でもある。



「あ……すいません。私、自分でもやせたのに……」


「む? 君は見習い神官か何かか」


「はい……つい最近神聖魔法を使えるようになって」


「そうか。それは余計なことをしたかもしれない。神聖魔法を使える神官にとって、他人から癒やされることは屈辱と思うかもしれない」


「い、いえ。そんなことはありません。ありがとうございます」



 ホリーは恥じ入る。せっかく自分は善神ソル・ゼルムの啓示けいじを受けて神聖魔法も使えるようになって、あの程度の傷ならたちどころに癒やせたのに、それを忘れていたのだから。さすがに猿ぐつわで口を塞がれていた状態では神聖魔法も使えなかったのだけれど。心の中でソル・ゼルムに対する謝罪の言葉を思い浮かべる。

 彼女が忘れていたのも無理はない。彼女はつい最近まで魔法など使えないただの村娘だったのだから。彼女は後で落ち着いたら、ソル・ゼルムに謝罪と、頼もしい冒険者たちが助けてくれたことの報告、そして自分が助かったのは善神の加護かもしれないと感謝の祈りをささげようと決めた。



「で、バート。依頼の荷物がどこにあるかわかったか?」


「ああ。こいつらは近くの小川をさかのぼった先にある使われなくなった猟師小屋をねぐらにしていたようで、そこに荷物と荷馬車もあるようだ」



 その会話にホリーは思い出す。彼らは自分を助けるために来てくれたのではなく、自分を助けたのはついでなのだと。それで助けてもらった感謝の念が薄れるわけではないけれど、バートが感謝されるほどでもないと言った理由も理解できた。



「君にも一応言っておこう。我々はエルムステルの街の商人の依頼でここに来た。貴重品を積んだ荷馬車が襲われたようで、荷物の奪還と賊の討伐をしてほしいと。荷物を運んでいた者たちが無事ならその保護も依頼されていたのだが、残念ながらそれは無理なようだ」



 エルムステル。それはこの近隣最大の街で、ホリーの旅の目的地だ。彼女はそこにある善神ソル・ゼルムをまつるエルムステル神殿を目指していた。その旅程で野盗たちに襲われてしまった。



「旧王国領西部では妖魔共の被害が増えているとは聞いてたけど、この辺りは治安は悪くないと聞いてたのになぁ。だけどこいつら、野盗というよりは猟師みたいな格好だな。弓も人数分あるし」


「こいつらは妖魔共に襲われて壊滅した遠くの村の猟師だったようだ。食い扶持ぶちを求めて移動していたようだが、例の荷馬車を奪って獲物に目がくらんで、欲が出てここに居座ろうとしていたようだ」


「はぁ……やだやだ。そういう話を聞くと気が滅入めいるねぇ」



 ヘクターはいかつい見た目に似合わず人がいいのだろう。その声と表情は本気で嫌だと思っているようなうんざりしたものだ。

 ホリーは怖くて死体から目をらしていたけれど、確かに野盗たちの格好は彼女の村にいる猟師たちと似たようなものだった。ホリーは襲われた身であるのに、野盗たちにあわれみも感じていた。野盗たちも本当ならこんな死に方をしなくても良かったはずなのにと。



「こいつらは己の悪心に飲まれ、自らの選択で悪に成り下がった。大半の人間は、その性根は妖魔共と大差は無い。心のみにくさと欲望を建前で覆い隠すか、隠すことを思いもしないかの違いだけだ。心の美しい人間や本当に立派な人間もいることは否定しないが」


「はぁ……バート。いつも言っているけど、あんたは人間不信も度が過ぎる」


「悪いな。これが私の性分だ」



 ホリーは悲しかった。自分を助けてくれた恩人がそんな考え方をしていることに。そして自分も妖魔と大差ないと思われているかもしれないことに。ヘクターはたしなめるように嘆息している。


 妖魔とは、魔族の中でも最下級の魔物たちだ。その姿は人型だが、性格は粗暴で残忍。魔王の軍勢でも最前線にかり出されるが、一般兵相手ならともかくとして、十分に訓練された騎士たちにとってはたいした敵ではなく、もっぱら使い捨ての駒として使われている。だがより厄介やっかいなのは、魔王軍は繁殖力が高い妖魔たちを人類の国々の領土に放って後方を攪乱かくらんさせていることだ。それゆえに人類側の国々も魔王軍との前線だけに戦力を集中するわけにもいかない。


 だがホリーにも譲れないことはある。バートの暗いものを感じさせる灰色の瞳をしっかり見る。そして勇気を振り絞って口に出す。



「あの……いい人はいっぱいいます。人の本性は善だと、ソル・ゼルム様も教えています。悪い人もいることは事実なんでしょうけど……」



 ホリーは人の善性を信じている。それは彼女が善神ソル・ゼルムの敬虔けいけんな信者であるからということもあるだろう。そして彼女はそれを信じるに足る教えであると、十四年という未来の方がはるかに長いであろうこれまでの人生でも思って来た。自分の家族も村の人々も、そして人生初めての旅でこれまで宿を取った小さな街や村の人々もとてもよい人たちだったのだから。悪い人もいると、思い知ったばかりではあるけれど。

 バートもホリーの目を見て答える。



「君が人を信じるのは尊いことだと思う。それは善神の教えにもかなうことだ。君は君の信じる道を行くといい。だが私は人の善性を信じることはできない」


「……」


「お嬢さん。許してやってくれ。この人は極度の人間不信なんだ」


「……はい」



 バートはホリーを否定しない。ホリーには、バートの淡々とした声色こわいろが少し緩んで、真摯しんしに自分を後押ししてくれているように聞こえた。たとえ彼が彼女の考えとは相容あいいれないと断言していても。

 ホリーにとって、バートは不思議な人だ。自分の思いは肯定してくれるのに、その上で人間の本性は悪だと考えている様子なこの人が。最初野盗たちに降伏を呼びかけるという慈悲を示したのに、断られるや考えを変えるように説得するそぶりも見せず即座に殺し、命乞いする野盗も情報だけ聞き出して無慈悲に斬り殺したこの人が。この人は彼女が見たこともない人だ。


 これが、後に数奇な人生を辿ることになる新米聖女と仲間の出会いだった。

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