第3話悪役にふさわしいのは誰か
ついに始まってしまった。
俺の知らない新たなシリーズ。
一度もプレイしたことがないし、存在も知らなかったこの俺がもう始まった二シリーズのゲームを攻略できるのか。
今はまだ分からないけれど、必ず新キャラを見つけて全員を仲良くさせる!
やり方が分かればどんなシナリオでも攻略する。
全てはメリリのため、みんなのため、俺のために・・・。
オールスが一人考えている姿にユルルは怪しげな笑みで衝撃の言葉を口に出した。
「私はあなたと同じ、前世から来たの」
「え・・・どういう意味だ?」
その言葉にオールスは動揺する。
また俺と同じ転生者が現れた。
これは喜ぶことじゃない、設定がまた崩れたんだ!
キャラ設定がなくなったことに、オールスは一気に自信を失い、息が詰まる。
「うっ」
俺、どうすればいいんだよ。
「・・・・・・」
「あら、意味を聞かなくていいのかしら?」
動揺してまともに自分の姿を見ないオールスを、ユルルは面白がって髪を撫でた。
が。
「や、やめて!」
強く手を振り解かれたオールスを、ユルルには不思議でただ腹が立つ。
「はあ? あなたはなぜ私に興味を持たないのかしら、私はあなたのファンだったのに。雨月星月さん」
「あ、俺の仕事の名前・・・」
そう。
前世の
だが、なぜそれをこの少女が知っているのか不思議でたまらない。
俺のもう一つの名前を知っているなんて、それもファンとはどういうことなんだ?
まだ新悪役令嬢と会っただけで、他の攻略対象に会っていない以上、そんな勝手なことはできない。
今はこの悪役令嬢と仲良くするしかない。
目の前にいるユルルに、オールスは真剣な眼差しで手を伸ばして右手をそっと掴む。
「ん」
「何をするのかしら?」
突然右手を掴まれて少し動揺するユルル。
一体何をするつもりなの?
「・・・・・・」
ユルルの動揺を気にせず、オールスはじっと目を離さずに見つめる。
「・・・んっ」
オールスとユルル、二人だけの緊張した様子にメリリとスーシャは何をすればいいか分からず、ただオールスの名前を言うしかない。
「お兄様・・・」
「オールス」
メリリとスーシャは二人が何を話しているのか全く分からないのは当然だ。
もし、キャラにこの世界はゲームだと言ってしまったら、この世界はきっと自然消滅してしまうかもしれない。
だから、オールスはそれを防ぐために何か理由をつけて同じ転生者であろうユルルと向き合い、二シリーズに出てくる他の攻略対象やヒロインを聞き出すために、その掴んだ手を離さずに、今はここから二人で外に逃げて裏庭に隠れる。
「はあ、はあ」
走って息が切れたオールスに、ユルルは不気味な笑みを堂々と見せる。
「わざわざ二人きりになるまで逃げるなんて・・・面白いことをするのね。闇の王様は」
最後の一言に、オールスは動揺と不安、暗い感情が頭の中でグルグルと一瞬で回って瞳が激しく揺れる。
「え、今何て言ったんだ? 俺が、闇の王」
信じられないことを簡単に口に出すユルルを、もうオールスの心は果てしない海に流されるような冷たい風が体中を冷え切り、言葉を失う。
「・・・・・・」
何も言わないオールスをユルルにはそれが悲しく思い、自分がファンであったことを信じてもらえていないと感じ、掴まれている手を強く離して睨む。
「くっ、私はあなたの本が大好きで毎日飽きるほど読んで、初めてあなたと会った日のことを今でもよく覚えているわ」
「えっ」
俺、この人と会った覚えはないけど。
見覚えがなく、深く前世の記憶を思い出してもこの少女と会った記憶がオールスには分からないままだった。
「・・・・・・」
「どうして」
「ん?」
自分のことを忘れられているのに嫌になったユルルが自然と溢れた涙を拭うことなく自分の思いを語り出す。
「何で覚えていないの! 私はあなたのことがずっとずっと大好きで愛していたのに、何で私を忘れているの! もう私を嫌いになったの?」
「あっ、それはどういう・・・ん?」
その涙が詰まった言葉に、オールスは初めて開いたサイン会をようやく思い出した。
『ふうー、今日はサイン会。初めてで緊張するけど、いつも通りで頑張ろう』
シュルミとは違うもう一つのデビュー作で一気に人気者となった
二十四歳で親しみのある小さな本屋で開いた「白音」のサイン会は予想以上の人が押し寄せ、二時間と決められた短い時間が延長してもらい、なんと五時間を過ぎても人が少なくなるどころか増えていくだけだった。
どうしよう。
こんなに人が来てくれたのは嬉しいけど、時間が大幅に過ぎてお店の人にも迷惑がかかっている。もうキリのいいところでやめさせてもらおう。
隣で焦りを隠せない弱気な担当編集者さんとお互い目を合わせて頷く。
『もう次の人で終わりにしましょう』
『そう、ですね。そうしましょう。じゃあ、次の方で最後にしますので、その後ろに並んでいる皆さんは申し訳ありませんが、次回に来てください。来ていただきありがとうございました』
編集者さんの言葉で後ろに並んでいる人たちはため息を吐きながらも悔しく思いながらも、言う通りにゆっくり帰って次回を楽しみにした。
『次の方、どうぞ』
『はい・・・』
最後に並んで来てくれたのは暗く俯き、顔を上げるのが苦手のような中学生の少女だった。
『あ、あの、私・・・』
緊張した様子の少女を、
『初めまして、雨月星月です。今日は来てくれてありがとう』
憧れの
『う、嬉しいです。私、ずっと先生の本が好きで毎日読んで、会えたことが幸せで』
その喜びの言葉に
「ありがとう」
と言いながら、渡してくれた手作りの色紙に自分の名前とほんの少しの思いを込めて書き返す。
『ああ、ありがとうございます。一生の宝物にします』
少女は顔を上げてゆっくりと瞬きをし、お互い目を合わせる。
そしたら。
『・・・可愛い』
『え』
黒髪の肩まで短く細い髪に紫色の虹が輝く瞳の少女はとても可愛らしく、目を合わせた
え、すごく可愛い。
こんなに可愛い子、初めて見た。
『・・・・・・』
『先生?』
少女が心配そうに見つめていたのに気づいた
『ねえ、君の名前、教えてくれる?』
自分の名前を聞かれたことに少女は暗く俯き、怖くなりながらも話す。
『あっ、えっと、三日月で、す』
「良かった」
と心からの喜びを口に出し、その一言で
『あははっ、三日月。君にぴったりの名前だね』
『そうですか? 私は自分の名前に自信がなかったので、先生に褒めてもらえて、とても嬉しいです。うふふっ』
自分の名前に自信がなかったとは思えないほどに
『あ、あの、私、大人になったら先生と結婚したいです!』
『えっ』
俺と結婚?
嬉しいけ、ど、中学生の
長いため息を吐き、悔しい思いを隠して
『ごめんね。君はこれから俺以上にいい人と出会って、きっと俺のことを忘れて違う人生を歩むはずだから、断るよ』
何気ない言葉のはずが、
『・・・・何で、分かってくれないの』
『ん?』
両手を強く握りしめ、
『わっ! ちょっと』
『私は先生のことが好きなんです! 愛しているんです! 何で分からないの?』
『んー』
周りはそれに驚き、隣にいる編集者さんは言葉を失い、何も言えないままこのお店の店長さんが
そして今、その記憶を思い出したオールスの心は微妙で何を言えばいいのか分からなくなり、地面にしゃがみ込んでしまった。
「あ」
思い出した。
でも、あの時の
もし、俺と同じ前世で命を失って自動的にこの世界に転生させられたとしたら、シュルミのせいになってしまうじゃないか。
嫌だ。
そんなこと考えたくないよ!
シュルミが守ってくれているこの世界を恨むことなんてできない。
だけど、
「うっ」
重く石のように固まった体でゆっくりと立ち上がってオールスはユルルと向き合い、話そうとしたところにオールスを探し回っていたスーシャがユルルをそっと壁に押し、オールスに抱きつく。
「スーシャ・・・」
「オールス」
抱きついて来たスーシャの顔は当然怒っていて機嫌を取り戻すしかないと、オールスはユルルよりも先にその頭を撫でて頬にキスをした。
でも。
「はああ」
見つかってしまった。
せっかく記憶を思い出してユルルと話そうと思っていたのに、いいところでスーシャに見つかって・・・。
俺の婚約者は全く、いいところばかり狙ってくるから困るよ。
「はあ」
「何ため息を吐いているんだよ。僕が来たことがそんなに悪かったの?」
「いや、別に悪くはないよ。ただ、もうちょっと遅くても良かったかな。あははっ」
似合わない苦笑いでスーシャはすねて離れて、壁に押したユルルに手を伸ばし、掴まれて逆に倒された。
「ちっ、何をするんだよ! せっかく助けてあげたのに」
「誰もあなたに助けを求めていないわ。勘違いにも程があることを知らないのね。第二王子様は」
「ちっ」
「ああ、あ」
スーシャは「第二王子」と呼ばれることが大嫌いなんだよ。
兄の「第一王子」リーシュと何度も比べられて一人で努力してきたからその呼び方をされたら怒るに決まっている。
はあ、どうして三日月はそれが分からないんだよ。
ニシリーズのゲームをプレイしていたなら、当然一シリーズのゲームのシナリオもキャラ設定も分かっているはずなのに、そんなけんかを売るような言い方をしたらダメなのに、もう誰でもいいから来てよ。
頼むから。
「はああっ」
オールスのため息にスーシャが眉を顰めて睨みつけ、それに焦りを感じる。
「あっ」
「またため息を吐いて。そんなに僕といることが嫌なら婚約は破棄するから!」
「えっ、ちょっと待ってよ」
婚約を破棄するって言った?
どうしていきなりそんなことを言うんだ?
こんなのスーシャらしくない。
誰かが魔術でスーシャを操っている。
早く止めないと!
急いでスーシャの元に行き、立ち上がったユルルが闇の魔術を使っているのに気づき、まだ戻っていない
「えっ、君は」
見たことのない新キャラ。
スーシャやリーシュと同じような王族の輝きを纏ったそのキャラ。
橙色の足まで長くサラサラな髪を左耳の位置で三つ編みにし、真っ赤な瞳。
これは新キャラなのか。
それとも他の何かか・・・。
オールスが立ち尽くしているのを気にせず、新キャラの男はユルルを心配しているだけだった。
「大丈夫か、ユルル」
「はい、ありがとうございます。ニシュリー様」
「あっ」
ニシュリー。
まさかこの人が新悪役令嬢ユルルの婚約者であり、隣国のサレア王国の第一王子なのか?
「・・・・・・」
二シリーズをプレイしていなかったオールスでも分かるこのキャラの苗字。
一シリーズをプレイしていた時にもほんの少しだけシークレットキャラで姿は隠されていたが、そのキャラはこのソルヘスト王国の隣国にあるサレア王国はゲームの設定ではあまり豊かな国ではなかった。王族と貴族だけが豊かな生活を持ち、庶民は生きるために働き続けるしかなかった。
それが唯一の救いだったから。
その時プレイしていた
「あっ、リーシュ」
「何をやっている? そんなことをして誰が喜ぶ?」
その言葉で、オールスは今自分が間違ったことをしようとした涙を浮かべて後悔するのだった。
「うっ、ふ」
「兄様」
オールスを抱きしめているリーシュにスーシャは見ないふりをし、入学式の式場へ一人で向かって行き、その姿にオールスは止まらない涙をリーシュの腕の中で悲しく悔しく流れていく。
「あ、く、ふっ」
「大丈夫だ。私がいるから何も心配しなくていい」
「うっふん。く、あああ」
スーシャ、どうして俺を置いて行くんだ。
もう俺を嫌いになったのか?
ユルルの闇の魔術が原因とは言え、それがスーシャの本音だと考えるだけで恐ろしくなり、オールスはしばらくリーシュの腕の中で流れる涙を止まらずに居続けた。
「あっ、う」
「大丈夫だ」
入学式の式が始まる約十分前にオールスとリーシュはまだ目の前にいるユルルとニシュリーに話を聞くことにする。
「それで、君は誰なんだ?」
リーシュの質問に笑顔でニシュリーが口を開く。
「私はニシュリー・サレア。サレア王国の第一王子でユルルの婚約者。よろしく頼む」
ニシュリーに握手を求められたリーシュが素直にその手を握る。
「こちらこそよろしく。私はこのソルヘスト王国の第一王子、リーシュ・ソルヘストだ」
リーシュの挨拶に少し惚れたユルルが二人の握り合っている手を上から重ねて怪しげな笑みを見せる。
「へえ、あなたがこの王国の第一王子。弟とは違ってかなり優秀なようね。うふふふっ」
弟のスーシャをバカにされたように感じたリーシュは強く二人から手を離し、睨みつける。
「私の大事なスーシャを傷つけたこと、王に報告して罰を与えよう」
「え」
「あっ、そんな・・・」
リーシュの本気の眼差しがユルルとニシュリーを動揺させ、震えながらもユルルが反対し始めた。
「くっ! 先に傷つけてきたのはあなたの弟よ! 私たちは何も悪くない、先に仕掛けたスーシャ様が悪いのよ!」
全てをスーシャに背負わせようとしたユルルだったが、自身が持つ闇の魔術は
「はっ!」
やめて。
せっかく苦労して手に入れた闇の魔術を消そうとしないで!
「くっ」
一人怯えるユルルを隣にいるニシュリーが肩を撫でて落ち着かせて、オールスとリーシュはそれに構わず式場に足を踏み入れるのだった。
どうして君がこの世界に転生したのかは分からないけど、必ず俺がニシリーズのキャラ全員を救ってみせるから心配しないで。
いつだって俺がみんなのそばにいるから。
「うん」
式場の中に入ると、百人以上の新入生とその様子を見守りに来た家族たちがみんな笑い合って、とても華やかで賑やかに見える。
「わああ、すごいね」
前世と同じような温かい雰囲気に新しい風は最高だ。
二十四歳のオールスにも小学校から高校までの入学式をとても懐かしく感じさせ、甘酸っぱい思い出が蘇る。
あれは高校の入学式。
友人も恋人もいなかった一人ぼっちの
『えー、みなさん』
『ん?』
校長先生の長く分かりにくい話の後にマイクの前に立ったのは、当時三年生だった生徒会長、
え、これはなんだ?
どうして俺はこんなにもドキドキして目が離せないんだ?
生まれて初めての現実での恋の予感。
けれど、その当時の
『みなさん、僕は新しくこの学校に入学してくれたことをとても感謝しています。僕にとってこの学校はみんなが手を取り合い、笑い合う素晴らしさを知って、毎日を楽しく生きています』
どこにでもあるような言葉に耳を傾けようとしないほとんどの新入生を気にせず、
『・・・あ、あの』
突然のことで頭が追いつかない
『僕がみなさんに言いたいのは、一人よりも二人の方がもっと楽しく学校生活を送って自分を誇りに思い、誰も傷つけない人生を歩んで欲しい。きっとそれが未来への架け橋になるはずだから』
『あ、未来・・・すごくいい』
『君の未来も良くなるように願っているからね』
いつまでも握ってくれている手を
この自慢の言葉がこの場にいる全員の心に響き渡り、大きな拍手が
その懐かしくもあり恋しい記憶が今のオールスの心にも響き、
あなたのおかげで俺は今とても楽しく生きています。あの入学式で先輩が手を伸ばしてくれなかったら、きっと俺は今も暗い人生を送っていました。
俺の心を動かしてくれて本当にありがとうございます。
今の人生を誇りに思ってみんなを守っていきますよ。
「あははっ」
温かい陽だまりのようなオールスの笑顔が、隣で微笑むリーシュに抱きしめられてお互い照れる。
「君の笑顔はずるい」
「え?」
「君の笑顔のせいで私は君に夢中で離れたくない。どうしてくれる?」
抱きしめられていて顔は見えないが、リーシュは照れながらも楽しそうに笑ってオールスを自分の物にしようと考え、頬にキスをしたところでチャイムが鳴り、全員が席に座り始めてオールスもリーシュもそれに合わせて自分の席に座る。
はあ、後少しで私の物にできたのに、残念だ。
せっかくのチャンスを逃してしまったリーシュの悔しさとは対して、オールスはリーシュの思いに気づかず、スーシャとの婚約破棄が怖くて怖くてたまらなかった。
スーシャ。
もう一度だけでいいから俺を抱きしめてよ。
今の俺はスーシャがいないと何もできない。
「うっ」
寂しそうにオールスが下を向いていると、隣に座るヨカエルがそっと背中を撫で
「大丈夫か?」
と優しく声をかける。
その声に安心してオールスは頷いた。
「うん・・・大丈夫」
ゆっくりと顔を上げて苦笑いを浮かべるオールスを、ヨカエルは今度は頭を撫でて首を横に振った。
「いや、大丈夫じゃないだろ。何か悩みがあるなら後で聞くから、今は、その、寂しそうな顔をしないでくれ。そんな顔をされたら、僕が君を奪ってしまうからな」
「えっ」
顔を真っ赤にして本気の眼差しを向けて来るのはヨカエルのオールスへの思いが強く輝いた瞬間に見えたからだった。
ヨカエル。
君は本当に俺のことが好きなんだね。
でも、その思いを俺が受け取ったら全てが変わってしまうから・・・ごめんね。
ヨカエルの思いに背を向け、オールスは前を見て同時に式が始まり、学園長先生の約二十分以上の話の後に壇上に上がって来たのは。
紺色の足まで長く直線に整えている髪を後ろで二つのお団子に結び、同じクールな紺色の瞳でリボンの色は青ということは三年生で間違いないだろう。
見たことはないけれど、オールスにはその人物が不思議と二シリーズの攻略対象で新たなヒロインと結ばれるであろう新キャラに思えた。
あれが、二人目の新キャラ。
一シリーズのみんな以上にイケメンがこんなにいるなんて信じられない。
二人目の攻略対象の登場。
二シリーズのゲームをプレイしていなかったオールスにはまだどうするかは考えていないため、今はただじっと見つめるしかないと思っていた時、新キャラの二人目の男がオールスに手を振り、なぜか親しみを感じさせる。
何だろう。
「・・・・・・」
前世では入学式が終わった後、そのまま
なぜなら、
子供の頃から夢を見て生きてきた
どうしたらスーシャは俺を許してくれるんだ?
どうすれば戻って来てくれる・・・。
「もう一度だけでいいから、俺に触れてよ」
小さな独り言を言っているオールスとは対して式は進み、新キャラの挨拶も終わりかける。
「みなさんの学園生活が豊かになりますように願っています」
「あっ」
丁寧なお辞儀をした新キャラに大きな拍手が送られ、オールスはその名前を聞くことすらもできないほどに過去に夢中で忘れて。悔しい思いを隣にいるヨカエルに名前を聞くことにした。
「ねえ、ヨカエル。今の子の名前、何だったの?」
壇上から静かに降りて行く新キャラを指差しながら聞いてくるオールスに、ヨカエルは軽く笑って答える。
「ああ、ソフィシュ・クリーミルのことか。彼はとてもいい子で繊細だよ」
「へえー」
その名前を聞いてもオールスには当然分かるはずもなく、聞いたところで無理なのに、不可能なのに。オールスの決心は変わることはなかった。
ソフィシュ・クリーミル?
全く分からないけど、仲良くしてくれたらメリリの幸せは増えていくはず。
「ふっ」
この乙女ゲームはもう一シリーズからニシリーズに変わって戻ることはできない。
それは現実世界でも同じこと。
オールスが全てのシナリオを変えたおかげでメリリや一シリーズのみんなはこうして仲良くなっているが、もしオールスが何もしなかったらと思うと誰もが震えて絶望を味わっていたのは確実だ。
さすが誰よりもこの乙女ゲームを愛していただけの才能がある。
これを真似できるのは数少ないだろう。
まあ、調子に乗らずに進めて行ければ何も問題はない・・・。
「ははあ」
その後、式は無事に終わり、新入生は新しい教室に分かれて席に座って黙って新しい担任の先生の話を聞く。
「みんなは今日から仲間だ。ここにいる三十一人はそれぞれのご縁で結ばれた特別な存在だ。みんな仲良く、みんな楽しく学園生活を送れるように一緒に頑張ろう」
そう明るく頼もしい言葉を言ってくれた教師の名はアリスミーというこの魔術学園の中で一番優しく生徒から尊敬されている彼こそが特別な存在と言っても正しく、美しい攻略対象に見えた?
「ん? 待って、まさかこの人も」
特別に許可をもらってスーシャとメリリ、マメリーヌが集う一年二組の教室の廊下でじっと見ていたオールスはまさかではないかと疑うけれど、確証がない限り、アリスミーが三人目の攻略対象と考えるのも可能性はあるかもしれないが、それを本人に聞くのは怪しまれるだけ。
「んー、どうすれば」
せめてニシリーズのキャラの名鑑があればこんなに悩まずに済んだのに・・・人生が一番難しい問題だよ。
だが、そう一人で考えている間にも時間は進み、アリスミーの話は全て終わった。新入生は自由時間として学園の中を回ったり教科ごとに分かれている教室を巡ったりして楽しむ。オールスもスーシャと一緒にいようと、思い切り教室の中に入った瞬間、二十人以上の生徒がオールスに喜びの悲鳴を上げて周りを囲まれてしまった!
「え、ちょっと」
「オールス先生ですよね。私、大ファンなんです。握手してください」
「あ、うん」
一人の生徒から行列ができ、スーシャに近づくことは許してくれず、それから三十分もの間、オールスは疲れ切ってしゃがみ込んだところをアリスミーが手を差し伸べ、その手を握り一つ開けた隣の空き教室に連れて行かれた。
「あ、あの」
息を切らして呼吸を大きく繰り返すオールスを、アリスミーが肩を撫でた。
「君、オールス・アイショミアだな?」
「はい、そうです。妹がこれからお世話になります」
姿勢を美しく伸ばしてお辞儀をすると、アリスミーはにっこり笑い、首を横に振る。
「いいや、こちらこそ。実は私も君のファンで君に憧れていたんだ」
「え、俺に?」
意外というか、嬉しいというか。
まさか先生が俺のファンだったなんて、こんなの喜ぶしかないだろう。
「ははっ、ありがとうございます」
満面の笑みでオールスが握手を求め、その手をかっこいい笑顔でアリスミーが握った。
「はああ、嬉しい」
遠くからであまり顔が見えなかったアリスミーは真っ黒な肩まで短く毛先が細い髪に濃い紫色の瞳。
よく見てみたら、ユルルとそっくりな気がするのは偶然か?
「あの、先生の苗字を聞いてもいいですか」
真剣な眼差しで自分の苗字を聞かれたアリスミーだったが、その質問に誇りを感じ、温かい微笑みで空の日差しが照らされたのと同時に答える。
「私はナラスミニ。ナラスミニ家の長男で妹が一人いる」
「はっ、やっぱり」
オールスの予想通り、アリスミーの苗字は「ナラスミニ」で妹はユルルで間違いない。
こんな偶然が目の前で巻き起こるとは思っていなかった時、後ろから一瞬で現れたユルルがアリスミーを闇の魔術で床に押し倒した。
「うっ!」
「ユルル、何をするんだ!」
いきなり人を闇の魔術で押し倒すなんてどうかしている!
力を失ったアリスミーのそばに寄り添ったオールスにユルルは腹が立ち、闇の魔術で壁に突き放した。
「い、痛い」
「うふふふっ、ははははっ! お兄様、何で私の許可なしにナラスミニの苗字を語ったのかしら?」
「すまない。憧れの人が目の前にいるのが嬉しくて、話してしまったんだ。許してくれ」
ゆっくりと立ち上がり、妹に頭を下げて謝るアリスミーの姿にオールスは悔しながら唇を強く噛み、まだ使えない
「はあああああっ!」
「え、待って」
怯えるユルルを置き、オールスの力は底が見えないほど大きくなって
「はあ、はあ、はあああっ」
良かった、戻った。
輝きが溢れる
だが。
「お兄様、何をするのですか! 今すぐ離してく」
「ダメだ。君は体が細くていつも心配していたんだ。その思いを少しでも感じてくれないか?」
「あっ」
アリスミーの顔は今にも涙が溢れそうで本気でユルルを心配しているのが他人のオールスにもよく伝わってくる。
先生とユルルは仲が悪いかもしれないけど、俺とメリリのようにちょうどいい距離を見つけられたら今よりも少しはこの関係が良くなるはず。
あの時、全ての結末を話してしまった時のメリリの本音を知ったオールスの思いを少しでも感じさせないようにユルルを横に抱えているアリスミーに近づき、二人の頭をポンっと撫でて微笑むオールスの姿にユルルとアリスミーはお互い見つめ合い、笑う。
「お兄様、すみませんでした。私の感情でお兄様に強く当たってしまって・・・」
大粒の涙を流しながら両手で顔を隠すユルルを、アリスミーが優しく抱きしめて首を横に振った。
「いいや、君は何も悪くない、誰も悪くないんだ。感情は誰にも抑えられない呪いだ、気にすることはない」
「お兄様」
これが普通の兄妹げんかの仲直りなのか分からないけど、まあ、俺とメリリとは違う形に戻って安心した。
ユルルの闇の魔術をどうするかはスーシャとの婚約破棄の話をしてから考えよう。
「ユルル」
「何です?」
止まった涙を顔を真っ赤にして見せたユルルに、オールスはもう一度二人の頭を撫でて満面の笑みで
「次は負けないから」
と大人の本気を宣言すると、ユルルは怪しげな笑みで
「かかってきなさい」
とオールスの宣言に立ち向かう決意を示したのだった。
「うん、俺の本気は誰にも負けないから、またね」
軽く二人に手を振り、教室を出て行ったオールスはちょうど自分の目の前を通りかかったスーシャの手を握り、焦りを感じる。
「スーシャ! 待って!」
「は?」
振り返ったスーシャの顔は怒りで恐ろしく見るのが怖くなったオールスには何も思わず握られている手を片方の手で振り解くも、それより先にオールスが抱きしめる。
けれど。
「何をするの? 離してよ」
「嫌だ。離さない」
「ちっ」
自分に甘えてくれたスーシャがオールスを強く拒むのはため息のせいではないだろう。
あの時感じたユルルの闇の魔術がまだ解けていないのだとしたら、すぐに
そう。
何をしたらスーシャが元に戻ってくれるのが分からない以上、今のオールスにできることは何もなかったのだ。
「ねえ、いい加減離してよ。いくら僕の婚約者でも機嫌が悪い僕にこんなことをするのはおかしいよ」
本気で嫌がって睨むスーシャのことなど気にせず、オールスも本気で離すことを首を横に激しく振りながら拒む。
「嫌だ」
どうして、分かってくれないんだ?
俺はこんなにもスーシャを愛しているのに。
どうして・・・はっ。
その寂しい思いを感じていたオールスは
「あっ、そんな」
「ふん、オールス、次に僕を抱きしめたら君に罰を与えるから覚悟しておくんだね」
「え、待って。スーシャ!」
真っ黒に染まった手を伸ばしても当然スーシャには届かず、体は闇に染まり続けていく。念の為に安全を確かめるために右手の薬指につけていた闇の王冠の指輪はまだ何も動いてはいないものの、これ以上は体が崩れることを嫌に思ったオールスは急いで学生寮の裏にある特別に用意された小さな屋敷に入ってその場に倒れ、闇に、悪に支配されるのを覚悟して眠りについたのだった。
「み、みんな、お、俺が必ず守ってみせるから、だから、絶対に壊れないで、愛して欲しい」
闇に、悪に染められた者には全てに届くことはない。
それがどんな理由でも叶えられない物は存在するのだから・・・。
その頃、兄のアリスミーと仲直りしたユルルは屋上で一人、爽やかな風に包まれて前世の自分を思い返す。
私は幼い頃からずっと一人で生きてきた。
両親は仕事はちゃんとしていたけど、家には全く帰らず、お互い夜には知らない誰かと遊び回って私のことなんて全部後回しで荷物のように存在を忘れられていた。
『はあ、何で私はこんなに悲しい人生を進んでいるの。もっと私を見て欲しいのに、何で誰も私の存在を消そうとするの。こんなのひどいよ、神様。うっ、ふん』
私は毎日冷たいベランダで泣いていた。
私にとって家のベランダは景色が良くて眺めが良かったから少しでも私の声が両親に届けばそれだけでも幸せになれたはずなのに、私が中学生になった時、突然母親が病気でこの世界から消えた。
『え、お母さん』
その時は頭が真っ白で悲しいはずだったのに、涙は一つも流れなかった。
その理由は多分私を大事にしてくれなかったからだと思う。
本物の子供だった私を見なくて知らない誰かと楽しそうに毎日遊んでいたからこの世界の神様は私のために罰を与えてくれたと思っていたのが悪かった。
母親がいなくなってから私を仕方なく育ててくれたのは父親だったけど、今までと同じ家には全く帰らず、私は何もやる気がないまま新しく来る一日に憎しみを感じながら学校に通い、先生は私を無視してクラスメイトは私の噂話を繰り返す。
別にそんなことで誰かを恨んだことはなかった。
みんな私のことなんてどうでもいいし、私もみんなのことなんて好きじゃなかったからお互いとてもいい距離を保ってくれたことが一番の救いだったと思っていた。
ある時、クラスメイトのみんなが読んでいた本が私には全く興味がなかったけど、暇つぶしに読んでみようと買って読んでみたら、自然と涙が溢れてまるで今までの私の人生を読んでいるみたいだった。
『すごい。こんな本があるなんて、私のことが好きなのかな』
その時の父親は前は細身で美しかったのに、今は誰かも分からないほどに太くなってお酒を何本も飲み、酔い潰れて私を見た瞬間、怒り出して私はとっさに自分の部屋に逃げて身を隠した。
変わり果てた父親の姿を見て怖がらずにはいられなかった。
小学生だった私を誰よりも愛してくれたのに。
今ではお酒に溺れて私を一人にしていたのが段々と憎しみが生まれ、私は覚悟を決めて部屋を出て父親は私の頭を叩き、床に倒されて最初は痛かったけど、慣れてきてからは何も感じず、ただ時間が流れてくれればそれで良かった。
だけど、鞄の中から出てきた
結局私は一人でどこにいても同じだったのかもしれない。
ただ唯一願うのは、
もしそれが叶ったら、私は弱い自分を変えて強い自分を作ってみせる。
弱いままでいたらまた同じ人生になってしまう。
そんなことになるくらいなら、誰もが恐れる闇の魔術を手に入れて、乙女ゲームの世界を悪に染めて私だけの世界を作り上げる。
全ては私の人生のため、弱い私を変えるために・・・。
そう決心した瞬間、目を覚ましたら見知らぬ部屋でそこはゲームの世界になっていた。
最初はとても嬉しくて涙が溢れたけど、それは一瞬のことだった。
私が転生したサレア王国は王族と貴族だけが豊かな生活を送っている最悪な王国と知った私は憎しみで声が出ずにいたところを突然訪ねてきたユルルの婚約者、ニシュリー・サレア第一王子が来たことで私のシナリオは完璧に崩れた。
第二シリーズの結末は第一シリーズとは違ってハッピーエンドじゃない。
闇落ちしたユルルとその闇に飲み込まれたヒロインがお互い手を取り合ってサレア王国を消し去り、隣国のソルヘスト王国をも消そうとしたユルルとヒロインに絶望した攻略対象四人が全員で力を合わせて二人をこの世界から消したけど、闇の魔術は永遠に残るため、ソルヘスト王国は闇の世界へと変わっていったという最高のシナリオを前世の私はそれが夢のようで自分の手でそれをできることが喜びだったのに、ニシュリーがユルルに会いに来てしまったのが一番の誤算だった。
元々ユルルとニシュリーはとても仲が悪く、ただ王の言う通りに婚約を結んだだけのはずなのに、ニシュリーは私を可愛がって全く離れようとしない。
これがどんな意味を示すのか私には分かった。
私がいるのは第二シリーズの世界。
第一シリーズのゲームがどうなっているか、ナラスミニ家だけが使える炎の魔術、
第一シリーズの悪役令嬢メリリの兄オールスが
その全てをも変えてハッピーエンドに完成させたのが私は気に食わず、貴族の身分であった私がその全てを変えたことで庶民と同じく魔術学園に通えるように必死に毎日勉強して試験を受けてやっとの思いで合格し、婚約者のニシュリーと一緒に入学を迎えて私の出番が来た時はとても嬉しかった。
やっと
でもそれは喜ぶべきか何度も悩んだ。
まさか先生も私と同じように前世で命を失っていたと知って最初は悲しかったけど、その分良かったとも思っている。
これで前世以上に自由に先生に会える。
また愛してあげられる。
そう思えば何も怖くない、ゲームのシナリオは私が、私だけが先生とは違う形で変えてあげる。
たとえ先生が私を嫌っても、私の先生に対するこの思いは一生変わらない。
他の物なんて全て壊して私の人生を先生の物にしてくれたら、私は喜んで先生の味方になってあげる。
「うふふふっ、さあ、第二シリーズのゲームを私以外の誰が攻略できるかしらね。楽しみだわ、やっとこの世界を変えられるから!」
この第二シリーズのゲームを攻略できるのは今はユルルたった一人かもしれない。
だが、それ以上にこのシナリオを変える力を持っているのはオールス・アイショミアであることを忘れてもらっては困る。
だって、この世界を愛しているのは他の誰でもない、オールスたった一人がこのゲームのキャラ全員を仲良しにさせる巨大な魔術を使えるのだから。
それから約二時間後に目を覚ましたオールスの元にメリリやマメリーヌ、リーシュが心配して寝台で横にさせてくれて落ち着いて目を覚ますことができたらしい。
「お兄様、大丈夫ですか?」
ずっと手を握ってくれていた妹のメリリが涙が詰まった声で聞き、オールスはそれに嬉しく思い、その頭を撫でて微笑む。
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
真っ黒に染まっていた体がいつのまにか元に戻り、痛みもなしに何とか治ったようだ。
「君はもっと自分の体を大事にした方がいいぞ」
前髪をそっと撫でるリーシュの言葉が強く心に響き、オールスは頷いて「そうだね」と反省した。
はあ、スーシャに拒まれたのが悔しい。
でも、リーシュの言う通り、俺はもっと自分を大事にしないとダメだ。
後ろばかり見つめずに前を進む道を決めてゆっくりと寝台から立ち上がったオールスを、三人はその体を支えてダイニングテーブルの椅子に座らせてくれた。
「ありがとう、三人とも」
オールスの笑顔に安心した三人もそれぞれ椅子に座って首を横に振る。
「いいえ、お兄様がいなければ私たちは不安になります。その思いを少しでも分かってください」
メリリの静かな涙の声にオールスは隣に寄り添い、抱きしめた。
「ごめんね。俺は俺をよく分かっていなかった。みんなを不安にさせて本当にごめんね」
自分の弱さ、本音。
それを人に語るのは簡単ではない。
いつかは話さないといけなくなる日が来るかもしれない。
でも、それは自分の心次第で相手には関係のないことだ。
自分の覚悟なしに人に語るのはとても危険で絶対に後悔する。
オールスはそのことに深く傷ついて今までみんなを守ってきた。
しかし、その影響で自分自身を傷つけていたのは知っても知らなくても、全ては自分の弱さに立ち向かう勇気が足りなかったからだろう・・・。
みんな、俺を気遣って抱きしめてくれる。
こんなに幸せなのに、どうして俺は泣いているんだ?
どうしてこんなに悲しいんだ?
「うっ、くっん」
「お兄様」
「オールス」
「オールス様」
三人の声がよく耳に響いてきて、嬉しいはずが悲しくて苦しくてどうしようもないほどに俺の心はスーシャがいないと空っぽで自信がなくなる。
「スーシャ・・・」
一人呟いた言葉にリーシュが抱きしめて頬を撫でる。
「そんなにスーシャに会いたいのか?」
「うん、婚約者で一番愛しているからね」
「・・・そうか。では、私の分まで愛してもらわないとな」
「うん、そうだね」
闇の魔術で操られているスーシャをどうすることもできない今のオールスには何ができて何が正しいのか。
その鍵を握る人物がもうすでに現れていることを知るのは三日後になってから分かることだろう。
この世界から、闇の魔術から救い出すためにはみんなを守る最強の力が必要になるはずだ。
三日後、メリリやマメリーヌ、リーシュが寮に帰った後、仕事を止めてスーシャに何度も会いに行ったオールスだったが、何回も断られて距離を取られたことに苦しみ、ヨカエルに相談しようと思ったものの、一昨日から授業が始まってしまったため、相談する時間がなく、毎日必死で仕事をしているヨカエルを尊敬してオールスも少しだけでも小説を書くのに精一杯で頑張っていた。
「はあ、どうして仕事ってこんなに難しいんだ?」
自分がなりたくてなったのに、今更そんな無駄を言っているオールスを私は少しだけ羨ましく、夢を実現するのがどんなに大変かをこの男に言ってやりたい。
そんな暇があるならもっと真剣にもっと正しくして欲しいわ。
っと、失礼。
言い過ぎました。
屋敷の外には中庭があり、入学式の日にスーシャと見た黄色のばらの庭園が瞳にキラキラと輝き、息抜きにそこに入って見ると、一人の少女が泣いている。
「え、どうしたの?」
「ふっ、う」
その少女は緑色の肩より少し長くフワフワとした髪に同じ緑色の瞳。リボンの色が黄色ということは新入生で間違いない。
「あ、あの」
「ん?」
そっと丁寧に手で涙を拭い、顔を上げた少女の手を握ってオールスは笑いかけた。
「ねえ、君は一人で何をしていたの?」
オールスの質問に少女は笑って返す。
「・・・ここに咲いているばらが美しくて見ていたんですが、その途中でユルル様が私に炎の魔術で作られた指輪を無理やりつけられて体中が痛くて苦しかったんです」
「え!」
ユルルが、炎の魔術を使ったなんて、そんな。
オールスが驚くのも無理はない。
この乙女ゲームの中で使われる魔術の種類は六つ。
一つはマメリーヌが使う氷。
一つはオールスとメリリが使う
一つはヨカエルが使う緑。
一つはリーシュとスーシャが使う水。
一つはシュルミが使う空。
一つはニシリーズのある家系が使う炎。
そして誰もが恐れるもう一つは闇。
闇は悪にもなり輝きにもなることがある。
だが、それぞれの魔術は生まれつきの物が多く、途中で手に入れることができる魔術はこの六つの中では絶対にあり得ない。
闇の魔術を除いては・・・。
闇の魔術は闇の玉座が空席である以上は誰が使ってもおかしくはない。
以前一シリーズのゲームの中でメリリとスーシャが手に入れた物も歴代の闇の王が残した秘伝の書に書かれている物であれば練習を何度か繰り返せば使うことができるが、その一方で体に大きく影響し、激しい痛みが襲いかかる。
そう。
それを覚悟した上で今までの闇の王たちは玉座に座り続けてきたのだ。
けれど、その闇に打ち勝つ魔術が一つだけある。
オールスは生まれつき体が強く、真のあるキャラで前世の
しかし、妹のメリリには絶対に
さっきも言った通り、現代で使えるのはたった一人のオールスであり、メリリではない。何の役にも立たないと思っている人がいるかもしれないが、
そう考えれば、オールスとメリリの悪役兄妹は二人揃えば最強で誰にも負けないけれど、「ラレル」を倒した時はメリリはその力は使わず他の魔術、
そう思えば、オールスのけがは最低限に抑えられたと感じればみんなお互いに楽になれただろう。
と、色々と説明したが、ユルルが使ったとされる炎の魔術はニシリーズのある家系だけが使えるのはナラスミニ家で間違いないようだ。ユルルだけでなく、その兄アリスミーも使える秘密の力・・・。
その瞬間を見ていなかったオールスにはまだその使い方は分からないし、考えられないけれど、今目の前にいるニシリーズのヒロインであろう少女を落ち着かせて握手を交わした。
「初めまして、俺はオールス・アイショミア。特別にここで小説を書かせてもらっている小説家だ。君は」
「モカニです。初めまして」
「モカニ?」
丁寧にお辞儀を披露してくれたモカニはオールスに可愛い微笑みを見せて、さっきまでの涙が嘘のように消えた。
それに安心したオールスも軽く笑ってある質問をしてみる。
「モカニ、君の苗字を聞いてもいい?」
「あっ」
アリスミーと同じように苗字を聞かれた瞬間固まるのは一シリーズしかプレイしていないオールスには何があったのかは当然分かるはずもなく、戸惑うこともあるかもしれないが、その時は何も拒まず素直に全て受け入れて欲しい。
みんなを幸せにしたい、メリリを守りたいという大事な思いがある限り、この世界は救われるはずだ。
約五分後、モカニは沈黙してからようやく口を開き、話すことを決める。
「名前、はその、シーリスで私、実は貴族なんです。あまりそうは見えないかもしれませんが・・・」
全く予想外の答えに、オールスは口が一口開いたまま驚きを隠せない。
「え」
貴族?
ヒロインにしては珍しい。
そう。
モカニはヒロインながらもとても珍しい設定だった。
「でも、貴族の中でも位は一番低くてよくからかわれてきましたけど、私はとても今でもよく幸せで誇りに思っていたのに、突然現れたユルル様が私のことを貴族の恥だと言って来て私に魔術をかけて逃げたんです」
涙が詰まった声で震えるモカニの言葉に、オールスは怒りで唇を強く噛む。
「んっ、ユルルが君にそんなことをするなんて許さない」
いくらヒロインが嫌いだからって、そんなひどい言葉を言えるのは「悪役令嬢」という設定でじゃない、
オールスの知らないキャラ設定にシナリオはユルルからすれば、オールスがこの世界に転生して全てが変わったように、ユルルも同じやり方で変えられていると分かって、オールスはまだ後一人の攻略対象の人物がどこに登場するかを予測し始めた。
今のところ攻略対象はニシュリーにソフィシュ、アリスミーの三人だけしか会っていない。後一人の攻略対象が存在するのだとしたら、学生だと思うのが可能性は高いし、十分あり得る。でも、もし一シリーズと同じような隠しキャラとかシークレットキャラが登場したら本当に何をすればいいのかが分からなくなる。
はあ、どうして前世の俺は一シリーズしかプレイしていなかったのだろう。というか、ニシリーズがあるなんて全く知らなかったし、見たこともなかったから仕方ないだろう。
まずはモカニを教室に送って昼休みになるまでに後一人の攻略対象を探し出す!
これを達成して必ずみんなを仲良くさせる!
よし、行こう。
前向きに考えて、モカニの言葉の続きを聞く。
「続けて話してくれる? もっと君を知りたいから」
「えっ、いいんですか。私なんかのどうでもいい話を」
暗く地面を見つめるモカニの手を握り、オールスは温かい微笑みで安心させた。
「大丈夫、俺は君のことを笑ったりしない。からかったりしない。だから続きを聞かせて欲しい」
「あっ」
いいの?
私のことなんて今まで誰もどうでもいいって思われていたのに。
この手を握られているのが嬉しくて、また涙が溢れてしまう。
今までで一度も感じたことのない人の優しさを知ったモカニは心から安心して涙と笑顔が溢れる。
「ふっん、う。オールス先生はとても温かい人ですね」
「え、俺の名前知っていたの?」
「はい。噂になっているので何となく知っています」
「へえ、そうだったんだね」
俺って、この世界でも人気者になっていたのか。
ははっ、嬉しいけど、何かちょっと気まずいな。
自分の人気の良さをあまり感じられないオールスに対してモカニは涙を流しながらも、可愛らしい笑顔で心を落ち着かせ、その続きを語り始める。
「私、実はいとこがここの学生でとても仲が良かったんですが、ユルル様の闇の魔術でこの学園の地下に閉じ込められているんです」
「えっ! 嘘だろう」
ヒロインにいとこがいるという設定にも驚くけど、まさかその人が攻略対象の四人目だとしたら早く助けに行かないと!
「行こう・・・」
「え、ダメですよ」
握られている手を離されたモカニが焦ってオールスの腕を掴み、止めた。
だが。
「離して」
「いいえ、絶対に離しません!」
「どうして!」
オールスを止めるモカニの手は震えて、まるで助けに行かれることを拒んでいるようだった。
「モカニ、君はいとこがこの世界から消えても何も思わないの?」
「え」
そう。
オールスはユルルの使う闇の魔術でそのいとこが消されるのではないかと考えたくもないが、どうしてもそう思ってしまう。使えるようになった
「ここが地下か。意外と広い」
周りを見渡すと、土だらけでいつ壊れてもおかしいくらいの壁が何十も重ねられ、それに沿ってオールスは奥へと歩き続け、一つの大きな箱の前で立ち止まった。
「まさか、この中にいるのか?」
箱を開けようとしたその時、箱の中から闇に染められた一人の少年がゾンビのように真っ黒な姿でオールスに襲いかかるも、
だが。
「あっ、ああ、あああああ」
苦しそうに何か痛そうに叫ぶ少年の姿に、オールスは瞳が大きく震えた。
「この人が、いとこ・・・」
「あああ、あああ」
少年の叫びに残念に思ったモカニは暗く低い声でその名前を言う。
「エリリア」
その名前を聞いたオールスは何となく少年とモカニの関係が分かったが、その理由が分からずに首を傾げる。
ん?
モカニのいとこの名前がエリリアということなんだな。
でも、闇の魔術でここまで人を支配するのは不可能なはずなのに、どうしてこんなに人の心が失われるんだ?
「うっ」
一シリーズでは感じられなかったメリリやスーシャとは違う闇の魔術・・・。
これを倒すためにはもっと
だから今は、
「んっ」
そして、モカニは心の底から何かを焦って大粒の涙を流してオールスの肩をバシッと何度も叩く。
「オールス先生、ダメですよ。この人はもう私のことなんてどうでもいい、見捨てられたんです!」
信じられないことを全部言ったモカニ。
しかし、オールスは痛みで叫んでしまう。
「あっ、ああああ!」
ちょっと待って。
さっきと話が違う。
とても仲が良かったんじゃないのか、助けて欲しいんじゃなかったのか。
どうして、俺は・・・・いや、ここで立ち止まるわけにはいかない。
絶対にエリリアを助けてみせる!
「あ、あああ、はあ」
痛みを必死に耐え、
その感覚に、オールスは少し瞳を揺らして戸惑う。
「えっ、こんなにあっさり倒して良かったのか? もっと強くなっていくと思っていたのに全く実感がない」
これは、どういうことなんだ?
闇から解き放たれたエリリアは濃い桃色の背中まで長く太い髪に桃色の瞳。リボンの色は緑ということで二年生で合っているようだった。
でも。
「エリリア、そんな、あんなに私を大事にしてくれたのに、せっかくユルル様があなたを闇に染めてくれたのに、全部台無しになったじゃない! どうしてくれるの、エリリア」
「待って、それはどういう意味だ?」
「あ、しまった」
闇に染まった影響で眠っているエリリアの頬を何度も涙を流しながら叩き叫ぶ信じられないモカニの言葉がオールスの心を動揺させて震わせた。
そんな、さっきの出会いの涙は全て嘘だったのか。
あんなに素直で嘘を言わないだろうモカニが悪役令嬢に頼んで大事ないとこを闇に染めたなんて・・・。
もしかして、ニシリーズではヒロインも闇落ちしてこの世界を闇に変えるのなら、今すぐユルルの元に、いや、スーシャが危ない。
もう迷わずスーシャを操っている闇のかけらを取らないと婚約破棄どころの話か、全てが消えることになる。
それだけは絶対に止めるんだ。
けれど。
「何だよ? 急に僕を連れて来るなんて何を考えているの」
不機嫌で態度が悪いスーシャに構わず、オールスが抱きしめてそっとキスをする。
「え、ちょっとやめ」
「やめない。絶対に離さない」
「ん、ふ」
久しぶりのキスで二人とも慣れない様子でいたものの、その懐かしい光景に私は心奪われていった。
「は、う、ははああ」
「ん、ふう」
息が切れる前にようやく離れた二人はお互い真剣に向き合い、
「スーシャ、大丈夫?」
「・・・オールス、僕は何をして、あっ」
自分の唇に指を当ててオールスの感触が伝わってきたことに、顔を真っ赤にして恥ずかしくなったということは完全に元に戻ったようだ。
「スーシャ、愛しているよ」
ようやく元のスーシャになってくれたのが嬉しくて嬉し涙を浮かべるオールスを、スーシャは背伸びをして抱きしめてくれる。
「うん、僕も君を愛しているよ。ずっとね」
その言葉に安心したオールスの顔はとにかく嬉しいという満面の笑みで溢れた涙を拭わず笑い続けた。
「う、ふっ。良かった、スーシャが元に戻ってくれて」
「えっへへへ! ごめんね。君にひどいことをたくさん言った。許して」
「そんな、許すよ。俺はスーシャが大好きだから、何があっても絶対にスーシャを離したりしない」
「オールス、ありがとう」
この愛らしい光景に感動する人は多いはずだ。
この二人が幸せでなければ、メリリやマメリーヌ、みんなの幸せを掴むことは難しくなる。
けれど、今だけは、ゲームのシナリオを忘れて二人だけの時間を楽しんでくれれば私も嬉しい。
二人の愛が高まった中で、オールスはヨカエルにニシリーズの攻略対象四人を空き教室に集めるように頼み、スーシャも一緒に行くということで教室に入ると、四人はお互い顔を合わせて不機嫌そうに見えた。
まあ、そうなるよな。
いきなり知らない人たちを集められて機嫌が悪くない方がおかしいから、ここは慎重に仲良くさせないと、ゲーム通りでみんな破滅してしまう!
深く息を吸い、教壇の前に立ったオールスを見た四人は顔を上げ、笑顔を向けた。
オールスは少しホッとして堂々と真っ直ぐな瞳で話し始める。
「みんな、集まってくれてありがとう」
「オールス先生、この四人を集めた理由は何ですか」
手を挙げて質問をするアリスミーに続いてヨカエルも頷いた。
「オールス、僕にもちゃんと理由を話してもらわないと困るから言ってくれ」
その言葉に、オールスは美しく微笑む。
分かっているよ。
ちゃんと話すから待ってて。
「うん、ここにいるヨカエルとスーシャ以外の四人には今日から仲良くしてもらう」
「は?」
「どういうことだ」
「そんなの嫌に決まっている」
ニシュリーとアリスミー、ソフィシュがオールスを強く睨みつけ、怒りを表す。
それがオールスの心にもよく伝わって一歩後ろに下がった。
「うっ、三人とも怖いよ」
そんなに怒ることじゃないと思うけどな。
でも、俺の予想が正しければ、ユルルの闇の魔術もモカニの計画を止められるのはこの四人の攻略対象の力が必ず必要になる。
そのためには、できるだけの話をしてみんなを仲良くさせるんだ!
この世界がゲームの世界とは言わずに、攻略対象にオールスは真剣に向き合い、四人と目を合わせ、右手を伸ばす。
「みんな、お互い知らない同士だから嫌になるかもしれないけど、ここにいる四人は闇の魔術を、新たな闇の王を止める力がある」
「何?」
「意味が分からない」
「それでどうしろと言うのだ」
「あ」
エリリア以外の三人はオールスの言葉に文句や不満を言い続け、約十分経った今も全く仲良くさせようとするも、四人は目を背けて話そうともしない。
ああ、ダメだ。
みんな仲良くなるどころか、さらに嫌いになりかけている。
このままだと世界は闇に染まっていくだけだ。
どうすればいいんだ?
「うっ・・・」
「はあ、仕方ないね」
「え」
教壇に上がって来たスーシャが右手を伸ばしているオールスの手を握り、みんなの前でキスをした。
「なっ」
「こ、これは」
「・・・・・・」
「信じられない」
「やってくれたな」
みんなの前で堂々とキスをしたスーシャは四人に怪しげな笑みを浮かべる。
「いい? この王国の第二王子である僕の婚約者の言うことが聞けないなら、今すぐ王に報告して四人に罰を与える」
「いや、スーシャそれはダ」
「その覚悟がある者はこの教室から出て行けばいい」
その言葉に四人は戸惑いと驚きを隠せず、しばらく沈黙が続いた中、唯一何も言わなかったエリリアが手を挙げてオールスの目の前に立つ。
「分かりました。僕はオールス様とスーシャ様に従って三人と仲良くします!」
「エリリア」
良かった。
一人でもこう言ってくれれば、後の三人も同じことを言ってくれるはず。
そう期待したのはいいことだが、三人はそれから約五分が経った今でも口を開かず、残り十五分の昼休みの時間をこのままで終わらせるわけにはいかないと、エリリアが三人の元に行き、四人で手を繋ぎ輪を作り、エリリアの美しく勇気のある笑顔にソフィシュがやっと口を開き笑い始めた。
「ふははっ、やはり君には敵わないな」
「ソフィシュ?」
ん?
二人は何か関係があるのか?
不思議な瞳で見つめるオールスを、ソフィシュは笑顔でエリリアの手を恋人繋ぎに変えてアピールする。
「実は私とエリリアは恋人なのです」
「え!」
「そうだったのか」
ソフィシュのクラスの担任をしているヨカエルにさえも教えられていなかった特別で秘密の関係、なんて美しい関係なのだろう。
と、ちょっとだけ興奮して失礼。
ソフィシュとエリリアの出会いのきっかけはちょうど一年前の入学式だった。
学園の広さに圧倒されて道に迷っていたエリリアを偶然見つけてくれたソフィシュが突然抱きしめて来たことが始まりであった。
『あ、あの』
『やっと見つけた』
突然のことで戸惑うエリリアを置いてソフィシュは次にキスを交わし、エリリアはその勢いに任せて自分も次第にソフィシュに触れて二人は自然と愛し合い、恋人となったのだ。
「私とエリリアは誰にも引き裂かれない強い愛を持っています。だからエリリアがあなたたち二人に従うなら、私も仕方なく従うことにしましょう」
「あ、ありがとう」
仕方なくはいらなかったけど、まあ俺の言う通りにしてくれるなら何でもいいか。
しかし、後二人のニシュリーとアリスミーは何かに怯えている様子で体の震えが治らない一方だったが、オールスにはその理由が何か分かっている。
ニシュリーはユルルの婚約者でアリスミーはユルルの兄。
二人はユルルとの繋がりがあり、離れることが怖いのかもしれない。
けれど、闇の魔術を消すには、ユルルが新たな闇の王にならないためには二人の力が絶対に必要になる。
ユルルとの繋がりを失って欲しいとは言わない。
ただ守るためにお互い仲良くなって力を合わせて欲しいだけ。
それだけでも分かってくれたら俺は次に進めるはずだ・・・。
静かにスーシャと教壇を降り、ヨカエルの手を繋ぎ輪を大きく作ってオールスは輝きのある強くたくましい微笑みで二人を安心させていくと、ニシュリーがようやく口を開き始める。
「申し訳ない。私はユルルを一番大事にしていて他の者と関わるのが怖くなっていた。だが、こんな狭い心を持った私でも仲良くしてくれるのなら喜んでそうする」
やっと出た本音。
狭い心だなんて言わないで、これからみんな仲良くなればその心は必ず広くなる。
話してくれたニシュリーの心の言葉を大事に守ることを約束し、最後の一人になったアリスミーをオールスは笑いかけて待つ。
「先生、大丈夫ですよ。俺は先生を尊敬しています。決して一人にはさせません」
「オールス先生・・・」
妹のユルルのことが心配なのは分かる。
俺だって、先生と同じように妹のメリリを大事にできているのか不安になるし、怖くもなるけど、それ以上に愛して離したりはしない。
その思いを分かち合えるのは同じ妹を持つ兄として先生と仲良くなれたら俺はすごく嬉しいよ。
「あははっ」
オールスの微笑みに心が軽くなったアリスミーが笑顔で床にしゃがみ込み、オールスの左手のこうにキスをする。
「あっ、先生」
「ちっ」
「分かった。私も君に従う」
「本当ですか! ありがとうございます」
これでやっと前に進める。
しかし、ヨカエルは嫉妬してため息が溢れる。
「はあ、オールス、君はどうしてこんなにも人を魅了できるのか教えてくれ。本当なら僕が君を婚約者として選んで幸せにしてあげたかったのに残念だ」
「あ、あはは。ごめんね」
ヨカエルの甘い囁きはオールスにはあまり届かないままだが、いつかそれが実現できる日が来るのかは今後のオールスの計画にも関わってくるだろう。
今はまだその時を待つまでは。
オールスと距離が近くなったヨカエルを、スーシャが力強く睨んで無理やりオールスを抱きしめる。
「ヨカエル・クウシュ。僕の大事な婚約者を誘うのはやめてくれないかな? 君は本当に諦めが悪いから」
「ちょっと、スーシャ。言い過ぎだよ」
「ふん、これくらい言わないと何も効果がないから言っているんだよ。それに君も、僕以外の人の言うことなんて聞かなくていいんだからね。分かった?」
「あ、うん。気をつけるよ」
俺の婚約者は厳しいけど、それが好きになった理由でもあるから、いいか。
「オールス、スーシャ様といるのが退屈になったらいつでも僕のところに来ていいから」
「え、あ、うん」
ヨカエルの甘い囁きとスーシャの厳しい声がオールスにとっては幸せで、失いたくない宝物になっていった。
「みんな、愛しているよ」
この言葉を言えるのはみんなと仲良くなったから言える言葉で、簡単には言えない秘密の言葉でもあるのだった。
そして、仲良しになった二シリーズの攻略対象四人に対し、ユルルとモカニは地下の奥底でこの世界を闇に変える話を進めていた。
「いいかしら、私たちは一週間後、一年生が歓迎される舞踏会でこの闇のかけらの種を会場の隅々までまき、タイミングを測って魔術を起動する。そこまでは覚えているわよね?」
「はい。もちろん全て覚えています」
この二人の計画はゲーム通りとはちょっと違うやり方に変えている。
まず、一週間後に開かれる歓迎の舞踏会に集まる全校生徒と職員を狙い、隙が見えた時にまいておいた闇のかけらをユルルが闇の魔術で会場全体を取り囲み、一シリーズのキャラとニシリーズに登場する攻略対象を炎の魔術、
これがどんな意味を持つかはその時になるまでは分からない。
けれど、その計画を壊せるオールスの存在を忘れていなければ実行は可能となってしまう。
はあ、誰か早くオールスにこの計画を教えてくれたらそれよりも先にオールスの計画が成功するのに、ゲームのシナリオよりもこっちの方が難しくて困る。
「ユルル様、もしあなたが倒れてしまったら私があなたの代わりに闇の魔術を使います」
ヒロインとは思えない言葉に誰もが驚くはずが、ユルルにはそれが嬉しくなり、不気味な笑みを浮かべた。
「うふふふっ、あははは! そうね、もし私が倒れたら私の計画を代わりにあなたが実行しなさい。そうすれば、この世界は完全に闇となり輝きを失う。なんて素晴らしい計画なのかしらね」
「そうですね。とてもいいと思います。あなたの提案は全て私が受け止めて必ずあなたの願いを叶えてみせます」
悪役令嬢とヒロインが闇によって結ばれたのは闇の王の玉座が空席の状態であることが原因というのに、二人はお互いを理解し、意見も全て一致している。
これほど恐ろしい展開を誰が予想できたか知りたい・・・。
しかし、ユルルはオールスにこう言っていた。
『闇の王様は』
その言葉がどう示すのかはニシリーズをプレイしていた
オールス・アイショミアという裏の設定を知っている者だけがこの世界の闇を消すことができるまでは。
そして、約三日が経った。
ニシリーズの攻略対象と一シリーズのキャラ全員が理想を超えるほどに仲良くなっている。誰もけんかも睨み合ったりせず、舞踏会に向けてダンスの練習や実技の授業で習ったそれぞれの魔術を使いこなせるようになり、みんな仲良く学園生活を楽しんでいた。
「エリリア、今のをもう少し軽く動いてくれると助かる。そうしないと君が転んでしまうからな」
「はい、分かりました!」
乙女ゲームの設定では珍しい攻略対象同士の恋愛。
あり得ないという人もいるかもしれないが、彼らは彼らの友情や恋をそれぞれで感じ、大事に守っている。
だから、恋愛の形も一つではないと改めて感じてもらえたら私は、いやみんなが嬉しい。
そう思える温かい光景を深く信じて。
エリリアとソフィシュの恋人らしい姿に嫉妬するスーシャが約十分もの間、オールスから一切離れようとせずに抱きついたままでいる。
「スーシャ、そろそろ離して俺たちも練習しよう」
似合わない苦笑いを見せられて嫌になったスーシャがさらに嫉妬して話を聞いてくれない。
オールスはその理由が全く分からず、苦笑いをやめて首を傾げる。
「うーん」
どうしよう、ずっとこのままでいたら仕事もできないし、ダンスの練習もできない。何が嫌なのか教えてくれれば言う通りにするのに、思春期の子ってこんなに悩むことだったのか。
前世の
前は兄のリーシュに嫉妬して嫌っていたけれど、今ではとても仲が良く、理由はそれでもないらしい。
オールスの考えでは・・・。
鈍感なのか、天然なのか。
どちらかの片方には当てはまらず、その中心でいるオールスを悪くは言わないが、その気づかない性格を少しでも直せばスーシャの思いにすぐに気づいて欲しい。
愛する人と長く居続けるためには早く気づいて行動するのが幸せの機会が見えてくるはずだから。
ソフィシュと練習するエリリアの表情は笑顔で満たされ、周りのことなどお構いなしに堂々と抱きしめ合っている。
「ソフィシュ様と一緒にいるだけで僕は幸せです。これからもずっと一緒にいてくださいね」
「あっ」
まだ婚約を結んでいないことを思い出したソフィシュはその愛おしい唇に指で触れて美し微笑みを見せた。
「ああ、私たちは永遠に一緒にいる。舞踏会が終わったら正式に婚約を結んで君のそばに一生いることを約束しよう」
紺色のクールな瞳が自分の姿を写していることにエリリアは思い切り頬にキスをして喜ぶ。
「ソフィシュ様、嬉しいです。その言葉、絶対に忘れないでくださいね」
「ああ、もちろん覚えておく」
「むうー」
自分たち以上に幸せそうな二人の様子にとうとう腹を立てたスーシャがオールスを連れて校舎裏に隠れる。
「スーシャ?」
「・・・ずるい」
「え」
「・・・あの二人が僕たち以上に幸せそうでずるい!」
「あっ」
スーシャ。
そんなことで悩んでいたみたいだったんだね。
だったら俺は婚約者として、その悔し涙を拭って飽きるまでキスをしてあげるよ。
「ん、ふっ。あ」
オールスとキスをするスーシャの顔がいつも幸せで満たされて、それをしてくれるだけで満足しているようだった。
「はあ、愛しているよ、スーシャ」
「ん、あっ。僕もだよ、オールス」
キスを何度も繰り返し、昼休みが終わった後、オールスは溜まった小説の続きを精一杯の力で書いて書いて終わった時には日が暮れて満月の輝きが風と共にオールスを照らしてきた。
「わああ、美しい。せっかくだし、スーシャを呼んで一緒に見よう」
屋敷を出て一年生の男子寮に入ると、食堂で夕食を食べていたスーシャを隣に座るリーシュが楽しそうに話しかけて二人とも会話をしている様子に安心してそっと二人の肩を撫でる。
だが。
「リーシュ、スーシャ。今日は月が美しいから一緒に見よう」
「え」
「・・・・・・」
突然話しかけられて驚き振り返った二人の顔は真っ赤になって恥ずかしそうだ。
「どうしたの?」
心配するオールスの顔を全く見れないリーシュがゆっくりと口を開く。
「オールス、君、私とスーシャどちらか選んで今夜一緒にその・・・触れてくれないか、体に」
「えっと、それは」
その誘いは、断らないとダメなやつだ。
特にリーシュは俺の婚約者じゃないからそういうことをしたら王に怒られる。
それだけは絶対に嫌だ!
今までの経験の中でオールスは、
「で、どうなんだ? してくれるのか?」
「もちろんしてくれるよね? 婚約者なんだから」
「うっ、んー」
月を一緒に見るはずが、どうしてそんな恥ずかしいことをする話になるんだ。
この兄弟は本当に恐ろしくて可愛くて困る。
一回気持ちを切り替えて、オールスはゆっくり息を吸い、微妙に笑った。
「とりあえず、二人とも、俺の部屋に来てくれる? そこで話し合おう」
「話し合う? なぜだ?」
リーシュの素直な質問に焦るオールスは小声で二人の耳にそっと囁く。
「ここでそんな話をしていたら恥ずかしくなるからだよ」
その理由に納得するリーシュとは対して、スーシャは不満気に頬を膨らませている。
その姿に、オールスは苦笑いを浮かべた。
「スーシャ、今日は俺の部屋で寝ていいからとりあえず来てくれる?」
オールスの甘い声に笑顔になったスーシャは頭を撫でて頷いた。
「・・・うん、分かった」
「じゃあ、行こう」
食べ終わった皿を厨房の前に置いた二人と一緒に屋敷に戻り、自分の部屋で開放感を覚えたオールスと二人は満面の笑みで月を観賞する。
「ああ、美しい」
「久しぶりに見たよ」
瞳を輝かせ、月に心奪われる二人の王子の姿はとても美しく、月よりも二人に惹かれるオールスは一瞬体の触れ合いを忘れていたが、思い出して顔が真っ赤になり体温が高くなってどうしようもないほどに恥ずかしくなっていった。
どうする?
このまま二人のどちらかと体に触れてしまったら、この先の未来が変わってしまうんじゃないか?
「・・・・・・」
一シリーズのキャラ全員が魔術学園に来てから約一週間が経った。ニシリーズの攻略対象四人とも一緒に過ごして楽しい思いをしていたはずが、いつのまにかそれがスーシャとリーシュ二人の思いに傷をつけて苦しませていたのに気づいたオールスにはその心も体も全てを二人に捧げることを頭のどこかで考えていたのかもしれない。ヨカエルも、オールスを好きでいて無理のないようにいつも助けてくれて頼りになる存在だった・・・。
そう。
今までのオールスの計画は全てみんなのためだと信じていたのに、前にも考えていたようにそれが自分のためになってみんなを無理やり巻き込んでいたのだと考えると、とても恐ろしくなってしまう。
メリリの闇落ちとマメリーヌの新たな目覚めを止められたのは良かったけれど、今となってはそのゲームのシナリオがみんなはそれぞれの役目を果たしていただけで決して誰が悪いとかではなかった。
最初はこのゲームを作った人、メリリのことしか見ていなかった前世の
「う、くっ。ごめんね、みんな」
溢れた涙が流れているのは自分をせめているのではない。
ただ悔しく悲しいからであった。
「こんなに美しい月を見られる幸せは中々ないはずだ」
「そうですね。兄様とオールス、この三人が一緒にいればどんなことだって乗り越えられます。ね、オールス」
「ふ、ん、あ」
スーシャの呼び声に上手く反応できないオールスに気づいた二人は急いでその涙に寄り添い、抱きしめてくれる。
「あ、んっ。俺、二人のことが好きだよ。でも、傷ついていないか怖くて、不安で」
オールスの涙につられて泣くスーシャはその寂しそうな頬にキスをし、おでこを擦り合わせた。
「何を言っているの? 僕たちは君に傷つけられたことは一度もない。むしろ感謝しているんだよ。何度も言うけど、君がいなければ僕と兄様はこんなに仲良くなることはなかった。これは君が結びつけてくれた印なんだから自信を持って、いつまでも僕たちみんなと一緒にいてよ。えへへっ」
擦り合わせた体温がとても温かく、心地良くなってそれに嬉しくなったオールスは顔を上げて二人と向き合い、笑顔になる。
「あはは、二人とも、ありがとう」
オールスの笑顔で心から安心したリーシュがそっと止まった涙を舌で舐め、歯を見せて豪快に笑った。
「ふふっ、君が元気になったなら私はそれで満足だ。だが、それ以上にこの体に触れたくなる」
「え?」
不思議に思うオールスの体をリーシュは遠慮なく上から下まで手で撫でると、それに嫉妬したスーシャも負けずにオールスの体をめちゃくちゃに溶かしていく。
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たない」
「静かに」
「ううー」
これは、どうすればいいんだ?
悪くはないけど、最後までされたら頭がおかしくなる!
頭が真っ白になる前にオールスは精一杯の力で二人の手を振り解いてしまった。
「はあっ」
「もう少しでいいところまでたどり着いたのに残念だ」
「うっ」
手を差し伸べてくれたスーシャの手を取り、三人は裸でそのまま夜を通り過ぎていくのだった。
そして、ユルルとモカニが実行する舞踏会では更なる試練が待ち受けるのを、オールスは覚悟して臨むのはもうすぐそこまで迫っていた。
とうとう舞踏会当日になってしまった今日の夕方、メリリのドレス姿を見てオールスは感動する。
「どうですか、お兄様。似合っていますか」
メリリのドレスは紫色の長袖のフリルがついた可愛らしい物に、髪は左耳で三つ編みにしてとても似合っていて、とにかく可愛いとしか言葉が出てこなかった。
可愛い。
いくら妹でもこんなに可愛いと、欲しくなってしまう。
「お兄様?」
つい心の中ではしゃいでしまったオールスを心配するメリリの顔は不安でいっぱいになっていたが、頭を撫でてあげると喜びの笑顔を見せてくれる。
「よく似合っているよ」
「本当ですか! 嬉しいです!」
「あははっ」
メリリの嬉しそうな顔を見ていると俺まで笑顔になる。俺たち兄妹の仲もちょうどいい距離でお互い嫌いにはなっていないからずっとこのままでいたい。
「ははっ」
「メリリ様、お待たせしました」
「ん?」
後ろから満面の笑みで現れたマメリーヌは桃色のふんわりしたハートの形をした飾りがついたドレスに、右耳で三つ編みにした髪はメリリと同じように髪色に合わせてまるで双子みたいにとても似合っている。
「マメリーヌさん、とても似合っています」
メリリの褒め言葉に心から嬉しそうに笑うマメリーヌは隣にいるオールスを忘れていたことに謝る。
「オールス様、すみませんでした! あなたのことを忘れてしまって・・・」
「え、気にしないで。影が薄かった俺が悪かったから。そのドレス、よく似合っているよ」
「あ、ありがとうございます。嬉しいです」
遠慮しがちに喜ぶマメリーヌを、オールスはメリリとの時間を邪魔しないように静かに一人で会場に向かって行く。
会場は入学式があった場所とは別でその裏にあり、その式場と違ってとても華やかで人が多い。学園の行事とは言え、三百人以上の参加者はみんな正装で美しい。もちろんオールスも紫色のタキシードに黄色のリボンをつけて少し目立っている気もするが、そんなことを一々気にしているとキリがないため、隠れながら奥に行くと、スーシャとヨカエルが握手を交わしていた。
珍しい。
この二人、あまり仲が良くなかったのに、いつから握手を交わすほど仲良くなったのだろう?
さらに近づき、それにきづいた二人は怖い顔でオールスの両手をそれぞれ片手で握る。
「わっ!」
「オールス、遅いよ」
「何をしていた?」
スーシャの顔は来るのが遅かったのに対して怒り、ヨカエルは誰かに取られていたのではないかという悔しく心配するのをオールスは驚きで何も言えず、固まってしまう。
「・・・・・・」
「何か言ってくれ。言ってくれないと困る」
握られている手が次第に震えていき、オールスはヨカエルに抱きしめられてその思いを深く感じる。
「ヨカエル」
ヨカエルの俺に対する思いは嘘じゃない、本物で本気だ。
けれど、これをどうするかは俺に託されている。
同い年で歳も同じで一番頼りになる大事な存在・・・それを知っているからこそ、俺は簡単にこの思いを捨てることはできないんだ。
少しだけでも自分の覚悟が伝わるように、オールスは真剣な眼差しをヨカエルに見せる。
「ヨカエル、今度二人で出かけないか?」
「えっ」
「オールス、それはどういう意味なの?」
ヨカエルの思いに答えるためにすぐに頭に浮かんだ「二人で出かけよう」という意味はまだ言わないけれど、その時になってオールスは本気でその思いを受け止めることを決めたのだ。
たとえ婚約者のスーシャに反対されても、ヨカエルの思いを受け止めるためにはこれしかない。
「分かった」
「あ」
「君と出かけられるなら、地獄にいても全力で喜ぶ」
「ヨカエル・・・」
地獄って、本当に大げさだな。
でも、それだけ俺を好きでいてくれている証だ。
絶対に後悔はさせない。
本気で嬉しそうに笑うオールスの頬をヨカエルが撫でようとすると、スーシャが一瞬で止めてヨカエルを睨みつける。
「それ以上はダメだよ」
スーシャの怒りがよく伝わったのか、ヨカエルはあっさり手を下げてため息を吐く。
「はあ、そう来ると思っていたよ」
「スーシャ、やり過ぎだよ」
「ふん、別に大したことはしていない」
生徒と教師の関係とは思えない逆の立場にいるスーシャとヨカエル。大人の余裕を持つヨカエルに対してスーシャは遠慮なくオールスのためなら何でもする好意にヨカエルはため息を吐いて今は諦めるのだった。
オールスはそれに対してヨカエルに申し訳なく感じ、暗く俯いた。
「ヨカエル、ごめんね」
その愛おしい姿に、ヨカエルは美しく微笑んで首を横に振った。
「何で君が謝るんだ? 君は彼の婚約者で止められるのは当然だ。気にしないでくれ」
「う、うん」
これが本当の大人だ。
二十四歳の俺でも惹きつけられる大人の余裕と魅力。
こんなにいい人なのに、どうしてヨカエルは誰とも婚約を結ぼうとしないだろう。
俺以外の人を好きになったことがないからなのか?
自分中心に考えているのは悪くはないけれど、あまりいいとも言えないのは私だけだろうか?
確かにみんなオールスのことが大好きだが、それでそれぞれのことを自分中心で全てが動いているとは考えないで欲しい。
人は人によって、大好きな思いが違うのだから。
全校生徒と全職員が集まり、舞踏会が始まった。
一シリーズのみんなもニシリーズの攻略対象四人もそれぞれ素敵な人と踊って楽しそうで羨ましい中、一番目立っていたのがオールスとスーシャだった。二人が婚約を結んでいることを知ってしまった人たちがその姿を見ようと百人以上が集まる。
「うわあ、こんなに目立っていいのか?」
緊張で足が震えるオールスとは違い、スーシャは全く嬉しそうで幸せそうでそれを見てしまったら何も言えずそのまま踊り続けた。
が、その時、真っ黒なドレスに身を包むユルルとモカニが闇の魔術で手を握り合い、会場からある特定の人物たちだけを闇のお城に連れ込み、玉座にユルルが座った。
「ようこそ、と言いたいところだけど、第一シリーズのみなさんは来たことがあるからそれを言う必要はなかったわね」
玉座に座るユルルをオールスは
「ユルル、そこからこっちに来るんだ」
オールスの忠告にユルルは強く睨みつけて反抗した。
「は? 何を言っているのかさっぱり分からないわ。私は闇の王になったのよ、今更引き返すことなんてできないわ」
「だったら、無理やりにでも君を動かす!」
が、オールスはユルルの姿を見てあることに気づく。
「そんな・・・ユルル、本当に君は闇の王になったつもりなの?」
「え」
「君の頭には闇の王冠がない。だから君は闇の王じゃない」
「はっ!」
そう。
闇の王冠はオールスが
「くっ! いいわ、闇の王にならなくても私たちには闇の魔術がある。だから誰も私たちには敵わないのよ」
「あっ」
そう言って、ユルルはメリリとマメリーヌの心を奪い、計画通り、闇に飲み込んで味方にされた。
「メリリ、マメリーヌ!」
「うふふっ、あはははははっ。第一シリーズの悪役令嬢とヒロインはこんなに弱かったのね。残念だわ」
「うっ」
どうしよう。
闇の魔術でメリリとマメリーヌの心がなくなった。
こんなのどうすればいいんだよ!
突然の出来事で立ち向かうのが怖くなったオールスを、ニシリーズの攻略対象、ニシュリーとソフィシュ、アリスミーにエリりアがそれぞれの炎、水、緑、の魔術でお互い手を取り合い、力を合わせてまずはモカニの体から闇のかけらを壊して一人の味方を消す。
「み、みんな」
「オールス先生、私たちがついています」
「この四人を仲良くさせたのはこのためでしょう」
「みんなで力を合わせて」
「闇に負けないように」
四人はオールスには内緒でそれぞれの魔術の相性を何度も確かめ合って何度も練習し、力をつけてきたおかげで闇の魔術に立ち向かう勇気をくれたのだ。
「うん、そうだね。ここで立ち止まるわけにはいかない!」
もう
「僕たちを忘れてもらったら困るよ」
「私たちも力を貸そう」
「愛する君のために」
「三人とも・・・うん、みんなで力を合わせよう」
オールスの指揮の元、みんなお互いの魔術でメリリとマメリーヌを救い出して最後はユルルたった一人まで残った。
「はあ、はあ、みんな、大丈夫?」
周りを見渡したらみんな力尽きて倒れてしまっているものの、まだ後少しだけでも戦えるけれど、全身闇のかけらで埋め尽くされているユルルを倒せるのにはまだまだ時間が必要みたいだった。
「くっ! 何で第二シリーズをプレイしていないあなたが攻略対象同士を仲良くできたのよ! 絶対に許さないわ!」
悔し涙を流しながらユルルは全ての力を魔術に込めてオールスに闇をぶつけようしたが、その一瞬で
「はあ、はああ、良かった。全部、消えた」
と、安心した瞬間、オールスの体が突然真っ黒に染め上げ、指輪に変えていた闇の王冠が頭に乗せられて玉座に自然と座る。
「え、これは、どうして・・・」
動揺するオールスをユルルは恐れる。
「まさか、あなた、自分のキャラ設定を忘れているの?」
ユルルの言葉に意味が分からないオールスの体は完全に真っ黒になり、闇の王の祝福の声が何百年もの間眠っていた闇の使い者が目覚め、玉座の前に跪く。
「え、どういうこと?」
動揺が恐怖に変わってオールスの心は少しずつ失われていく。
「オールス、どうしたの? 戻ってきてよ」
「・・・・・・」
愛する婚約者のスーシャの声すらも聞こえなくなり、みんなの悲しみの顔が頭から離れていき、一シリーズの時以上に闇に染まって
「み、みんな。い、今までありがとう」
もう、本当に終わるんだ。
せっかくニシリーズの攻略対象の四人を仲良くさせて幸せだったのに、一シリーズのみんなともさらに仲良くなってみんなが幸せになる未来の計画がこんな形でなくなるなんて、嫌だけど、闇には誰も、俺の
ゆっくりと目を瞑ってオールスはそのまま心を微かにみんなの姿を見つめながら眠る。
だが。
「オールス! 嫌だよ、僕は君を愛しているんだよ! 闇になんか負けないでよ!」
「・・・・・・」
「そうだ、君は今まで闇の魔術をその誰も使えない君だけの力で解いてきたんだ! 闇に負けるなどあってはならないぞ!」
「・・・・・・」
スーシャとリーシュの心の叫びは眠りについたオールスにはもう届くこともなく、時間が流れるだけだった。
しかし、唯一オールスの裏の設定を知っているユルルは、
「くっ!」
何でこうなるのよ。
何で先生は転生した自分のキャラの本当の設定を知らなかったの。
オールス・アイショミアは、彼こそが真の闇の王で一シリーズで倒した「ラレル」はただの偽りの存在で真の闇の王ではなかった。
あなたはそれに気づかず、今までみんなを仲よくさせてきたのは裏の自分が使う
それを知らず、昼には静かに隠れて夜には姿を現し、闇の力に溺れる・・・。
ゆっくりとユルルは炎の魔術、
「・・・ああ」
「先生、起きてください! 全て私が悪かった、先生を守れなかった。だからもう自分を自由にして起きて! みんなあなたを待っているのですよ、早く起きて!」
ユルルの誠実な叫びがここにいるみんなの心を動かして全員がオールスの元に行って、真っ黒な体をヨカエルとエリリアが緑の魔術、
「オールス?」
「先生?」
スーシャとユルルの声を聞いたオールスは両手を広げて二人を風のように強く突き飛ばす。
「ああああっ!」
「い、痛いわね」
突き飛ばした二人に驚きを隠せない残りの十人も一緒に闇の魔術で吹き飛ばされた。
「オ、オールス。何てことを・・・」
「ひどい」
「お兄様、どうして」
「怖い」
自分の力で仲良くさせたみんなを傷つけたことに開放感を覚えたオールスは顔を上げて怪しげな笑みでみんなを憐れ見る。
「あははっ、ははははっ! 何て最高なのだろう。この俺が闇の王となるのは何年ぶりのことだろうな」
「はっ」
「そんな」
「嫌だよ、オールス!」
「はははははっ!」
みんなの声など無視して、オールスは闇の心で輝きを失い、みんなのことを完全に忘れてゲームにはない闇の世界を一番悪役にふさわしいオールス・アイショミアが悪役令嬢以上に全てを闇に変えていくのだった。
悪役令嬢の兄は可愛い妹のために憧れた愛の誓いを守りたいが、モテ期のせいで自信がなくなる・・・。 @seitarou
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