息子とのトラブル

 岩本は家に帰ると息子に話そうと声をかける。息子は相変わらず会社に通うことができていなかったのだ。それを見かねて岩本は息子に話そうと声をかけたが、息子はどうも避けたがっている様子だった。しかし、岩本はそれでもしつこく声をかける。


「おい、話すぞ。いつまでもそのままだとまずいだろう」

「ほっといてくれよ。頼むから」

「ほっておけるわけないだろう。大事な息子なんだから」

「迷惑なんだよ。おせっかいなんだよ」

「迷惑とはなんだ。親に向かって」

「そういう風にすぐ怒るのが嫌なんだよ」


 岩本は黙ってしまった。息子に指摘され、この頃のことを思い返す。怒って失敗しての繰り返しだったと思う。岩本はようやく自分が怒りっぽくて迷惑な人間だと自覚し始めた。そのことに気づいた岩本は人間として少し成長した。


「お父さん、確かに、怒りっぽいな。すまない」

「うん。俺のことはほっといてくれ。なんとかするから」

「でも心配だ」

「会社で嫌われてる。それだけの話だよ」


 息子が会社で嫌われている。その事実が岩本の身に重なってひどく重く受け止めた。


「お前も嫌われているのか。お父さんもなんだ」

「お父さんはわかるよ。怒りっぽいし、頑固だし」

「お前はなんで嫌われているんだ?」

「わからないけど、仕事ができないからかな」


 息子のあきらめたような発言に岩本は落胆する。岩本家は不遇な家族だと。岩本は息子や娘をしっかり育てることができなかったことを後悔する。


「お父さんのせいでお前らを不幸にしてごめんな」

「謝ることじゃないよ。不幸とは思ってないし」


 息子がまっすぐな目で不幸ではないと肯定をする。岩本は息子の成長を肌で感じ取った。岩本はグッときたが、それをこらえて話を続ける。


「とにかくどうするんだ? 辞めたっていいんだぞ」

「それはちょっと迷ってる。辞めたところでどうするかわからないし。もう少し悩ませて」


 そう言って話は終わった。岩本は家庭の問題を解決できず、少し落胆していたが、自分が怒りっぽいことを認められて成長できたと実感していた。それからの岩本は会社で怒りたくなってもいったん飲み込むことができるようになった。岩本は付き合いやすい人間に変わっていった。部内でも少しずつ評価が変わり、部長や勝田ともうまく付き合えるようになっていった。岩本にはこれからも屈辱的な出来事があるかもしれないが、そんな岩本の未来は少しだけ輝き始めた。


 息子の方はと言うと、再び会社に通い始めた。嫌われているのは変わらない様子だったが、なんとかかわすすべを身につけたようだった。岩本は相変わらず心配をしていたが、息子はなんとかすると言い続け、一切の干渉を拒絶した。その後、息子は鬱になってしまった。


 鬱の息子を心配した岩本は会社の仲の良い鳥越に会話の流れで相談した。


「鳥越さん、実は息子に関して相談がありまして」

「どんなことですか?」

「恥ずかしい話、息子が鬱になってしまって、どう接していけばいいかわからないんです」

「話を聞いていると、岩本さんが過干渉な気がしますね。少し距離を取るのが私はいいと思います」


 岩本は鳥越の言葉を聞いて納得した。確かに今まで子どもたちに対して、過干渉だったと思う。少しそっとしておこう、そう思った。しかし、岩本は心配さから声をかけてしまうのではないかと、自分に対して不安感を覚えた。だが、それは岩本の解決すべき問題。鳥越に聞くのは憚られた。それを鳥越は察したのか、一言付け足してくれた。


「岩本さん、くれぐれもしつこく話しかけたりしたらダメですよ」


 岩本はその言葉を胸に刻んだ。


 家に帰った岩本は息子を見かけても「ただいま」とだけ言って、言葉をそれ以上かけなかった。息子は少し驚いたようだったが、すぐに順応した。その日の食卓は静かだった。しかし、嫌な静けさではなく穏やかな空気感だった。それとなく妻が声を発する。


「ねえ、今日はこの肉じゃがうまくできてると思わない?」

「そうだね。おいしいよ」


 娘が母の言葉に反応する。岩本も話に乗っかっていく。


「ああ、おいしいね。何か変えたのか?」

「変えたというより玉ねぎが美味しいと思うのよね」


 妻が言葉を返す。息子は一切話さないが、居心地が悪いようには見えなかった。妻が息子に話を振る。


「ねえ、肉じゃがどう思う?」

「……おいしいよ」


 短い言葉だったがその言葉は家族を安心させた。家族に団らんの空気が流れ、岩本家を幸福な気持ちにさせる。岩本は息子に思わず声をかけようとしたが、理性がそれを引き留めた。岩本は鳥越のアドバイスをしっかり守っていた。


 食事が終わると家族それぞれが各々の部屋に戻っていく。岩本は息子の部屋に向かうことにした。先ほどせっかく話しかけなかったのに、岩本は欲が出てしまい、息子とどうしても話したくなってしまったのだ。岩本は息子の部屋の前に立つとやはり迷いが出てきた。鳥越の言葉を思い出し、かつ、何を息子と話すかなど考え出してしまった。どうしようか部屋の前で悩んでいるとトイレにでも行こうとしたのか、息子が部屋から出てきた。鉢合わせる2人。息子は岩本を一瞥すると、サッとトイレに向かった。岩本は息子の背中に声をかける。


「なあ、いつまでそうしてるつもりだ?」


 岩本は少しきつめの言葉をかけてしまったと後悔する。しかし、覆水盆に返らず、その言葉は息子の心に強く突き刺さった。息子が振り返る。


「うるさい」


 息子はそれだけ言ってトイレに向かった。岩本に言い返す気持ちはなかった。岩本はその場で息子を待った。言い返そうと思ったわけではなく、ただ話がしたかった。息子がトイレから出てくる。息子は待っていた岩本に少し驚いていたが、無視して部屋に戻ろうとした。岩本が再び声をかける。


「少し話そう」

「嫌だ」


 息子に簡単に拒絶されてしまう。鳥越の言葉がちらつく。やはり話しかけない方が良かった、そう思う岩本。そんな岩本に息子がさらに言う。


「……でも心配してくれてありがとう」


 岩本は明るい気持ちになった。息子も照れくさそうに笑った。以前の息子のような態度に岩本は嬉しくなったが、ここで調子に乗らず、岩本はそれ以上言葉をかけなかった。これが良かったのか、息子も満足そうに部屋に戻っていった。岩本も自信の部屋に戻り、ギターを弾くことにした。岩本の精神状態がいいからかその日の岩本のギターは乗りに乗っていた。普段は高中の曲をコピーしているが、この日はオリジナリティあふれるギターフレーズを思いつくほどに絶好調だった。岩本も自分で自分のギターに驚いていた。ここまで弾ける日は今までなかったかもしれない。ギターと精神状態は岩本にとって大きな影響があるようだった。


 次の日、会社で岩本は鳥越に感謝した。


「鳥越さん、アドバイスのおかげでなんだか息子と仲良くなれた気がします。ありがとうございました」

「いえ、大したこと言っていないので。お気になさらないでください」


 鳥越との関係性も良くなったと岩本は感じていた。やはり今までの怒りっぽい岩本は会社の厄介者だったが、今は温厚になり、周りの反応も変わり始めている。鳥越が言う。


「岩本さん、話しやすくなりましたね。前は正直話しかけるの怖かったです」

「鳥越さん、やっぱりそうでしたか。今は反省しています。どうか許してください」

「はい」

「ところで鳥越さん、最近ドラムは続けているんですか?」

「はい、教室に通っていますよ」

「そうなんですね。私も最近ギターが楽しくて、一緒にスタジオ入りたいですね」

「あー、いいですね。ベースもいるといいですよね」

「辞めちゃった山本君、ベースも弾けましたよね。私連絡してみましょうか?」

「いや、私とちょっとトラブルになってしまったので、たぶん会いたくないと思います」

「でも私から説明すれば会ってくれると思いますよ」

「そうですかね。じゃあお手数ですが頼んでもいいですか?」

「はい、わかりました」


 その後、山本を鳥越が説得し、スタジオに3人で入ることが決まった。

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