岩本の過去⑥

 それからの岩本の気分は最高潮だった。彼女ができたことで、人生は素晴らしいと思えるようになった。今までも十分楽しかったが、それ以上の幸福だった。ギターの練習もはかどり、高中の曲も少しずつ弾けるようになっていった。林たちとのバンドもうまくなっていき、部内ライブでも演奏力があると好評だった。しかしそんな中、高梨と石田の卒業が近づいてきていた。2人の進路も遠くの東京の大学で、バンドもベースとドラムを見つけなければ解散という状況だった。岩本、木田、林の3人はなんとか先輩2人を喜ばせたいと考えていた。とにかく何かをして、喜ばせたかった。何がいいだろうと3人で考えていたが、やはり音楽で恩返しをしたいということで話がまとまった。2人が好きな高中の曲を猛練習して、ラストライブに臨むことにしたのだ。岩本はともかく、初心者の木田には荷が重かったが、岩本が熱心に指導を行った。先輩2人にも高中やりましょうと話し、話がまとまった。5人でスタジオに入り、練習する日々が続いた。そして、部内のラストライブの日がやってきた。


 岩本はその日、朝から上機嫌だった。とうとう念願の高中の曲をバンドで演奏できるのだ。とてつもなく興奮していた。前日に林とデートしたこともあり、いつも以上にテンションが高かった。ギターを背負い、ライブ会場へ向かった。軽音楽部のみんなが揃っており、楽しげな雰囲気だった。トップバッターのバンドの演奏が始まり、岩本は耳を傾ける。曲は良く知らない曲だったが、最近流行りのロックバンドの曲らしかった。流行り物はわからないな、と思いながら、音楽を聴いていた。そろそろ時間だと思い、前室に向かう岩本。そこには岩本のバンドメンバーがそろっていた。


「岩本、もうすぐ出番だぞ」


 木田が言う。高梨、石田、木田、岩本、そして林が出番はまだかまだかと待っていた。岩本はバンドメンバーの顔を眺めると、感慨深い気持ちになった。今までの人生はバカにされてきたが、こんなにも仲間が増えた。最初は敵だった木田もそうだし、林とは恋人関係になれた。俺は生きてきてよかった。そんなことを思った。そして、ステージに立つ。


 ステージに立った5人は目の前の光景を幸福に思った。軽音楽部のみんなが祝福してくれているように感じる。また、高梨、石田の卒業を盛大に見送ってくれているようだった。泣きそうになる5人だったが、木田が「気張っていくっすよ!」という軽い言葉をかけたおかげで、空気が柔らかくなり、演奏の気持ちになる。岩本たちの演奏が始まった。


 曲目は「BLUE LAGOON」。岩本の大好きな曲だった。また、高梨、石田の好きな曲でもあった。原曲はギター1本の曲だが、木田と岩本のツインギターでパート分けを行うことで難易度を下げていた。パーカッションが元々入っている曲で、岩本たちのバンドにはパーカッションがいないのでドラムの石田が少しきつい曲だったが、練習では何とかなっていた。しかし、ライブとなるとそうもいかなかった。石田のリズムが少し崩れそうになる。だが、そのたび高梨のベースが曲の屋台舟を支えた。林のキーボードは安定していた。演奏中、岩本に何度も視線を向け、集中していないように見えたが、演奏は失敗しなかった。中盤のギターソロのパートになると岩本と木田のツインギターが交互に音を奏でる。決してうまいとは言えないが、情熱のあるギターだった。そうして、5人の最後の演奏は終わった。


 演奏を終えたメンバーは喜びを分かち合った。普段はしゃがない岩本すら喜んでいた。みんな一様に「うまくできた」、「俺たちすごい!」など感嘆の声を上げていた。それほど難しい曲をやり遂げ、盛り上げることができたことを誇りに思っていた。先輩2人に岩本は言う。


「高梨さん、石田さん。お疲れ様でした。俺たちとのバンドは終わるけど、これからも楽器続けてください!」

「うん、ありがとう!」


 2人が岩本の激励に応える。それを見た木田が涙を流し始めた。


「うぅ……」

「泣いてるんですか? 木田先輩」

「うるせえ!」


 木田の涙をからかう林も少し泣いている様子だった。そこに軽音楽部のみんながやってきてそれぞれが激励の言葉をかけていった。岩本は本当に心の底から音楽を始めて良かったと思えた。そうして、岩本は3年の先輩を見送り、次は自分たちが見送りをされる番となった。


 3年生になった岩本は木田と林とともにバンドを続けていた。ベースとドラムの後輩を見つけ、うまくやっていた。唯一の不満は高中の曲をやれないこと。みんな高中に興味はないし、単純に曲が難しかった。みんなの興味は流行りのロックバンドの曲で、木田の趣味がうまく反映されている形だった。岩本も嫌いな曲ではなかったが、やはり高中をやりたいという気持ちがとても強かった。岩本は家での個人練習では高中ばかり練習していた。バンドでやる予定の曲を無視して練習していた。そんな状況なので、岩本たちのバンドはうまくいかなくなっていった。


「岩本! またギターミスってるぞ」

「ああ、ごめん。集中するよ」

「さっきもそう言っただろ! 本当に練習してるのか?」

「……」

「やっぱり練習してないな! なんでだよ。お前ギター好きだろ?」

「俺はギターよりも高中が好きなんだ。高中の曲がやりたいんだ」

「わかった。じゃあ今度やろう。今はこの曲を練習しよう」

「嫌だ。高中の曲しかやりたくない」

「岩本、何を言ってるんだ!」


 岩本は高中を好きすぎるあまり、高中の曲以外はやりたくないという気持ちになってしまった。岩本はどこまでもわがままだった。バンドメンバーに不穏な空気が流れる。急にどうしたんだろうという心配と、何を言っているんだという不安感とが混在していた。そんな中、林が口を開く。


「昭、どうしたの? 高中の曲やりたいのはすごくわかるけど、今そんなこと言ってもみんなできないよ。難しいし、第一練習してないし」

「それでも俺は高中の曲をやりたいんだ。みんな今から練習しよう」

「そんなのおかしいよ。どうしたの? 本当に」

「高中やりたんだよ、俺は」


 そう言った岩本はみんなから視線を注がれ、少しうろたえた。が、すぐに口を開き、高中、高中と口にする。そんな岩本にみんな嫌気がさし、帰り支度を始めた。


「なんでみんな片付けているんだ? 高中やろうよ」

「……」


 みんな無視して、片付ける。その日はバンドメンバーは誰も口を利かずに帰った。岩本は家に帰ると悶々としていた。なんで高中やれないんだろう、俺はロックにあまり興味ないんだ。高中をやりたいんだ。我慢してきたんだ。高中をやりたいんだ。そんなことを思いながら、ギターに手を伸ばす。弾くのはもちろん高中の曲だった。人生に大きな影響を与えたギタリスト。高中のギターはどこまでも岩本を刺激した。岩本は自分が高中になった気がして、ギターがとてつもなくうまく弾けるように感じた。ただ、実際は大したことがないのだが、高揚した岩本にはそれは感じ取ることができなかった。夢中でギターをかき鳴らす岩本。高中への想いがあふれ出す。なぜバンドで高中をやれないのか、なぜ興味のない曲を練習しなければならないのか。そんな想いは岩本をバンドを辞めるという結論に辿りつかせた。


「そうだ、バンド辞めて、自分で高中のコピーバンド組めばいいんだ」


 至極シンプルな結論にたどり着いた岩本は明日、バンドメンバーに辞めたいと話そうと誓った。


 そんな岩本の辞めたいという気持ちはバンドメンバーに衝撃を与えたが、その一方で「まあ、そうだろうな」とも思わせた。この頃、様子がおかしかったし、岩本とのコミュニケーションもうまくいっていなかった。メンバーはみんな「はい、さようなら」といった面持ちだったが、岩本の彼女の林だけは当然態度が違った。


「昭、辞めるなんて言わないでよ。せっかくみんなで楽しくできていたのに」

「俺は高中やりたんだ。お前も俺の新しい高中バンドに入らないか?」

「違うの! このメンツでできるから楽しいんだよ!? 違うバンドも楽しいだろうけど、私は昭以外のみんなも好きなの!」

「と言われても、俺はロックなんてやりたくないんだ。とにかく辞めるよ」

「昭のバカ! さようなら」


 林は涙を流しながら走り去った。バンドメンバーに気まずい空気が流れた。岩本はそんなことをなんとも思わず、ただ一言、「じゃあな」と言ってバンドメンバーに別れを告げた。


 岩本は高校3年生になっていた。バンドメンバーに別れを告げてから、高中コピーバンドのメンバーは結局集まらなかった。なので1人で黙々と練習する日々であった。仲の良かった木田とも疎遠になり、林とは当然別れた形になった。風の噂では木田と林が今付き合っているらしいが、岩本はどうでもいいと思っていた。ただ、高中の曲がやれれば、それだけでよかった。3年生になったことで、岩本も進路を学校に提出しなければならなくなった。周りの人間は大学に進学する人間が多かったが、岩本はCADの専門学校に行こうと思っていた。なぜなら父親も図面を書く仕事をしており、幼いころからあこがれがあったことと、岩本自信もそういった細かい作業が好きであった。その進路について、両親も担任も特に反対はせず、穏便に事は運んでいった。そして、専門学校は東京の専門学校に行くことに決めた。岩本は一人暮らしを始めることになる。さらにその専門学校には軽音楽サークルがあり、そこも岩本の決め手になっていた。友達があまりいなくなってしまった岩本は、黙々と受験勉強に励んだ。そのかいあって、見事第一志望の学校に合格することができた。物件を探しに岩本は両親とともに、東京へ訪れた。初めて訪れた東京は人の多さや、建物の大きさに戸惑わされたが、岩本は慣れていくしかないなと思った。不動産屋を訪れ、何件か物件を見させてもらい、都内の1Kの物件にすることに決めた。決めてはやはり壁が厚く、音が漏れにくいことだった。


 そうして、進路や次の住処を決めた岩本は残りの高校生活を楽しもうと決めたが、ふと気づいたら友達が誰一人いなかった。部の面子とは疎遠になったし、耳の悪い岩本はクラスでも浮いた存在だったので、敬遠されていた。少し話す中のクラスメイトもいたが、そいつらは岩本が話しかけても避けられる印象だった。岩本は久しぶりにイライラしてきていた。なんで俺の周りにはろくな連中がいないんだ。俺みたいな障がい者は敬遠される存在なのか。いやそれは違う。岩本の性格が悪いのだが、本人は気づく余地もない。兎にも角にも岩本には友達がおらず、イライラしていることだけが事実だった。岩本はそこで反省して、専門学校で友達を作ろうと考えられればいいのだが、岩本は今、この状況しか見えておらず苦しい思いをしているのだ。そんな岩本は家に帰って、ギターを弾くことしかしなくなった。

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