第三章
話は、今年の春に戻る。
自宅で夜に、
「どうしてこんな大量の家事があるの……」
と私はぼやきながら、部屋干し用の物干しから洗濯物を取り込んで、そして眠った。
それから一夜明け、休日。また家事で、私は一日の大半を潰した。
まず朝。洗濯機を回したら朝食を作って、食べ終わったら皿洗いする。調理の手間を最小限に済ませられるように、パッケージサラダと豚焼肉と食パンだけを食べるが、それでも特に皿洗いで、こびりついた汚れを取るのに苦労する。
それから少し休んで、洗濯物を干した後は、午前中に近所のスーパーへ食料品や日用品の買い出しに行った。週に二回、三・四日分の食料を買うのだ。いっぱいになったエコバッグを抱えて帰ってきて、買ってきた食料品や日用品を片付けるのにも骨が折れる。
その後昼過ぎまでだらだら寝て、お昼を食べたらまただらだら寝て、それからやっと私は動き出す。
次は掃除だ。ウェットシートをつけたワイパーで床を拭いたり、やっぱりウェットシートでお風呂の壁を拭いたり、洗剤とブラシで便器を掃除したり。正直汚れが苦手なので慎重に丁寧にやって、それで夕方までの時間は潰れた。
夕方になればお風呂に入って、夕食を作って食べ終わったら皿洗いして、その後乾いた洗濯物を取り込んでから眠った。
それが、丸一日休みの日の私の過ごしかた。
それでも大変なのに、バイトする日もあった。奨学金と父さんからの仕送りだけでは生活できないからだ。
職場は近所の百円ショップ。レジに立って会計をしているだけでもずっと立ちっぱなしなので少し足腰がしんどくなるし、その上レジをしていない時や、レジをしている時でもお客さんが来ていない時には、売り場に商品を補充する。
その仕事で、大学が休みの日には昼過ぎから深夜まで、授業がある日でも夕方から深夜まで時間が潰れた。
生活するための家事やバイトだけでも大変なのに、平日は朝から夕方まで、大学の授業やその予習・復習で潰れた。
そんな調子だから、当然小説を書く時間もほとんど取れなかった。大学の一年から三年の間、一年に一本書くのがやっとだったのだ。アイディアもあまり膨らまなくて、一年と二年の時に書いた作品も、それぞれ一次落選した。
おまけに月一で、しんどい「恒例行事」もあった。父さんと母さんと一緒に、会食するのだ。
例えば回転寿司を食べながら、
「勉強どうなってる?」
と聞いてくる父さんに、
「単位落としてないよ。大丈夫」
と、私は笑いながら答えたり、
「バイトはどう?」
と聞いてくる母さんに、
「真面目に行ってるよ。大丈夫」
と、やっぱり笑いながら答えたりした。
そういう無難な話を、平気なふりで私はしたのだ。
限界が来たのは、三年と四年の間の春休みだった。
バイト先に、欠勤のメッセージを送る。もう休むのは三日目だ。
私は引きこもって、朝も昼も夕方も夜も、ひたすらだらだら寝ていた。いわゆるセルフネグレクトというやつだ。
たまに水分補給したり非常食を食べたりするが、もう何日も普通の食事を取っていない。お腹が鳴っても、料理したり、食料品の買い出しに行ったりする気力が湧かなかった。
非常食は残り四日分。それを食べ尽くしてもこの状態が続くなら、このまま死ぬのかな……。
そう思っていると、インターホンが鳴った。出てみると、トモちゃんが来ていて、
『アサちゃん? もう何日も既読スルーしてるから、心配で来ちゃった』
と説明した。今の私には、そのことは天使の降臨に思える。
私は彼女を部屋に入れた。入ってくるなりトモちゃんは、埃が積もった床や、カビが生えたユニットバスを見て、
「綺麗にしようか。掃除道具借りるよ」
と言って、てきぱきと掃除をしだした。
それが終わったら、彼女は「ご飯食べてる?」と聞いてくる。私が「最近は非常食ばかり……」とぼそっと答えると、
「じゃあ買い出しに行くよ。普段何買ってる?」
とトモちゃんが聞いてきたので、私は普段買っている食料品のリストや、買い出しに行っているスーパーの位置のスクリーンショットをチャットアプリで彼女に送って、買い出しに行ってもらった。
それから戻ってくれば、トモちゃんは料理もしてくれた。私は彼女の手料理を食べながら、彼女に近況報告をして、
「手間かけてごめんねー……。トモちゃん」
と詫びた。それを聞いたトモちゃんは首を横に振って、
「私がやりたくてやったことだから、気にしなくていいの」
と答える。イケメンすぎて惚れそうだ、と思う私に、
「それより、アサちゃんはどうしたいの?」
と、彼女は聞いてくる。それに私は、少し考えてから、
「……小説を書きたい」
と答えた。
それから、大学四年の初め頃の四月。
私は萩村先生のゼミに入っていたので、彼と進路相談する機会があった。
萩村先生の研究室で、私は、
「両親からは、公務員になるように言われてきましたけど……。私は、就職活動をせずにライトノベル作家を目指そうと思います」
と、正直に言った。
向かいに座る先生は、目を丸くして、
「そんなことを言った学生は、僕の担当では初めてだよ」
と言った。叱られるかな、と思った私に対し、続けて彼は、
「けど
と、背中を押してくれた。
それを聞いて私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
それから、その月の下旬。
私は両親に中華料理屋に呼び出され、昼食を共にしていた。
メインディッシュの麻婆豆腐をほぼ食べ終わったところで、父さんが、
「四年はいよいよ就活か。何か公務員になるための勉強してるか、真朝?」
と、話題を振ってきた。
私は即答できず、口をつぐむ。これから言い出すことを考えると、心臓がばくばく鳴った。
黙り込んでいると、母さんが「真朝?」と呼んでくるので、それに弾かれたように私は口を開く。
「私は就活しない。ライトノベル作家を目指す」
そう私が断言すると、父さんも母さんも、この世の終わりが来たみたいな顔をした。それを尻目に、私は伝票を取って席を立つ。
「待て真朝!」
「考え直しなさい、真朝!」
という父さんと母さんの声を背中で聞きながら私はレジに向かい、自分の分の会計を自分のお金で済ませてから、店を出た。
外に出ると、頬を涙が伝っていることに気付く。
それをぬぐって、私は家路についた。
小説を書く、作業場へ。
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