第9話 うっせぇわ

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 エリスとシレンとオフィーリアがマルコを山に残して村に帰った後、村長の家でもオフィーリアがマオック村の出身だという話題になった。


 もちろん、村長もマオック村の出身者なのでオフィーリアの両親がスライムに襲われた事件も遠くの親戚に引き取られていった娘の話も覚えていた。


「そうか、あの時の娘さんがねぇ」と、村長は感慨深そうだ。


 視察が済んだら両親の墓参りをしたい、とオフィーリアが言い出し、その後、幼なじみのマリーベルにも会ってみたいという話になった。


 本日のオフィーリアとシレンの宿は村長宅である。


「私用なので、シレンさんは、こちらで休んでいてくださいな」


 と、マリーベルがシレンに言った際、シレンは「わたしもマルコくんと話をしてみたい」と言い出した。


 エリスはシレンがなぜそうしたいのか、すぐにわかった。


 マルコが見る夢の話だ。


 だが、山で物騒な想像をしてしまっていたので自分もマルコが夢を見ると知っているとは言い出さない。状況を見極めるまでは黙っていた方がいい。


 エリスは案内をかってでた。


 そうして墓参りを済ませてマルコの家にやってきたのだ。


 マルコの部屋の扉が開いた。


 マルコがでてきた。


「お、エリス」と、マルコはエリスに笑いかけた。作り笑いではない。


「あれ?」と、エリスは違和感を覚えた。


 思っていたほどマルコは意気消沈してはいなかった。


 まぶたが腫れて目が赤かったから、マルコは恐らく泣いたのだろうとは想像できた。


 髪に寝癖がついているから泣き疲れて眠ってしまっていたのかも知れない。


 けれども、山で別れたときのような沈んだ目の色をしてはいなかった。


 何か覚悟ができた表情だ。


 エリスにそのつもりは全くなかったけれどもエリスとお別れする覚悟だろうか?


 多分違う。


 マルコの顔は、まだ諦めてはいない時のマルコの顔だった。


 覚悟ができたというより腹をくくったという表情だ。


 エリスは、ちょっとだけ安心した。


 マルコはまだエリスを諦めていなかった。


 ということは、いつものマルコだ。


「転生勇者様が、あんたと話をしたいって。どうする?」


「来てるの? ちょうど良かった。僕からも話があったんだ」


 マルコは飄々ひょうひょうと受け答えた。


 理由はわからないけれども凄みを感じた。


 何か期待できる気がする。


 でも、どのようにマルコは腹をくくったというのだろう?


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 シレンが案の定、二人だけで話を、と言い出したので、マルコはシレンを自分の部屋に案内した。


 食卓から心配そうなエリスの視線が追いかけてくる。


 エリスはマリーベルとオフィーリアと一緒に食卓で茶飲み話だ。


 エリスの座る位置は一番マルコの部屋に近かった。


 マルコはシレンに気づかれないように、大丈夫、と声には出さずに口の動きだけでエリスに伝えた。


 エリスは、ぎこちなく微笑んだ。


 一瞬、マリーベルも心配そうな顔を見せたが、すぐにおばちゃん同士の会話に夢中になったようだ。マルコが自分の部屋の扉を閉めるより早く大きな笑い声が聞こえてきた。


 マルコはシレンに椅子を勧めた。


 自分はベッドに腰をかけた。


 机の上に置いたままになっている黒歴史書を、さりげなく裏にする。


 表にはマルコの字で『転生勇者の黒歴史』と大書してあった。


 シレンが、この世界の文字を読めるかどうかをマルコは知らない。


 身長二メートルを超えるシレンには部屋は狭く椅子は小さい。


 貧弱なマルコなどシレンにちょっと小突かれただけで骨が折れそうである。


 お互い座っている状態なので自然とマルコはシレンの顔を見上げる姿勢だ。


「さて」と、マルコは話の口火を切った。


「それで僕は何と呼んだらいい。転生勇者様? それとも、笠置かさぎ詩恋しれん?」


 シレンはハッとした表情をした。


「やっぱり。転生前のわたしのことを知っているのだな? いったいなぜ?」


 マルコはシレンに、にやりと見えるように口の端をあげた。


「秘密を簡単には話せないよ」


 シレンは口をつぐんだ。


 物凄い目つきでマルコを睨む。


「怖いよ。『恋に恋するポエマー』さん」


 シレンの目つきが、さらに怖くなる。


 だが、シレンは諦めたように目力を緩めた。


「シレンと呼んでくれ」


「僕はマルコで」


「じゃあ、マルコ、何なら話せるんだ?」


「スダマサピくん関連の一連の詩とか」


「ひっ!」と、シレンはうめき声を上げた。


「そらんじてみせようか」


「いや、いい」


 シレンの顔は真っ赤だ。


 シレンは両手で顔を覆って、うつむいた。


 見てわかるような大きな呼吸をして心を落ち着かせている。


 マルコは、ゆっくりとシレンの精神の回復を待つ。


 シレンは何とか顔を上げた。


 息も絶え絶えにマルコに問いかける。


「どうしたら秘密を話してくれるんだ?」


「エリスと一緒に僕も連れてって。転生勇者様なら、それくらい簡単でしょ」


「待て。君は何か勘違いをしているようだな」


 シレンは手を上げてマルコを制した。


「転生勇者様などと呼ばれているが、わたしはただの居候だぞ。戦士団の女子寮に住んで、三食、寮の食事を食べている。しかも無収入だ」


「ウソ!」


「こんな嘘ついてどうする? オフィーリアならまだしも、そんな力はない」


「じゃ、オフィーリアさんを説得して」


「エリス嬢は三年たったら戻ってくるのだろ。ついていかなくてもいいのではないか」


「エリスが僕の相手をしてくれるのは幼なじみ補正がかかってるからなんだ。村を離れたら補正が解けちゃう」


「随分、自信がないのだな」


「ないよ。僕はただの村人Aでエリスは村始まって以来の才女だ。もともと釣り合いがとれてない。ポエマーだったら、この気持ちわかるでしょ」


「その名で呼ぶな」


「転生勇者なら誰にでもこんな話をするわけじゃないよ。『恋に恋するポエマー』にだから話をするんだよ」


「すまん。恋に恋するレベルのわたしには荷が重い話だ」


「もし、連れてってくれなくても勝手に行くよ」


「来ても王都には許可無く住めんぞ」


「でも、観光や商売のためなら入れるんでしょ。王都には、『転生勇者新聞』ってのが、あるんだって? 転生勇者様自作のポエムなんて高く買ってくれると思うんだけど。これなら商売だろ」


『転生勇者新聞』とは王家公認転生勇者ファンクラブ、正式名称『転生勇者親衛隊』の会報誌だ。


 一般紙ではないから誰もが読めるわけではないが王都の住人は各家庭で大抵誰かは親衛隊の隊員になっているから実質的には一般紙も同然だ。


「それがダメでもシレンの詩を広める方法は他にも色々あると思うんだよねぇ」


「随分、自分勝手なんだな」


「違うよ。それだけ必死なんだ。僕の一生がかかってる」


 マルコは気合いを込めてシレンの顔を見た。


 シレンに負けないだけの目力を込めたつもりだ。


「マルコはそう思っていてもエリス嬢は嫌かも知れないぞ」


「補正がかかっている間は大丈夫」


「今度はすごい自信だな」


 シレンは自嘲気味につぶやいた。


「人を利用して自分だけずるいぞ。わたしには浮いた話の一つもないのに」


「シレンなら、どこの王侯貴族でも選び放題なんじゃないの?」


「どうも怖がられているみたいで誰一人寄ってこん。」


「自分から行けばいいじゃない」


「そんなことができるくらいなら『恋に恋するポエマー』など名乗らん」


「確かに。でも、僕に王都で勝手なことされるぐらいなら自分の目の届くところに置いておいた方がいいと思わない?」


「思う」


 シレンは即答した。


「もしくは、いっそのこと消してしまうという手もあるな」と、マルコにすごむ。


 マルコは、まったく動じなかった。


「僕が知ってるシレンの黒歴史は全部ノートに書き留めてあるんだ。沢山複製して色々なところに隠してある。シレンが僕を消したとしたらノートを見つけた誰かは中身を真実だと確信するだろね。シレンが信憑性を高めてくれたから」


 もちろん、嘘だ。黒歴史書は一冊しかない。


「なるほど」


 と、シレンは、あっさりと威圧を解いた。もともと消す気などありはしないのは明白だ。


「では、こうしよう。わたしは居候の身だからマルコを王都へ連れて行く力はない。ただ、オフィーリアに口添えはしよう。ただし、彼女が承知するかはわからない」


「でも、シレンが説得してくれるんでしょ」


「説得は自分でしろ。助け船はだそう。どうだ?」


「わかった。それでいいよ。じゃ、行こう」


 と、マルコは立ち上がって部屋を出て行こうとする。


「待て」とシレン。


「わたしの番だ。なぜ、わたしの過去を知っているのだ?」


 マルコはベッドに座り直した。


 まだ、王都に着いたわけじゃない、とは指摘しない。


「夢で見るんだ」


 あっさりとマルコは秘密をばらした。


「夢?」


「うん。シレンがこの世界に来たのは三年ぐらい前だろ。その頃から、時々、夢に笠置詩恋が出てくるようになった。なぜか覚えておいた方がいい気がして日記みたいに全部ノートに記録してある」


「なぜ笠置詩恋が転生勇者のシレン、要するに今のわたしと結びつく?」


「ずっと何の夢かわからなかったんだけれど、一つだけ大きな卵が割れて中から人が出てくる夢があるんだ。周りにいる人たちが『転生勇者様』だって騒いでいた。卵から出た人は今のシレンだったよ」


 マルコは唐突にシレンに訊いた。


「シレン、おへそある?」


 シレンは明らかにぎょっとした。


 反射的に自分の腹を両手で押さえた。


 マルコがシレンを『笠置詩恋』と呼んだ時より、驚きの度合いが大きい。


 心の準備が、まったくなかったためだろう。


 へそは、ほ乳類の母体と胎児が栄養的に繋がっていたという名残の器官だ。


 当然、卵から生まれる場合には存在しない。


「見たのか?」


 と、真っ赤になるシレン。


 スダマサピくんの詩を知られていた時より、さらに赤い。湯気が出そうだ。


「だって卵から出るとき裸だったから」


 シレンは立ち上がった。


 天井が頭にぶつかりそうになるところを、のしかかるようにマルコを両手でつかもうとする体勢をとることで回避する。


「やはり消すしかないみたいだな」


 今度は本気だ。


「見てない、見てない、ちょっとだけしか」


 マルコは、ぶんぶんとかぶりを振った。


「夢だから自分の見たいところに焦点をあわせられないんだ。ただ、へそがなかったような気がしただけ。なかったから見えなかった」


 言い訳になっているのか、いないのか、よくわからない言葉を必死に吐く。


 シレンは椅子にドサリと戻った。


 五体を投げ出すように背もたれに深く沈み込んで天井を仰ぐ。


 木製の椅子がギイギイと悲鳴をあげた。


「召還師たちだな。その夢は転生の儀式だ」


 シレンは、ぼそぼそと口にした。


「本当にわたしを夢に見ているようだ」


 シレンは、ぐいっと椅子に身を起こした。


 マルコに顔を近づける。 


「確認するぞ。わたしのへそを見たのか見ていないのか?」


「胸しか見てない」


 と、マルコは断言する。


「いゃぁあああ」と、シレンは絶叫した。頭を抱えて縮こまる。


「いや、夢だから夢。ただの夢」


 マルコは慌てて取り繕った。


 コンコンコン、と、遠慮がちにドアが三回ノックされた。


「マルコ、大丈夫?」


 と、心配そうなエリスの声がした。


「心配ない」と、マルコ。


「シレンも何か言って」と、マルコは小声でシレンにうながした。


「問題ない」


 と、うなだれたままシレンも後に続いた。


 シレン的には本当は問題ありありだ。


「なら、いいけど」と、エリスがドアから離れていく気配がする。


「そうだな。ただの夢だ。夢。夢。夢。」


 シレンは頭を抱えて自分の足元を見つめたまま、ぶつぶつとつぶやいている。


「そうだ。どうしてもわからないことがあるんだけど」


 マルコは脈絡もなくシレンに問いかけた。


「『恋に恋する』は意味がわかる。『ポエマー』もわかる。でも、『ラジオネーム』って何?」


「うっせぇわ」

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