第8話 再会

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 マルコが家に帰って来るや早々と布団に入ってしまった。


 傷心である。


 いつかこういう日が来るだろうとは思っていたけれどもマリーベルには何もできなかった。


 自分の息子に気の利いた言葉の一つもかけられない。


 なぐさめる言葉のつもりで、むしろ傷口に塩を塗り込んでしまった気がする。


 いてもたってもいられずマリーベルは夕食作りに没頭した。


 目が覚めたとき、マルコに食欲があるとは、あまり思えなかったけれども、マルコが好きなものぐらい食べさせてあげたい。何とかして元気づけたいという親心だ。


 マリーベルはかまどの前で額から汗を流している。


 その時、コンコンコンと遠慮がちに玄関の扉がノックされた。


 来客である。


 三度叩くのはエリスの合図だ。いつの間にかできた毎朝のルールだった。


 マリーベルは竈の火から鍋を放すと応対に出た。


 玄関の開き戸を開けると、やや青ざめた深刻な表情でエリスが立っている。


 エリスの背後には、ぴかぴかの鎧を着た若い大女と派手な衣装の中年女性が立っていた。もちろん、シレンとオフィーリアだ。


「おばさん」と、マリーベルの顔を見るなり、エリスが泣きそうな声を出した。


 いや、もう心は完全に泣いている。


「いいのよ、エリスちゃん。もともとエリスちゃんはマルコには高嶺たかねの花なんだから。マルコとお友達になってくれてありがとう」


「ちがうの。わたし、絶対に戻ってくるの」


 エリスの目から涙がこぼれ落ちた。


 ひっく、と、しゃくり上げるように嗚咽おえつを漏らす。


 マリーベルは、エリスを、ぎゅっと抱きしめた。


「ごめんね、辛い思いをさせちゃって。やっぱり、わたしからマルコに話しとけばよかったわねぇ」


「ちが。わたしが、ずっと、さきのば、しにしちゃって、たの。ほんとは、もっとはやく、いわなきゃいけな、かったのに」


「うううん」と、マリーベルは、かぶりを振る。「悪いのは、おばさんのほう」


 マリーベルは、しゃくり上げるエリスが落ち着くまで、ずっとエリスを抱きしめていた。


 しばらくしてから、そっと引き離す。


「大丈夫?」


 と、マリーベルはエリスに笑いかけた。


 エリスはうなずく。


「よかった」


 うん、と、マリーベルも一つうなずき、


「ところで、こちらの方々は?」


 と、エリスに問いかけた。


 それから、エリスの後ろに立っている二人に視線を移す。


 シレンとオフィーリアは辛抱強くエリスが落ち着くのを後ろで待ってくれていた。


 エリスが口を開くより早く、


「マリちゃん!」と、オフィーリアが短縮形でマリーベルの名前を呼んだ。


 そういう呼ばれ方を物凄く久しぶりにマリーベルはされた。


 前回はいつだったかと思考を遙か過去へ向かわせる。


 多分、子どもの時以来だ。


 同時に自分をそう呼んだ中年女性をしげしげと見つめる。


「オフィっちゃん?」


 と、相手が誰だか認識する前に名前が口をついて出ていた。


 自分が発した言葉によってマリーベルは記憶を蘇らせた。


「そうよ、オフィーリア!」


 と、嬉しそうにオフィーリアが微笑んだ。


 その微笑みに、かつての村での幼なじみの面影をマリーベルは見いだした。


「ぃやぁぁぁだ」


 と、マリーベルとオフィーリアは、お互いの肩を抱き合い、少女のように足をばたばた、ぴょんぴょん、飛び跳ねて喜んだ。


 何が「ぃやぁぁぁだ」なのかは永遠にわからない。


「すっかり、おばちゃんになっちゃって」


「あなたのほうこそ」


 と、心だけは少女時代に戻った、おばさん二人が笑い合う。


「マルコさんから母親の名前がマオック村出身のマリーベルだと聞いたから絶対マリちゃんだと思ったのよ」


「それで、わざわざ会いに来てくれたの?」


「うん、それもあるのだけれどね」


 と、オフィーリアは口ごもる。


「ご紹介するわ。こちら転生勇者のシレン様」


「あら、まぁ!」


 国家的VIPを前にマリーベルはおばちゃんらしい驚き方をした。


「シレンと申します」


 シレンはマリーベルに右手を差し出した。


 マリーベルは握手のつもりのシレンの右手を両手で揉み抱き、ぶんぶん振った。


「大ファンです」


 と、顔もわからなかった相手に、よく言えるものだ。


「実はマルコくんと少々お話をしたいのです」とシレン。


「どういうこと?」


 と、マリーベルはオフィーリアとエリスの顔を見る。


 二人とも困惑した表情だ。


「わたしにもうまくは言えないのだけれど転生勇者様には勇者の勘で何か思うところがあるみたい」


 オフィーリアが何とか説明を試みるが、よくわからない。


「おばさん、わたしからマルコに」


 エリスはマリーベルを追い立てるようにして家に押し込んだ。


「お二人は、ちょっとお待ちを」


 エリスは、そそくさと後ろ手で扉を閉めた。シレンとオフィーリアを外に残す。


 エリスはマリーベルにひそひそと話をした。


「マルコの夢の話を聞きたいみたい」


「え、うそ、だって、あれは」


 一瞬、大声を出しそうになったが慌ててマリーベルは声をひそめた。


 もし外に聞こえたら大変だ。


 マリーベルとエリスは顔を見合わせた。


 エリスがうなずく。


「本当なのかも」


「転生勇者様はマルコをどうしようというんだろう?」


 マリーベルも『秘密を知った者は生かしておけない』説に思い至ったようだ。


 マリーベルとエリスはマルコが転生前の転生勇者の夢を見ると主張しているのは知っていたが詳しい夢の内容までは、あまり知らなかった。


 マルコが夢を見始めた当初は熱心に色々と話をしてくれた。


 けれども、二人は、そんな馬鹿なことあるわけない、と信じなかったので、すぐに、また夢を見た程度しか話さなくなったのだ。


 代わりにマルコはメモを取るようになった。


 とはいえ、マリーベルとエリスはマルコが見る夢に転生勇者様の恥ずかしい失敗談的な内容が多かったのは覚えている。


「わかんない。マルコと相談してみる。もしかしたらマルコを逃がさないと行けないかも」


「そうね」と、マリーベルもうなずいた。


 エリスがノックしようとマルコの部屋の前に立つ。


 その時、ガチャリと扉が開いた。


 マルコが出てきた。

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