恐恐生生
一人の化物が向かってくるその姿は、草木たちにとって死刑宣告に近いようなものだった。
無知とは恐ろしいもので、一度無知から脱すると途端に目の前の男が恐ろしく感じてしまう。
迫る男の威圧感はとても人間のそれではない。
今までに感じた事もないその異質なモノを目の当たりにした草木は内心焦りどころではない言葉を吐いていた。
(ふざけんなっ!!)
何なんだよこいつは!人間じゃねぇ!
アイツ何なんだよ!どうやったら人があんな地面に埋まんだよ!
⋯⋯ありえねぇだろ!?
しかも、全く体が動いていなかった。あれだけでも十分やべぇが、ノーガードで金属バットのフルスイングを貰ってあれなのも信じらんねぇ。
草木は必死に思考を回す。
(どうする? どうする?)
今この中で強いのは⋯⋯。
「お前ら!原田!行けっ!!他の奴らも何してる!バックには死ぬほどいんだよ!さっさとしろ!!」
『⋯⋯わかりましたよ』
ご指名の入った原田は渋々迫る神城の方へと向かい、他の不良たち数十人も動き出す。
「おぉっ?その構えは⋯⋯テコンドーか?」
「よく知ってますね、こう見えてもテコンドーで良い成績残してるんで」
「そりゃ残念だなぁ⋯⋯活かし方が暴力しかないんだから。しかもカネにもならねぇクソッタレみたいな理由だしな」
「ええ、自分でもなんでここにいるかなんて理解していませんよ。未成年はそんなもんです」
「俺も未成年だけど?」
「⋯⋯はぁ?」
原田は神城の言葉に動揺する。
(えっ、どう考えても20は超えてるだろ?マジで言ってるんだとすれば⋯⋯正真正銘の化物じゃないか)
「ハッタリか知らないけど、戦わねぇ理由にはならねぇ」
「あぁまぁいいけど、とりあえず来い。草木の一味なら⋯⋯ただで済ませるわけには行かねぇよ」
神城の言葉に震えながらも、テコンドーの基本である足技を狙いに原田は向かう。
シッと口から漏れでる呼気と共に、地面を蹴り上がって上から迫る原田を見つめ、ポケットに片手を突っ込み、もう片方の手で吸っていた神城は、避けずにその蹴りを受け止めた。
ドォン──!
と、かなり鈍い音を鳴らし、神城の鎖骨を完全に捉えた原田の一撃は⋯⋯微動だにしない神城の手で払う仕草で真横に吹っ飛んだ。
ゴォォォ──!!
吸っていた手で腹横をから軽く振り払っただけで、原田は地面にヘッドスライディングをし、凄まじい吐き気と共に蹲る。
「うっ⋯⋯おっ⋯⋯!」
「駄目じゃないか。自信もないのにこんな事をしては」
周囲の不良が固まる。当然だ。
原田の強さを理解していない者はほとんどいない。馬鹿じゃなければ、この街で原田の名前を知らない高校生がいるなら、よほどと言われるほど。
彼はテコンドー有段者であり、地域全体の一角をかつて担っていたほど強者の位置づけだった男だ。
権力に諦めて草木の元に降った原田の話は有名だ。
そんな男が数秒もしない内にKOされる瞬間を見たのは、当然全員初見だ。
どよめきと共に不良たちの足が止まる。
エースの原田がワンパンなのだから。
『くっそ!』
『喰らえ!』
『しねぇ!!』
神城の元へ一人走り出すと、全員諦めるようについて行って一発を狙っていくが、次の瞬間その場から顔が上がって大きく体を反らされて後方へ吹っ飛ぶ。
──神門流極真空手、正拳突き。
たった一突き。
しかし超人の一突きは一般人にとっては地獄の所業。
吹っ飛んだ彼らの末路は、歯が数本とれ、泣きながら口から吐血するというホラー映画さながらの名シーンだ。
そんな者が数十人も被害を受け、全員が後退りをかます。
「何故逃げる」
興奮し上擦った神城の声がグラウンドに響く。
──悪魔が語りかけてきている。
その場にいる全員の共通認識だった。
「悪人が逃げるなんて恥ずかしいだろ。今更逃げるなよ、罪を認め、黙って裁かれる。当然の事だろう?」
ネクタイを緩め、神城は口の端を歪め笑みを浮かべながら草木たちの方へ1歩ずつ迫る。
「今更⋯⋯逃げることもないだろう?」
呆れたような発するその悪魔の眼光は、たった数人の集団に向いている。
「諸悪の根源が無くなれば、きっと普通の生活が待っているにもかかわらず、こんな事態になるんだから面白いよな⋯⋯人間ってのは」
その後も狂ったように不良たちを突撃させ、プロレスさながらの戦いを繰り広げる。
蹴りを受け、武器を受け、殴打を受け。
貰うと一撃を返す。
突き、フック、前蹴り、身体全体を使ったハンマーパンチが不良たちに向かい、現場は雪国のようにひんやりして気持ちいいくらいのものだった。
気付けば⋯⋯周囲は不良の倒れている光景が広がり、静寂。
神城は草木の手札がなくなった事を確認すると、嗤って近付く。
動けない草木の目の前に立った神城は次の瞬間───恐ろしい程の哄笑とともに、草木の頬をビンタをする。
当然並の威力ではない。
「ぶっう⋯⋯!!!」
即座に地面に崩れ、泣きながら腫らした頬を触って神城を見上げる草木。
「おもれぇな。さっきまでの威勢はどうした?もしかして⋯⋯今までに歯向かうやつがいなかったとか?」
「⋯⋯うぅっ」
「おいおい、答えろって⋯⋯」
「おおっえ⋯⋯!!」
神城は腰を下ろして草木の口を両手で無理矢理広げる。
「さっきまで喋っていたのだから、当然クチは聞けるよな?どの口だ?」
悪魔だ。目の前に悪魔がいるぞ。
草木の口を無理矢理少しずつ外側へと引っ張り、少しずつ皮膚が痛みだすのを嗤って見届ける。
「なァ? 早く喋ろって。どうしたってェ?」
「んんんんんんんん!!!!!」
少しずつ口が切れ、超人の力によって血が吹き出す。
「ほら、叫べるんだから。大丈夫だって。喋れるよ」
「じ、仁くん」
泣き叫ぶ草木を嗤っていた神城の背後に、紬が震えながら立っていた。
「何だ興醒めじゃねぇの。どうした?」
「も、もうこれくらいにしようよ。十分だよ」
「はぁ⋯⋯分かってねぇな〜お前は。こういう人間の本性ってのを理解していない。どいつもこいつも──あめぇんだよ。」
そう言うと神城はポケットから書類を紬に見せる。
「これは?」
「これはアイツらのバックにいる奴らの一覧」
「⋯⋯っ!!」
「バック?」
「なんでてめぇが知ってるんだよ!!!」
「喋れるじゃねぇの」
「んんっ!」
神城は足で草木の口を上から踏んづけ、紬の方を向く。
「いいか?こいつらはここでどんなことをやろうと、どうにかなる力を持ってる。こいつらを放置すると⋯⋯お前がこの先最悪なことに巻き込まれようと、こいつらにとってはただの小石同然なわけ。それでも見逃すってのか?」
神城の鋭い眼光が向いている紬は、震えながらもこう返す。
「でも、誰にでも間違いはある⋯⋯と思うから」
「かぁー、なるほどねぇ」
煙草を吸う神城は嗤って続ける。
「俺と意見が合わねぇのはそういう事だ。ガキンチョ。覚えておけよ?」
「ど、どういうこと?」
「知ってるやつと知らねぇやつの差ってやつだよ。いつかわかるときが来る」
「ふがぁっ!?」
髪を掴み、笑いながら神城は続けた。
「そのときは俺が助けることはねぇが、今回は見逃してやる。俺に感謝しておけ」
その瞬間大絶叫がグラウンド上に響いた。悲鳴が鳴り止むと今度は啜り泣く声が聞こえる。
無言で神城は煙草を草木の鼻へと火種が付いている方を無理やり突っ込んで笑い飛ばしたのだ。
あまりに悲惨な光景に誰もが視線をそらし、常軌を逸している男の行動に誰もがドン引きである。
「さて、護衛の任務は続く。ガキンチョ、行くぞ。とりあえずガンはひとまず撃ち抜いた。これからが楽しみだな」
「⋯⋯う、うん」
軽く紬にトラウマを残しながらも神城はネクタイを締め、隣に戻って二人は何事もなかった事のように学校へ入っていったのだった。
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