たった一つの青春

 松野は二階の団体部屋で入院していた。

 血走った目でスマホを眺め、おもむろに股間をいじくり回している。

 ボクは遠慮なく声を掛けた。


「おい」

「うお⁉ なんだよ。左貫か」


 隣におっさんが寝てるのに、どうしてムラムラしてるんだ。

 一応、ワカナさんには二階の待合室で待ってもらってる。

 どうせ、こいつの事だから変な場面見せちゃうだろうな、と先読みした結果だ。


「腕の調子は?」

「縫ったわ」

「だろうな」


 肩を回す動きを見せるが、まだ痛いだろう。

 昨日、治療してもらったばかりだろうし。

 顔をしかめて、松野が立ち上がる。


「出ようぜ」


 カーテンを引いてあげて、松野を先に行かせる。

 廊下に出ると、ボクらは非常口の扉前で話すことにした。

 松野は難しい顔で、廊下を歩き回るナースさんに目を向ける。


「……ここさ。コウモリがいるっぽいんだよな」

「へ、へぇ」

「すげぇよな。見れば見るほど、人間じゃないのがうろついてんだな」


 松野の表情に、恐怖心はなかった。

 一晩寝て、ボクが来るまで考えていたのかもしれない。


 人外=悪ではない。


 それを昨晩証明されたのだ。

 というか、人間と変わらない。

 違うのは、体の構造や生態だ。


 松野は、ボクが考えていた事と似たような事を話した。


「でも、昨日のあれは……、きついだろ」

「あれ?」

「オレ、蛇の行列初めて見たぞ」

「あぁ……」


 爬虫類を嫌う人間には、地獄絵図だった。

 ていうか、地獄そのもの。

 怖いし、きしょいし、今思い出しても背筋がゾクゾクする。

 あの場で怯えているのは、ネズミだけではなかった。


「まあ、危害がないなら、もういいだろ」

「だな。それに、良いインスピレーションもらったぜ」

「へえ。……インスピ?」


 松野は壁に寄りかかり、渋い顔をした。

 非常口のガラス越しに窓の向こうを見て、少しためた後、やっと言ってくれたのだ。


「オレ、模型作るの好きでさ」

「フィギュア?」

「ああ。フィギュアも好きだ。でも、それはきっかけだな」


 周りを気にして、再び渋い顔をする。


「風景とかな。小さな箱庭に作るんだ」

「……いいじゃん。オタク趣味以外に、そういうのあったんだな」

「あぁ。でも、金にはならないし。これで食えるかどうかも謎」

「進路、か」

「親とは喧嘩したよ。何も言い返せなかった」


 松野がオタク趣味以外で熱を注いでいる趣味。

 よくは分からないけど、『ジオラマ』というらしい。

 写真のように、その場にある風景を切り取り、自分の手で木や建物、川に至るまで、全部を作る。


 松野の場合は、ちょっと違うか。

 存在している場所をモデルにして、ファンタジー風味にアレンジすること。存在しない風景を作る事に夢中だという。


「あのネズミ達、会った時はメチャクチャ良い感じだったんだよ。荷物運びながら、色々な景色見せてくれた。すっげぇ、面白かった」


 目を伏せて、松野が顎をしゃくった。


「住み慣れた町なんて飽き飽きしていたのに。少し違う道を通っただけで、オレの知らない場所があったんだ。見える角度を変えただけで、知らない町がそこにあったんだ」


 ネズミ達と散策するのは、良い刺激になったのだろう。

 見えているのに、見えない景色っていうのも、言葉にすると矛盾だらけだ。けれど、何となしに言いたいことは分かる。


「ファンタジーに憧れてんだ。……小さな箱庭でいいから。そんな場所に行きたいんだよ。だから、作ってんだ」


 ボクは初めて真剣な表情の松野を見た。

 何も言わずに、黙って耳を傾ける。

 他人事じゃない。

 進路は高校二年生から、口うるさく言われてくる。


「家に帰れば、親の説教だよ。見舞いにも来ないくせに。やれパティシエだとか。安定した職だとか。うんざりなんだよ。何で、好きでもねえ。やりたくもねえ事を目指さないといけないんだよ。……おかしいだろ」


 松野の表情がさらに渋くなってきた。


「オレにはよ。外人とか、日本のなんちゃらとか。クッソどうでもいい。将来の夢とか。進路とか。しがらみなんて、全部いらねぇ。ただ、自分がどうしても夢中になっちまう、一つの事に熱を注ぎたいんだよ。金にもならないし。誰かに褒められるわけじゃない。やりたくて、やってるんだ」


 冷静に考えてみれば、親のいう事だって一理あるだろう。

 子供が食っていけるように説得している。だから、決して悪意から物を言ってるわけではない。


 でも、親に背中を向けてまで、取り組みたい事が松野にはあるんだ。

 松野は孤独だった。

 ボクの目から見ても、本当にそうだった。


 大好きな物を抱えて、誰にも見られない場所で、コツコツと作業に励む。だけど、現実はやっぱり甘くなくて、生活とか就職とか、色々な壁が追い詰めてくる。


「……誰も、オレの話なんか聞いちゃくれなかったよ」


 教えてくれる人。

 提案してくれる人。

 向き合ってくれる人。


 それらが、松野にはいなかった。

 その結果、松野は危険な橋を渡り、一人で暴走ともいえる行動に出たのだ。


 ボクとは違う形で、松野の場合、大人に放置されたのだ。

 大人は松野こどもから目を離し、声を掛けず、手を差し伸べなかった。


 松野の話を聞いて、ボクは自分の事を考える。

 ボクは、何をしたいだろう。

 親と喧嘩するほど、何かしたいことがあるわけではない。


 共感したいけど、できなかった。


「ボクは、松野が羨ましいよ」

「スケベな女に囲まれてるくせに」

「うん。でもさ。……ボク、やりたいことがないんだ。その点、松野は自分の足で動くくらい、夢中になれる物があるじゃん」


 慰めようとするのは、たぶん違う。

 心の内をさらけ出してくれたなら、ボクもそれに応えようと思った。


「ぶっちゃけ、女の子とエッチする事しか頭にないよ。やりたい事なんてなくて、何となく生きてるっていうか」


 言葉が出てこないな。

 いつもみたいに、軽い調子で話したいのに。


「夢というか。やりたいことがあるなら。人生の目標になるじゃん」

「金にならないぞ」

でしょ。松野の話聞いてると、初めからそんな感じじゃん」


 松野は「まあな」と別の方を向いた。


 お金は欲しいだろう。

 たくさん欲しいはずだ。

 だけど、お金を手に入れたからといって、それを持つことに幸せなんか見出していない。松野は、材料費を買うだろうし、必要あればジオラマを飾る部屋だって用意したいはずだ。


 物を欲しがるはずである。


 松野がそこまで考えてるか、どうかは分からない。

 でも、確実に松野は無意識レベルで、同じことを言っていた。


「ボク、どう言っていいか分からないけどさ。ボクはやりたい事を見つけようかな、って思ってるよ」

「なんだ、そりゃ」

「松野が友達でよかった。今の話聞いて、ボクの方がヤバいかもしれない。それに気づけたよ」


 ボクらの悩みに答えは出なかった。


「どうすれば、続けられるか。そういうの考えてみれば?」

「言われなくても、そうするよ。ったく。あーあ。くっだらねぇ青春過ごしたわ」


 肩を竦めて笑い、松野が病室に戻っていく。

 考えて間もないのに、答えなんてすぐに出るわけないか。

 ボクは猥談をするために、松野の背中を追いかけた。

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