町内会の面々
ネズミの声が聞こえなくなった後、人の姿に戻ったタクシーのおじさんが近づいてきた。
「ごめんな」
開口一番に謝られた。
「怖かったろ」
「……まあ」
「こいつら、すばしっこくてな。いやぁ、関東圏の仲間から、被害報告が届いていたんだよ。でも、一匹殺した所で、場所を移しちまう。この時期の東北にはきたがらねえと思ったが、……とんだ計算違いだわな」
頭を掻き、血に濡れた口元を腕で拭い取る。
「夏場だったら、蛇に頼むけどよぉ。今は冬だ。長くは外で這い回れねえんだ。寒くて縮こまってりゃ、逆に食い殺される事だってある」
「それで、……囮ですか?」
「初めから囮にしようって企んでたわけじゃないぞ」
松野の方を見て、おじさんが軽く頭を叩いた。
優しくグリグリと撫でまわすと、煙草に火を付けた。
「この坊ちゃんが、へんぴな場所に行くもんだからよ。みんな心配してたんだ。でも、無闇に助けりゃ、まーた逃げられる。そこで隣町に住む蛇の姉ちゃんから教えてもらったんだよ」
「隣町……。……蛇?」
松野は着替えた蛇のママさんに「行きましょ」と肩を抱かれ、ボクから離れていく。何か言いたげにボクの方を見ていたが、「大丈夫だ」とボクは声を掛けた。
助けた手前、取って食う真似はしない。
「ところで、蛇って誰です? なんか、町内会とか、話してましたけど」
「おお。町内会の名簿には載ってないけどさ。ほら。戸籍ない人とかいるだろ」
おじさんが横を向く。
釣られて、ボクもそっちの方を向くと、つい声が漏れた。
「ワカナさん!」
着替えたばかりのワカナさんが近づいてくる途中だった。
罰が悪そうに顔をしかめ、「悪かったな」と謝ってきた。
そして、ワカナさんのわき腹辺りから、見覚えのある白蛇が顔を出す。
「さっぶ……っ」
「あぁ、この人だよ。リツさん。今回はありがとう。汚い役を背負ってもらって」
おじさんの言っていた蛇とは、リツの事だった。
「無事でよかったぁ。アオ。怪我はない?」
「う、うん。……ていうか、聞きたいことが山ほどあるんだけど」
「話は後にして~。ほんっとに、寒いのよぉ」
ワカナさんの背中辺りに避難すると、安堵する声が聞こえた。
「マワリも来たがってたけど。招集掛けるだけにしといたわぁ。さすがに真冬じゃ、体が凍っちゃうもの」
「ねえ。話が見えないよ。ボク、囮にされたらしいけど。……いつから?」
すると、ワカナさんが言った。
「まあ、町内会の連中に声を掛けたのはあたしだよ。この人だって、町の人だ。タクシー乗り場で、一台しか残ってなかったろう? 見回りの途中だったんだ」
「……え、……ぇー」
監視の目が至る所にあったらしい。
ボクはその一人に声を掛けて、学校に来たわけだ。
当然、連絡は他の人たちにも行くだろうし、隣町と提携していたんなら、ボクが向かっている途中で、すでに入り込んでいた可能性だって有り得る。
ネズミ達が集まった時、足音はしなかった。
蛇はなおさら、足音なんてするわけない。
足がないんだもん。
「ともあれ。人間だけじゃなくて。町の人たちが無差別に襲われてたからさ。不審者が現れたって先生から聞いてるだろう」
一週間よりも前だ。
確かに、担任の先生が言っていた。
「あの時から、……もうネズミはいたんだ」
てっきり、駅で開催されている闇市の人達かな、と考えたこともあった。でも、それは違ったんだ。
「先生も人間じゃなかったり……?」
おじさんに聞くと、
「そりゃね。この学校、半分は俺たちの仲間だよ」
「半分⁉」
「あのなぁ。今まで一緒に暮らしてきて、一緒の社会にいて。仕事してないわけないだろ」
ちなみに舞台裏では、男女に分かれて着替えをしている最中だ。
祭り騒ぎみたいに賑やかで、チラチラと暗幕が出てきた影に注目すると、おじさんの言う通りだった。
学校の生徒が、ちらほら見える。
まるで、イベント終わりの会話みたいに、男女が話していた。
内容までは、聞こえなかったけど。
「今回の件に懲りたら、変な場所には行くな。俺たちだって、お前たちに死んでほしいわけじゃないんだから。な?」
「はい。……すいませんでした」
「素直でよろしい。んじゃ、リツさん。俺はこれで」
「はいはーい」
おじさんが眠そうに欠伸をして、体育館から出て行く。
残されたボクはワカナさんを見上げた。
口元には血がついていた。
ていうか、体育館の至る所に血痕があって、寒さが平気な人達が掃除をしている。
「はぁ……」
どっと疲れて、ボクはその場に座り込んだ。
「大丈夫? おっぱい揉む?」
「おい」
ワカナさんが脇の下を軽く叩いた。
「……人間って、思ったより少ないのかなぁ」
「かもねぇ。まあ、守れるだけは守るから。気にしたら、禿げるわよぉ」
「無茶言うなよぉ」
顔を両手で覆い、もう一度ため息を吐いた。
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