専門家

「これで全員かぁ?」


 眩しくて目を開けられなかった。

 体育館には聞き覚えのある声が響く。

 目を細めて、体育館の入口の方を見る。


「……タクシーのおじさん」


 意外な事に、体育館の入口に立っていたのは、タクシーの運転手だった。ダルそうに欠伸をして、校内だというのに煙草に火を点けている。


「町内会に呼ばれたと思いゃ、おめぇらみたいなガキとっ捕まえなきゃいけねぇとかよぉ」


 おじさんはボクの方に向いて、手を挙げた。


「悪いな坊主。囮になってもらった」

「あ、あの……」


 ボクが何か言う前に、おじさんは手を振る。


「あー、後の事は大人たちに任せろ。うん。こういうのは、全部大人が引き受けるもんだ」


 いきなりの事で、大勢のネズミたちはピタリと動きが止まっていた。

 おじさんに注目していた連中は、ぽかんとしていたが、我に返ったのか、ゆっくりと入口の方に近づいていく。


「なんだ、おっさん」

「ヒーロー登場ってか?」


 ネズミたちの大半は、若い見た目をしていた。

 都会にいそうなチャラチャラとした連中だ。

 ホストみたいな奴もいれば、チャラチャラとした女もいる。

 その中には、腰の曲がった老人までいた。


 一人の若者が柄の悪さ全開に近づいていくが、おじさんは動じない。


「あのねぇ。君たち。どっからきたの? たぶん、東京の辺りでしょ? 北上してきたってわけ?」

「はぁ? うぜぇんだよ」


 おじさんが面倒くさそうに頭を掻いた。


「どうする? ごめんなさいをすれば――」

「ごめんちゃーい」

「……すぐに


 ボクには、ヘラヘラとした若者がビンタをされたように見えた。

 顔を叩かれた男の人は、ツーっと体育館の床を滑り、床で寝ている。

 少し経っても身動きしないので、他の連中は「この野郎!」と頭に血が上った様子だった。


「袋のねずみって知ってるかぁ?」


 ボトっ。


 天井から、何かが降ってきた。

 ネズミたちは、キーキーうるさかったけど、ボクは足元で動くそれを認識するのに時間が掛かった。


 本来、冬では見かけるはずのない生き物。――蛇だった。


「やべぇ。……逃げろ!」

「女子供連れて早く逃げろ!」


 体育館は騒乱だった。

 あちこちにネズミたちが散らばり、窓を壊そうと、壁を這い上がろうと、様々だった。おじさんのいる方にも大勢が向かったが、すぐに群れの流れが止まる。


 蛇だけではない。

 狼。虎。熊。犬も猫も。

 それこそ、動物園のように色々な動物が入口からゾロゾロと入ってくるではないか。入口だけではなく、暗幕の陰やボクの背後、天井からも次々に蛇たちが現れた。


 一匹の蛇を見かけるだけで、人は強張る。

 だけど、このという規模で足元を這い回った時、人はどういう反応をするか。


「ほああああああああ⁉」

「左貫! やべえ! 蛇!」

「見りゃ分かるよ!」


 踏まないようにボクらはジッとしていた。

 足の間を這い回り、天井からはボタボタと落ちてきて、ボクらを追い詰めていたネズミたちを次々に呑み込んでいく。


 調べる機会があったから、当然知っている。


 蛇っていうのは、ネズミ捕りの専門家だ。

 すばしっこいネズミがどこへ逃げようと、絶対に仕留める。

 人間の視点からすれば、ネズミの小さくて可愛らしい姿に騙されるが、こいつらのせいで飢餓きがが訪れた時期だって、少なくない。


 加えて、病原菌の運び屋とまで呼ばれている。


 それを駆逐する存在こそ、ボクらの陰に潜んでいる蛇であった。

 見た目は強烈だし、可愛くはないし、人を噛むこともある。

 だけど、見方を変えれば、屋外にいる益虫なのは、間違いなかった。


 こいつらは、人間の食い物を食わない。

 例えば、米だ。これをネズミは食うのだ。

 人間をとことん追い詰めてくる。


 一方で、蛇はネズミを好んで食べて、食物連鎖が回っている。


「ヤマカガシに、マムシに、アオダイショウに。……うわ、あれ、ハブじゃない?」


 色とりどりの蛇が群れを成している。

 不思議な光景だった。

 しかも、耳を澄ませると、何やら声が聞こえてくる。


「さっびぃ! しぬぅ!」

「子供守るためでしょ。しっかりなさいよ」

「クソネズミがよぉ。冬眠させろや!」


 蛇は蛇でキレていた。


 本来、冬眠の時期なのに叩き起こされたって感じだ。

 最早、ボクらの周りに温厚な蛇は存在しなかった。

 逃げ惑うネズミたちを食らいつくし、八つ当たり気味に絞め殺し、徹底的に隅から隅まで追い詰めていく。


 ちなみに、タクシーの運転手は熊だった。

 眠そうに欠伸をして、蛇たちが暖を取るための湯たんぽ代わりになっている。


「う、おおぉぉ」

「きめぇぇぇ……っ」


 松野が震えると、すぐ後ろから怒鳴り声が聞こえた。


「こら。助けてあげてるのに、そういう事言わないっ」

「へ?」


 首だけで振り向き、ボクは固まる。


「ンおおおおおお⁉」


 松野の腕に蛇が絡まっていた。

 脇の下を潜り、ギチギチに締め付けているではないか。

 松野は振り解こうとせず、口を大きく開けて固まる。


「すぐに病院連れて行ってあげるからね。頑張りなさい」


 蛇に睨まれて、松野は無言で何度も頷く。

 人の言葉を話せるだけで、蛇の印象は大きく変わった。

 肝っ玉母ちゃんまでいるみたいだ。


「……夢……見てるみたいだな」

「あぁ。ボクも」


 ボク達には、見えていなかった世界だ。

 普通に過ごしていたって、土の中にどんな世界が広がっているかなんて分からない。

 ましてや、人間に化けている蛇がどういう生活をしているかなんて、分かるわけがない。


 人間であるなら、殺す事はご法度。

 一方で、それが人の皮を被った存在となれば、話は変わる。


 ボクらの前には、知らない世界が広がっている。

 足元を埋め尽くす蛇たちは、普段人として生きている者達だ。

 何百、何千という規模だろう。

 いや、もっといるかもしれない。


「ボク達、いつの間にか人外に囲まれてたんだ」


 気が付かなかった。


「囲まれて生活してたんだ……」


 ネズミたちの悲鳴がいくつも重なり、老若男女問わず、悪さをした彼らは次から次へと腹の中に運ばれていく。

 人の姿をした大きなネズミは、狼や虎の餌食。

 食べた事で温まった体には、蛇がまとわりついている。


 さんざん、悪事を重ねたネズミたちは、一匹残らず食い殺された。

 ボクらは黙って、その光景を見ていたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る