小さな影

 変な学校の造りに助けられたボクは、難なく体育館に辿り着くことができた。途中で、誰かに遭遇したらどうしようと思っていたが、遭遇するどころか、校内は静まり返っている。


 職員室前の廊下を通る際、途中で階段がある。

 上には視聴覚室とか、多目的室がある。

 棟が別なので、上に行けば行くほど、大抵は無人だ。


 しかし、が、のは気になった。


 だが、松野が優先なので、ボクは無視して体育館に来たわけだ。

 体育館は案の定、真っ暗だった。

 スマホの明かりでは足りず、小声で「松野!」と呼びかけるが、返事がない。


「……はぁ……はぁ……。松野。どこだ。来たぞ……!」


 耳を澄ませる。

 動くな、って言ったんだ。

 どこかに隠れてるだろう。


 ボクだったら、どこに隠れるか。

 冷静に考える。


 同じ怖がりのボクだったら、だだっ広いスペースにはいない。

 体育館で唯一隠れられる場所は、用具入れだろう。

 舞台の隣に、ドアがある。

 ボクは真っ直ぐドアのある方へ行き、ノブを回した。


 途中で何かに引っかかり、ノブが回らない。

 鍵が掛かっていたが、ボクはドアに耳を当てて、様子を窺った。

 まるで、動物みたいに。


 ……カタ……。


 ラップ音じゃない。


 ……カタ…………カタ……。


 じっとすると、物音が何度も聞こえてきた。

 ただの気のせいじゃない事を確認し、今度は舞台の方に上がった。

 実は、用具入れと舞台裏が繋がっているため、入るなら鍵は意味がない。


 たぶん、バレー部やバスケ部がボールや機材を取り出すときに、開けなきゃいけないくらいだろう。あとは、体育の授業か。


 探しにきたはいいけど、松野ではありませんでした、では困る。

 念のため、ボクは息を押し殺し、そっと舞台裏に近づいた。

 暗幕を掻き分けて、奥にある用具入れ場に侵入。


 スマホの明かりで中を照らし、小さな階段を下りると、もう一度呼びかけた。


「……松野っ」


 ボクが呼びかけると、「ズズっ」と鼻を啜る音が聞こえた。

 音のした方に明かりを向ける。


「松野。ボクだよ。出てこい」


 跳び箱の陰から、顔面蒼白の松野がゆっくりと顔を出した。

 顔半分を出した辺りで、あまりにも白かったので、びっくりした。

 死人のようである。


 静かに泣いていたのか。

 目は涙で濡れていた。

 唇は鼻水と唾液で濡れている。


「……左貫ぃ……」

「おぉ、無事だったか。どうした。行くぞ」


 カチカチと震えて、外に出てきた松野。

 何やら、腕を押さえていた。

 松野はコートを着ていたが、よく見れば二の腕の部分が裂けていた。

 明かりで照らすと、そこだけが赤く濡れている。


「……お前……」

「あいつら。今、家庭科室にいる」

「な、なんで?」

「……今日で町を離れるって。だから、保存食作るって」


 誰もいなくて、料理ができる場所。

 恐らく、学校の近くにいたはずなんだ。

 そして、近い場所で候補に挙がったのが、学校だった。


 窓ガラスを破壊したことで、警備会社に通報は入ってるはず。

 そこまで考えて、ボクは不自然な点に気づいた。


「松野……。お前、いつから、ここに隠れてた?」

「分かんねえよ」


 ボクが隣町までタクシーできたのは、雪道ということもあり、30分は掛かっている。少なくとも、松野が隠れていたのは、一時間以上だ。


 


 ある推測に辿り着くと、ボクは恐怖が伝染した風に、奥歯が震えた。

 松野の隣に並び、背中に手を添える。


「い、行くぞ。逃げるんだよ。適当に、どっか、窓からでも。内側からなら、いける」


 恐怖を押し殺せば、押し殺すほど、震えが込み上げてきた。

 ボクは松野を誘導し、足元を照らした。

 階段を上り、舞台裏の暗幕を掻き分け、職員室前の窓から転がり落ちようと、すでに脳内でシミュレーションまでしている。


 怖いけど、後悔はなかった。

 こんな怖い場所に、松野を放置しなくてよかった。


「……左貫……」


 暗幕を掻き分ける途中で、松野が言った。


「……ありがとう」


 ボクは弱いけど、友達の言葉を聞いて、少しだけ恐怖が紛れる。

 無視したわけではないけど、何も言えずに、ボクは暗幕を手で押さえ、先に松野を行かせた。


 そして、舞台の上に立って、再び足元を照らそうとスマホを端っこの方に向けた。


 温かくなった気持ちが、すぐに凍てついた。


「……嘘だろ」


 舞台の向こう側。

 総勢、100人余りはいるか。

 かなりの大人数で、人がいたのだ。

 明かりを向けると、目に反射した。

 大勢の目玉がボクらを見ていた。


「あ……あ……」


 ボクは震える松野の前に立った。


「な、なんだよ、お前ら!」


 ボクが叫ぶと、集団の中の一人が声を発した。


「酷いじゃん。松野くん。裏切りぃ?」


 別の声が聞こえた。


「ご飯増えてる! やった! やった!」


 全校集会みたいに、大勢の声が体育館に響いた。

 大半は笑い、ボクらを見ていた。


「荷物運び。ありがとうねぇ。おかげで、助かったよ」

「運び?」


 ボクが松野を見ると、暗闇から返事が聞こえた。


「君の友達。ずっと運んでくれたんだ。俺たちのご飯」


 明かりで闇が透けて、松野の表情が見えた。

 目を瞑り、顔は俯いている。

 この様子だと、荷物の中身は知らなかったんだ。


 でも、知ったから怖くなって隠れていた。


「まあ、結果は非常食が増えただけなんだけど。ラッキーだよね」


 足音が近づいてくる。

 スマホの明かりを舞台の向こうに立つ連中へ向ける。

 自然と眉間に力が入り、ボクは暗闇の中に目を凝らした。


「……なんだ? 何かいるぞ」


 人の姿だけではなかった。

 それが何かを確認する前に、ボクの耳には聞き覚えのある鳴き声が届く。


「チュー……チュー……」


 ネズミだ。

 足元を埋め尽くす勢いで、大量のネズミが這いあがってくる。


「全部は食べないでね。塩漬けにすっから」

「元気いいよなぁ。はははは!」


 松野と一緒に後ずさり、ボクは迫りくる小さな影に震え上がった。

 一匹、二匹ならともかく。

 何百という数は、さすがにマズい。

 噛まれないわけがない。


 いや、果たして噛まれて済むのか。

 手の震えが連動して、白い明かりが左右にぶれる。

 でも、ボクは松野の前から退かなかった。


「う、うわああああああ!」


 やがて、足元にまでやってきた小さな集団を見て、ボクは腹の底から叫ぶ。


 ――パチン。


 同時に、ボクの視界は一気に明るくなった。

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