ただそれを望む

 これは、松野との電話の内容だ。


『今、学校にいるんだけどさ。……オレ、ヤバいかも。ははは』

「学校って……。今、もう夜中だぞ。閉まってるだろ」

『開けたんだよ。あいつらが』

「あいつら?」


 深いため息の後、松野は言葉を濁して言った。


『美少女……と、イチャつきたかったんだけどな。結局、オレはこんなんかよ』


 鼻水を啜っており、松野が泣いている事は分かった。

 呼吸は震えていたし、声を潜めている以上、隠れている事も伝わってきた。


『お前とバカやってる方が、……ずっと楽しいわ』


 心臓がバクバクと脈を打っていた。

 激しい運動をしたわけではないのに、呼吸が乱れた。

 ボクは力んで、開いた口の奥から、声を絞り出す。


「……今……行く」


 松野は、他からしたら、不快な男だと思う。

 猥談しかしないし、女に目がなくて、酷い奴だよ。

 でも、高校に入学して、好きなアニメを通して仲良くなって、こいつと遊ぶようになってから、ボクは気持ちが軽かった。


 クラスの男子にイジメられても、松野は変わらずに接してくれたから、ボクは学校に通えたんだ。


「待ってろ。今、行くから。隠れてて」

『……左貫』

「怖いかもだけどさ。こ、こういうのだって、ほら。アニメとかで、よくある展開だろ。今、それを体験してるんだ」


 スマホを肩と耳で挟んで、ジャンバーを手に取った。


『楽しいことしたいって、そんなにダメなのかな』

「バカ言うなよ」

『ファンタジーに憧れてたんだけどなぁ』


 鼻を啜る声を聞きながら、ボクは急いで部屋を出た。

 階段を下り、長靴に履き替えると、すぐ玄関の扉に手を掛ける。

 その矢先、後ろから声を掛けられた。


「……どこ行くのぉ?」

「が、学校」


 リツが首だけを出して、リビングから覗いていた。

 口調は柔らかいけど、表情は見たこともないくらいに真剣だった。

 ボクが行先を伝えると、「行ってらっしゃい」と、すぐに引っ込む。


 何か、マワリさんと話す声が聞こえたけど。今のボクに構ってる余裕はない。


「いいか。絶対に動くなよ。隠れてろよ」

『左貫。さ』

「喋んなって。見つかったらどうすんだよ!」


 松野は絞り出す声で、こんなことを言った。


『人、…………』


 言葉が震えていた。

 泣いているのか、笑ってるのか。

 もうどっちか分からない。


 小声で、ひたすら絞り出すのだ。


『食ってた。まだ、生きてたのに。食ってた』

「ま、松野……」

『ただの、怪物だよ』

「どこに隠れてるのかだけ。教えてくれ」


 外は幸いなことに吹雪いていなかった。

 降り積もった雪の外灯の明かりが反射して、夏の日よりも周囲が見える。

 ライトを持たなくても走れるが、足は取られて、泥の中を漕いでいるのと何も変わらない。


『……体育館』

「じっとしてろよ」


 電話を切り、ボクは走り出した。

 今の時刻は、20時。

 終電は21時だったはず。


 でも、一時間も待てないだろう。

 走りながら、ボクはバスの時刻を確認した。


「た、タクシーとか……」


 財布を持ってくるのを忘れた。

 引き返している時間が惜しいので、タクシーの運転手には悪いが、送り迎えで家まで送ってもらうことにする。

 家に着いてから、お金を払おう。


「ちくしょぉ!」


 吐き出した息が白い靄となって、顔に掛った。

 宙を漂う白い靄を頭で突き破り、ボクは駅に向かった。

 外気で冷やされるより、ずっと内面の方が冷え切っている。


 今だけは、どんなに無茶苦茶な事でもしちゃおうと、心に決めた。

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