見えない世界

大人の仕事

 松野が学校を休んだ。

 次の日も。

 その次の日も。


 初めは電話に繋がっていたが、次第に応答が悪くなり、四日目にして音信不通になった。


 自室に戻ると、椅子に座ってボーっとする。


「松野。……どこ行っちまったんだろ」


 最初の電話で、変な事に巻き込まれてるって予感はしたんだ。

 思えば、その時に止めておくべきだった。

 だけど、ボクにはできなかった。


 一人で向かう勇気がなかったのだ。


 アニメの主人公みたいに、形振り構わず行動ができたら、きっと最高に違いない。友達に向かって、「友達だろ」って胸を張って言える。


 でも、ボクはアニメの主人公じゃない。

 特別な力なんてない。

 知識や腕っぷしも、強くはない。


 非力な男子高校生だ。

 そう自己否定をするものの、気持ちは焦っていた。


 恐怖から行かない理由を探しているだけだ。

 気持ちは今すぐにでも行きたい。


「……どうすりゃいいんだろ」

「なーにしてんの?」

「うおお⁉ びっくりしたぁ!」


 部屋の鍵は閉めていたはず。

 ワカナさんはまだ帰ってきていないし、今は下でマワリさんが料理をしていて、リツは昼寝をしているはずだった。


「どっから入ってきたんだよ!」

「あそこ」


 指差したのは、クローゼットだった。

 見れば、クローゼットの床部分に隙間が空いている。

 壁となる板が、少しだけ奥にずれているのだ。


「お、お前……」

「あは。あれくらい難てことないわよぉ」


 さすが蛇。

 隙間があれば、どこからでも入ってくる。


「で? 何悩んでんのよぉ。お姉さんに話してみなさいな」

「……何でもないよ」

「えい」


 いきなり、横から抱きつかれた。

 柔っこくて、良い匂いのするお肉が頬に当たり、一瞬だけ意識が全部持っていかれる。


「お、……ほぉ……」


 ボクは思った。

 見た目は八尺様さながらの巨女で、美人のマワリさんは好みだけど。

 リツは見た目に加えて、変な魅力がある。


 母性なんて欠片もないのに。

 ふと、甘えてしまいたくなる。


「話さないと今晩の食事にするわよぉ」

「こっわ! 脅しの度合いがヤバすぎるでしょ!」


 アメを頂いた後、鉄のムチを振ってきた。


「後悔する前に、話してみ?」


 相変わらず、冷たい肌の感触。

 ひんやりとしたおっぱいに包まれる一方で、頭を優しく撫でられ、気が付けばボクは、リツの胸に顔を埋めていた。


 母がいない今、彼女がボクにとって母のようなものだ。

 腰に腕を回し、顔を見せないように胸の奥に鼻先を埋め、ボクは言った。


「友達が……、帰ってこなくて……」

「あらら」

「今日、先生から何か知らないか聞かれたけど。……答えれなかった」


 自己嫌悪混じりに言うと、リツが「そ」と短く返事をする。


「隣町の子?」

「うん」

「じゃあ、マワリの方が詳しいかもね。あの子、隣町で活動してるから」


 首を揉みながら、リツは言った。


もの」

「どゆこと?」

「子供の事は、ってこと」


 顔を上げると、リツは微笑んでいた。

 マムシなのに。

 聖母みたいな顔で、ボクを見ていた。


「り、リツ……。ボク……」

「子供が泣いてるのに。無視する大人がいるもんですか」


 ボクは泣いていたらしい。

 恥ずかしくなり、再びリツの胸に顔を埋めてしまった。


「アオは運が良いわよぉ。わたしが近くにいるんだから」

「……うん」

「狼もいるし。でっかい蛇もいる」

「……うん」

「おちんちんの事で悩んだら、わたしがいる」

「…………うん。………………ん?」

「みんな大人に任せればいいの」

「う、うん。最後のなに? 涙止まったんだけど……」


 淫奔の女神さまは、サラリと下の事を口にする。

 だけど、憎めなくて、ふとした時には蕩けるほど優しい。

 ティッシュを手に取り、目や鼻を拭いてくれた。

 クスクスと笑い、頬を撫でると、


「こんなに裏筋を濡らしちゃって……」

「顔のこと、裏筋って言うの止めてくれない? もう! 素直に感謝できないよ!」


 でも、気持ちは軽くなった。


「早く下におりてきなさいよ。あいつ、隠し味に何入れるか分からないからね」

「見張ってて! 全力で見張っててよ!」

「はいはーい」


 いつもの調子で、リツは部屋を出て行く。

 鼻水が止まらないボクは、ティッシュで鼻をかみ、何気なくスマホを見た。


 非通知から電話が掛かってきていた。

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