口が上手い

 朝起きると、ワカナさんの姿はなかった。


「あれ? ワカナさんは?」

「んー、……出張?」

「は?」


 料理だけは作ってくれていたが、姿が見当たらないという事は仕事関係か。ボクのように学業に勤しんでいるわけではないし、忙しいのだろう。


「ところでさ。リツ」

「なにー?」

「……昨日のことなんだけど」


 ボクはまだ怒っている。

 性欲が臨界点を突破した興奮も手伝い、頭に血が上っているのだ。

 後ろには、目をギョロっとしてリツを見下ろすマワリさん。


「あー、ははは。どうだった?」

「どうもこうもないよ! 期待して――んぐえぇ⁉」


 怪力で尻の肉を摘ままれ、ボクは何も喋れなくなった。

 大蛇の姿に戻ったマワリさんから、一晩中巻き付かれて眠る事になったのだ。


「昨晩。アタシに話したの嘘だったんですか?」

「嘘じゃないよー」

「嘘吐けぇ!」

「アオくんは黙っていてください」

「……うす」


 ボク以上に本気で怒っているのは、マワリさんだ。

 図体が大きいから迫力が抜群。

 ボクは怒ってますのポーズを取り続け、悪びれる様子のないリツを見下ろす。


「チャンスをくれたから。何か裏があるんじゃないか、って思いましたけど。ただからかっただけなんですか?」

「んなわけないじゃーん」

「怒りますよ」


 もう怒ってるけどね。


「あのねぇ。マワリさんや。キスと乳首舐めるくらいだったら、愛撫で済むから子供はできないって話したでしょ」

「ええ。存分に舐めました。美味しかったです」

「……いや、なんか、話がずれてんな」


 リツはヘラヘラと笑い、首を回して振り向く。


「好きなら好きな分。あなたが我慢することだって必要でしょうに」


 思ったんだけど、リツって何か口が上手いよな。

 聞いていると、落ち着きのある態度をしているものだから、こっちが考えすぎなんじゃないか、って思えてくる。


「リツさんが誘惑した理由とは?」

「あなたの前で恥を掻かないためよん」


 う、めぇ。

 言い訳、超うめぇ。


「……え、そうだったんですか? で、でも、誘惑するのはやり過ぎですよ」

「そうかしら?」

「そうです!」


 やれやれ、といった様子でリツが肩を竦めた。


「分からないようだから教えてあげる。男の人って、緊張すると、それ起たなくなるのよ」


 ボクの股間を顎で差し、口角を釣り上げる。


「……ほんとに?」

「ほんとよ。嘘だと思うなら、お仲間にも聞いて御覧なさいよ。あなたみたいな美人相手に、アオが初めから挑めると思う?」


 すると、マワリさんが黙ってしまうのだ。


「愛撫して起たせても、すぐに落ち込むんだから。まずは心の余裕を作らないとでしょ?」

「……リツさんがやる必要はなくないですか?」

「バカねぇ。あなたがふしだらな真似したら、アオは幻滅するでしょう? だったら、慣れてるわたしがやった方がいいじゃない。ねぇ?」


 くそ。一理あるように思えてきた。


「う、うぅ、でも、でもぉ!」

「同じ蛇同士でしょ? 水臭いこと言わないの。あはは!」


 言い包められた気がするけど、ボクらはリツに何も言い返せなかった。

 ボクとマワリさんは、そういう経験がない。

 だから、疑いはしても、何が本当で、何が嘘かを見分ける術がない。


 つまり、黙る事しかできなかったのである。


「今日、また練習するつもりよ」

「くっ」

「あーらら。むくれちゃって。別に、取って食おうなんて思ってないわ。安心なさい」

「……本当に?」

「もちろん。約束は守るわよ」


 その言葉に少しだけ安心したのか。

 マワリさんはボクの方を向いた。


「浮気、しないでくださいね」

「あ、はい」


 付き合う、なんて言ってないのに。

 いつの間にか、ボクとマワリさんは交際している関係になっていた。

 いや、ほんと、どっちも告白なんてしてないのに。


 なぜか、泣きそうな顔で言われて、頷いてしまったのだった。

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