知られざる母性

 股間が、すでに限界だった。


 別にさ。

 マスターベーションって、普通の事じゃないか。

 言葉にすると、引いちゃう人もいるだろう。

 けれど、そもそも人前に晒すものではないし、人に教えることではない。


 こっそりと、孤独に、息を潜めて満たされるのが、自家発電ってものじゃないか。


 人によっては、三日を超えたあたりで、性欲が気にならないという。

 ボクは自信の経験を持って、断ずる。


 だ。


 もしも、性欲が気にならないというなら、なぜ今ボクの机は浮いているのか。ズボン越しに張り詰めた怒張どちょうが、「オレを出せぇ!」と戦国武将さながらに暴れ回っているのか。


 深呼吸をしながら、ボクは思った。


 マワリさん、エロ過ぎる。

 しかも、頼めば絶対に何でもしてくれると、マワリさん自身がいちいち体現してくる。身一つで教えてくる。


 加えて、リツは現代のサキュバスだ。

 意外と気遣いができるし、陽気なお姉さんだけど、童貞に優しい。

 ケラケラと笑うから、何かやらかしても罪悪感がないのだ。


「くっ。……今すぐ、自室にこもりたい……ッ!」


 リツ達が来てから、ギャルゲを一切やらなくなった。

 その理由は二つ。


 リツ達のせいで、それどころではない。

 もう一つは、マワリさんがゴミ袋にまとめて捨ててしまったからだ。


 理由を聞くと、「アタシがいるので。もういりませんよ?」と、真っ黒い笑顔で言うのだ。寒空の中、出歩くのもキツいはずなのに。それでも、捨てに行くほどの執念だった。


 じゃあ、ワカナさんはどうか。

 断りはするだろうけど、押せばイケるタイプだ。

 体臭の密度が濃いために、傍で息を吸うと狂いそうになる。

 本人は気にし始めていたが、ボクは別の意味で気にしている。


 例えば、頭の禿げたキモいおっさんの体臭なら、「おえぇっ!」とえずくだろう。


 だが、美少女なら、それは性の香りに他ならない。

 ちなみに、臭くはない。そういう臭いじゃないのだ。

 分かりやすく言えば、蒸した果実みたいな匂い。


 果実の匂いは、ボディソープだろう。

 体温が高いために、汗の香りと一緒に漂っている。


 鼻を近づけると、「や、……やめろ」と弱弱しく言ってくるので、これもまた、ムラムラというか、下腹部がイライラする原因になっている。


 ボクは頭を抱えた。


「あぁ、……爆発しそうだよ。ボクの人生が、エロゲだったら……ッ! きっと、死ぬほどエロい目に遭いまくっているに違いない。ていうか、死んでもいい……ッ!」


 腹上死ふくじょうし、上等である。


 ボクは息を吐いて、股間を押さえる。

 自分を落ち着けるために、何の変哲もない天井を見上げた。


 すると、そこには、おっぱいがあった。


「ンおおお⁉」

「わ、な、なによ!」


 ハナさんだ。

 相変わらず、胸部の肉塊が暴れ回っている。


「はぁ、はぁ、……いえ、何も」

「今日、一段と臭いキツいけど。何かあったの?」


 気が付けば、ヒマリさんがボクの頭部を嗅いで、顔をしかめていた。

 マスク越しでも臭うらしい。

 他にも、離れた席に座っているのに、何人かが振り向いていた。


「何て、言ったらいいのか。我慢は体に毒だけど。毒を強いられていると言いますか……」

「はぁ?」

「はは。いえ。何でも」


 うわぁ。すっげぇ、良い匂いする。

 前まで、匂いなんて癒しの一つだっただけなのに。

 今では、性に直結するフェロモンと化していた。


 ハナさんは隣の席に座り、机にはヒマリさんが座った。

 目の前にいるだけで、生唾ものである。


「マワリさん。元気?」

「ええ。まあ」

「なら、良かった。みんなから差し入れ届いてるから。渡そうと思ったけど。マンションにいなくてさ」

「マンション?」


 そういえば、ボクの家に来るまでは、どこに住んでいたんだろう。

 本人から聞いていない。


「どこの?」

「海に向かう途中で、八幡神宮はちまんじんぐうあるでしょ。あそこの隣」

「え⁉」


 国道から逸れて、海に向かう道がある。

 曲がりくねった道で、緑が多い場所だ。

 ここの地元ではないけど、松野から話は聞いたことがある。


 入居者募集の張り紙とかないのに。

 いつも満室の状態。

 なのに、誰も住んでる気配がないマンションがある、と。


 夏には海沿いにあるゲームセンターを目当てに通ったことがあるので、どこの事を言ってるのか分かった。


「マワリさんの家だったのか……」

「正確には、みんなの家だけどね。部屋をシェアしているのよ。敷地内に小さな体育館みたいな場所があって。そこにマワリさんが住んでいたの」

「へ、へぇ」


 ミステリーなんて、すぐ身近な場所に転がっているものだ。

 ミステリーを紐解けば、そこにあるのは、ホラーだった。


「マワリさんって、みんなに慕われてるんだね」

「優しいもん。ね?」

「うん。子供の面倒も見てくれるから。ウチら、あの人に育てられたようなものだよ」


 お母さんじゃん。

 みんなのママなのか。


「ところでさ。気になってる事があんだけど」


 ハナさんが反対側の席を見る。


「あいつ、今日はどうしたの?」


 松野は休みだった。

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