狼と蛇

 後ろで手を縛られた状態で、股間を突き出す変態デブ。

 つまり、ボクの前に現れたのは、毛を逆立てた一匹の狼だった。


「あ……あ……」


 不思議と、助けに来てくれたという考えが頭を過らなかった。

 たぶん、ボクが変態的行為に及んでいるからだろう。

 殺される、と本気で思った。


 砕け散ったガラスの破片が宙を舞い、それがあたかも、日光を浴びて輝く砂金のように錯覚してしまう。


 無数の破片が飛び散れば、一粒は顔に刺さり、傷つけるものだ。が、そうならなかったのは、傍で蹲っている大きなお姉さんのおかげだろう。


 風になびくカーテンのように、白いコートが横に伏した。

 一粒残らず、破片を絡め取ると、マワリさんがボクの前に立つ。

 見上げれば、大きな尻がそこにあった。

 目の前には、太くて、引き締まった太ももが二本並んでいる。


「危ないじゃないですか」

「あぶねぇのは、テメェだろ」


 横にずれて、二人を見上げる。

 ツインタワーだった。

 大きな女が二人立つ様は、白と黒の高層ビルのようで、小柄なボクからすれば身長の高さが同じに見える。


 ふと、駆け付けたワカナさんの後ろに目がいった。

 見覚えのある顔が手をひらつかせている。


「ま、松野!」

「大丈夫か、左貫! このお姉さんすげぇぞ! ワンパンで、みんなぶっ飛ばしちまった!」


 自動ドアを破壊するほどだから、ワカナさんの腕力が強いのは一目瞭然いちもくりょうぜん。興奮気味に捲し立てた松野は、ボクから真横に視線を向け、ぎょっとしていた。


「でっっっか!」


 小柄な女性が好きな人にとって、彼女たちは真逆の存在だ。

 超大きい女性だもの。

 バレー部の身長とか、霞んで見える。


 まあ、ワカナさんもかなり大きいので、初めて見た松野がどんな反応をしたのかは想像できる。


「今日は関係者以外立ち入り禁止ですので。お引き取り願えませんか?」


 マワリさんの目つきが、鋭くなった。

 大きい分、迫力がものすごい。

 背筋にしなりを作っている姿は、鎌首をもたげた蛇さながらであった。

 一方で、ワカナさんは鼻の上に皺を作り、低い唸り声を上げている。


「そいつをこっちに渡せ。命だけは勘弁してやるよ」

「嫌です。お断りします」

「……殺す」


 ワカナさんが一歩踏み出すと、マワリさんがボクを後ろに隠した。

 おかげで、視界は大きな尻に埋め尽くされ、嬉しいやら怖いやらで、胸がいっぱいになった。


「な、なにが起きてるんだ⁉」


 ボクは尻の割れ目に向かって叫んだ。


「何か、今日闇市の日らしいぞ!」

「え⁉ なにそれ⁉」

「闇市だよ! 人間の取引する日らしい!」

「こえええよ!」


 人外の闇市とか、もう物騒でしかない。

 しかも、人間を取引しているらしい。


 ていうか、人外同士の取っ組み合いとか、見たいようで見たくない。

 矛盾した気持ちが込み上げてくる。


「死、ねぇッ!」


 視界から、尻が消えた。

 そして、ボクと松野は唖然として二人を見守る。


 バトル漫画のように、魔法を使ったり、縦横無尽じゅうおうむじんに駆け回ったりするのは、確かに夢そのものだ。ロマンと言っていい。

 最高に面白いに決まっているからだ。


 しかし、現実は違った。

 生々しいというか、もっと泥臭いものだ。


 格闘技をさらに激しくした感じか。

 間近で見た人外同士の


「ヴヴヴヴヴ……ッ!」


 犬歯を剥き出しにしたワカナさんは、首を絞められていた。

 絞めつけがきつくならないように、片方の手を潜り込ませている。

 そして、もう片方の手は、自分の頭上に持ち上げていた。


「が、が、……ぁ」


 リツで見たから分かるけど。

 マワリさんも同じようだった。

 180度開いた口が、ワカナさんの頭部にかぶりつこうとしている。


 ボクはそっと移動して、自動ドアがあった場所を潜る。

 松野と合流したボクは、入口から二人の姿を眺めた。


「や、っべぇ」


 ワカナさんは力が強いので、一度は尻餅を突いたが、再び立ち上がった。背中に張り付いたマワリさんを振り解こうと、あちこちに背中をぶつけ始める。


 だけど、マワリさんは絶対に離さなかった。


「アナコンダみてぇ」

「……それだ」


 松野が的確な例えをした。

 巨大なアオダイショウって、最早アナコンダだった。

 毒牙はないけど、それ以外が強い。


 後から知る事だが、アオダイショウと言うのは、とのことだ。挙句に順応性も高く、緑のない場所でも生きていけるほどだという。


「なあ。左貫」

「ん?」

「これ、……夢だよな」


 すぐに受け入れる、なんて言ってた奴が、現実で起こっているガチの現場を見て震えていた。


「人間じゃないじゃん」

「ようこそ。人外ワールドへ」

「お前、言ってたこと。マジだったのか」

「……うん」


 ボクは後ろを振り向き、顔をしかめた。

 駅の構内に広がっていたのは、死屍累々ししるいるいの景色だった。


 本当に死んでるわけではなく、ちゃんと生きてる。

 でも、ワカナさんにぶっ飛ばされたのか、全員が動けずに伸びていた。


 そして、壁際の方に目を向けると、そこには見覚えのある顔が二人いた。


 ハナさんとヒマリさんだ。

 ハナさんの方は、額に手を当てて、「あちゃー」と言った様子。


 視線を戻すと、ワカナさん達は互いの腕に噛みついていた。

 マワリさんが絞めつけている分、ワカナさんの分が悪い。


「ふ、二人とも。ストップ! お願い。やめて! やめてください!」


 何を思ったのか、松野は手を叩いて、「そうだ」と閃いた様子。

 ポケットを弄ると、取り出したのは鍵。

 それをボクの首筋に当て、大きな声で叫んだ。


「お、おい! 動くんじゃねえ! こいつがどうなってもいいのか!」


 ワカナさんは聞く耳持たなかった。

 だが、マワリさんは違う。

 目を剥いて、松野を睨みつけた。


「あ、ぐっ」

「ナイス、デブ!」

「は、はい。……デブ?」


 松野は釈然としない様子で俯いた。

 一瞬、動きを止めた隙に、ワカナさんが逆転した。

 首根っこを掴まえて、暴れるマワリさんの上に乗ると、身動きできないように首を絞め始めた。


「ちょちょ! ワカナさん!」

「離れてろ! こいつはなぁ! そこら中の人間とっ捕まえて、ここで売りさばいてんだよ!」

「ちが、違う! 全部、あいつらが悪いの!」


 金切り声で、マワリさんが叫んだ。


「アタシの、アオくんをイジメるから! 皆殺しにするんだ!」


 松野がブルブル震えた。

 ガチの狂気を目の当たりにして、恐怖しているのだ。

 ボクはというと、同じようにブルブル震えていた。


「……ヤンデレじゃん」

「言うな。言わないようにしてたのに」


 しばらくの間、マワリさんは暴れていた。

 だが、首を絞められたことで、白目を剥き、全身から力が抜けていく。

 時間は掛かったが、気を失ったようだ。


 こうして、ボクの日常は、さらに一変する事となった。

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