蛇の恩返し

 ボクは蛇が苦手だ。

 ニョロっと動く姿を見た時、思わず身構えてしまう。

 本人が隣にいる今、言いたくはないけど、やはり気持ち悪い。


 噛みそうで怖かったし、何よりアオダイショウは規格外の大きさをしているので、本当にびっくりする。


「アタシが、公園で日向ぼっこしてるときに。子供達に尻尾掴まれてね」


 お姉さんに言われながら、頑張って当時の事を思い出した。

 小学校の頃は、本当にイジメられてばかりだった。


『うえぇ! ちんこがきたぞぉ!』


 思えば、昔からボクはチンコ呼ばわりされて、イジメられていたっけ。

 ていうか、小学生から高校生の今に至るまで、イジられる部分が何一つ変わっていない事に驚きだけど。


「公園っていうか、……あれって、墓地公園だよね。霊園ていうか」

「そうだね。石がいっぱいあったから。そうなのかな」


 気のせいか、お姉さんが座る位置を詰めてきた。

 髪の裏からは、上品な紅茶の香りがする。

 ほんのりと甘いけど、しつこくない香り。


 いつの間にか、お姉さんの腰と密着し、横から顔を覗き込まれる。


 ボクは目を閉じて、当時の事を必死に思い出した。

 確か、霊園に行ったのは、誘われたからだ。


 霊園に遊びに行く、って聞くと罰当たりに聞こえるけど、そんなことはない。ボクが行った霊園っていうのは、蛇のように曲がりくねった坂道があり、その上に墓地があるのだ。


 そして、坂道の手前には、サッカーなどをできるだけの広い空き地があった。ここも、霊園内の一部で、他には小滝の流れる場所まである。


 仲良くないクラスメイトに誘われ、遊んだはいいが、ボクは一方的に鬼ごっこの鬼をさせられるだけだった。


 帰ろうかな、と思った矢先、憎たらしいイモ顔の男子が何かを見つけた。


「それ。……アタシ」


 らしい。

 男子は無邪気に騒いでいた。


『でっけぇ! なにこれ!』


 子供の感覚なので、当てにならないが、たぶん2mを余裕で越してたと思う。本当に大きかった。


『こいつで遊ぼうぜ!』

『あ、逃げようとしてる!』

『殺すかぁ⁉』


 そんなことを言ったので、確かボクはこんなことを言った。


『蛇、殺すと呪われるよ』


 これはウチの母ちゃんの影響もある。

 ずっと、何かしら聞かされてきた。

 放任主義のくせに、妙な事ばかり教えてくるのだ。


『蛇は殺さない事。アンタが逃げるか。相手が逃げるか、待ちなさい』


 正直、蛇が苦手な側からしたら、「何言ってんだよ」って話だ。

 噛まれたらシャレにならないし、蛇なんて気持ち悪いだけで、どこかに行ってほしい。

 これが嘘偽りない気持ちだろう。

 でも、母ちゃんは言うのだ。


なの。覚えておきなさい』


 こういうのを聞かされていた。

 テレビでやっていたり、田んぼの畦道の近くを通ったりすれば、母ちゃんは必ず教えてきた。


 いくら、放任されているとはいえ、親は親。

 ボクは親の受け売りで、そのまま男子に伝えた。


『蛇ってのは、しつこいんだぞ。お前ら、誰も逃げられないぞ』

『なに、こいつ』

『お前、気持ち悪いんだよ』


 段々と思い出してきたボクは、今さら気づいてしまう。

 そうだ。

 ボクも気持ち悪いのだ。

 蛇と同じように、何かしら気持ち悪がられて生きてきた。


 当時のボクは何て答えたか。

 嘘を言った記憶がある。


『それ、毒あるよ』

『嘘吐け』

『じゃあ。噛まれてみれば?』


 何で、あんなこと言ったんだろう。

 ボコボコにされまくって、勇気なんてなかったのに。

 あの時ばかりは、親の影響もあって、本気で腹が立った記憶があるな。


 相手がイモ顔の憎たらしい顔をしていたから、余計にイライラして、嫌悪感も手伝って、ボクは必死に嘘を重ねた記憶がある。


 男子の動きが止まった途端、アオダイショウは宙でUの字に体を曲げ、口を開いた。


『うわ!』


 思い出してきたら、イライラしてきたので、この際男子Aの事は、バカでいいだろう。


 バカはびっくりして、蛇から手を離したのだ。

 この隙に蛇はものすごい勢いで茂みの中に逃げてしまい、バカ達は慌てて探し回ったが、逃げた蛇を見つけることはできなかった。


「……ふーっ」


 耳に吐息が当たり、首筋がぞわっとした。


「アオくん。カッコ良かったぁ」

「いや、でも、たったあれだけの事で?」

「あれだけの事? アタシ、命を助けられたのよ」


 お姉さんは後ろに回り込み、ボクを抱えてくる。

 リツ以上に長い手足が絡まり、耳の裏側には吐息が直に当たった。


「鶴の恩返しならぬ、蛇の恩返しだよ。……はむ」


 耳たぶを甘噛みされ、ボクは全身に鳥肌が立った。


 美女が――。

 耳たぶを――。

 はむはむしてる―――。


「んおおおおおおぅ⁉」

「遅くなってごめんね」

「い、いやぁ、別に、待っては……」


 心臓がバクバクしていた。

 リツのように、陽気な艶とは違う。

 お姉さんからは、対照的な陰の艶を感じた。


「お、お姉さんっ!」

「マワリ」

「へぇぁ?」

「マワリって呼んで。今は、そういう名前で生きてる」


 おっきいお姉さんの名前は、マワリというらしい。

 改め、マワリさんは愛情たっぷりにボクの頭に顔を埋めてきた。


「遅くなって申し訳ないんだけど。もうちょっと待ってね」

「はぁ、はぁ、な、なにがですか?」


 こんな事態だというのに、ボクの頭はエロい事でいっぱいだった。


「君をイジメていた人たちは、から。今、山の近くに小さな家を建ててるの。アタシとアオくんの巣だよ」

「へえ……」


 今、不穏な一言が聞こえた。


「もう。誰にも手出しさせないから。これからは、アタシとアオくんだけで生きていくの」


 制服の中に、ひんやりとした手の平が入ってきた。

 お腹を撫でまわしながら、マワリさんが視界の端から顔を覗かせる。

 うっとりとした、恍惚の表情。

 色気のある落ち着いた声色が、耳朶を打った。


「みんな……消してあげる……。アタシとアオくんだけでいいよね。……あはっ」


 無邪気に笑い、マワリさんはボクの顔を抱きしめてきた。

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