嗅いだもの

 風呂から上がった後、ワカナさんは過剰とも言えるぐらいに消臭剤を撒いた。しかも、消臭剤を撒いた場所が、玄関の扉の外側だったり、家の門前だったり、人が通るような場所だった。


 人外だから、何らかの事情でもあるのかな、と深くは考えない。

 生活サイクルは別だろうし、人間に知られたくない事情があれば、無闇に聞くのは失礼だと思ったからだ。


 さて。

 ボクは今、ソファに座るワカナさんに跨っている。

 両手は胸の谷間に突っ込み、間を隠すようにして顔も埋めていた。


「ハァ~~~~~~~~っ」


 結論から言うと、ボクは満身創痍まんしんそういだった。

 いやらしい気持ちで胸を触っているのではなく、感覚がとうに失せた指先を温めて、凍傷しないように手当しているのだ。


「大袈裟だな」

「……いや、人間は死にますよ。あれ、ヤバいっすよ」


 例えば、エロい漫画では、「やだ。興奮してるの?」とか女の子の方が言い出して、一気に発情まっしぐらのコースだ。そこから、エロエロな関係になって、二人の淫らな生活が始まるとか、ボクはそういうのを期待していた。


 実際は、「変なもん起てるな!」と怒鳴られ、局部をビンタされるという事態が起きる。


 怒った表情は、ちょっとだけ可愛らしさがあったけど。

 局部を叩かれる痛みに負けたボクは、ひじ掛け代わりにワカナさんの頭に手を置いて悶えた。


 感覚はなかったけど。

 股間が痺れるという現象に嫌な予感がしたので、急いで温めたのだ。

 血流を良くして、痣にならないように必死だった。


「ひどいよ」

「胸、触らせてるだろ」

「そうじゃなくて。お湯くらい出してくれよ」

「忘れてたんだ」


 ワカナさんの後ろからは、リツが顔を覗かせた。

 初めは指を咥えて見ていたが、何やらウズウズしだして、「えい」と指を伸ばす。


「や……っ!」


 ワカナさんの全身が大きく震えた。


「敏感ねぇ」


 リツは躊躇なく、胸の先にある突起物を摘まんだ。

 いきなりの事で驚いたのか、ワカナさんが普段出さない声を発し、ボクは固まってしまった。


「おま、殺すぞ!」


 ドスの利いた低い声を出すが、もう遅い。

 ボクはしっかりと聞いた。

 ワカナさんの女の声を聞いてしまった。


 ギャップが物凄くて、ボクは色々と堪らなくなってくる。

 自室に行き、発散したかった。

 でも、発散できない理由は二つある。


 一つは、リツが屋根裏からクローゼットに下りて侵入すること。

 素直に怖い。


 もう一つは、パワー系人外のワカナさんが扉を破壊する事が予測される。本当に困る。


 玄関の扉に関しては、ワカナさんが日曜大工で直してくれた。

 蝶番ちょうつがいに、鍵の方まで自力で直してくれたので、元には戻ったが、前より立て付けが変になった感じだ。


 以上の事から、ボクは強制的に禁欲生活を強いられている。


「取り乱してるあなたが悪いんでしょう」

「はぁ? 別に取り乱してねえよ」

「嘘おっしゃい」


 ぐりっ。

 思いっきり、乳頭を摘まむと、またしてもワカナさんが大きく震える。

 ボクの全身を包み込むように抱きしめ、声を押し殺していた。


「白状しなさいよ」

「ふ、ふん」

「あなたが取り乱すとしたら、アオのことでしょう。サチコさんに頼まれているものね。でもね。わたしも頼まれてるの。変な奴に食われないように、って」


 物騒な話だな、と思った。

 殺人とか、他の犯罪とかでも、物騒で嫌になるのに。

 食べる、とは常軌じょうきを逸している。



「な~にが、あったの? えいっ」

「ふ、ぁん!」

「おぉ、やっべぇ。ワカナさんの事、見る目変わっちまう!」


 大きな体で、女の声を出されると、形容しがたい興奮が込み上げてくる。


「忠犬になってないで。教えなさいよ」


 しかめっ面で、黙るワカナさん。

 地が黒い肌だから分かりにくいが、よく見ると、耳に赤みが差していた。


 執拗に乳首を抓る攻撃を食らい続けたワカナさんは、肘を上げて乱暴にリツの手を振り解いた。


 そして、観念したようにボソリと言ったのだ。


「――血の臭いがしたんだよ」


 リツは一瞬だけ真顔になったが、すぐに口角を釣り上げる。


「発情した男の臭いじゃなくて?」

「アホか」

「血の臭いなんて、町に出ればいくらでもするじゃない。ね、アオ」

「そ、そう? するぅ?」


 物騒過ぎるでしょ。

 おいそれと血の臭いなんか嗅ぎたくない。

 ていうか、血の臭いって、どういうのか分からない。


「40代くらいだと思う。加齢臭したから。アオの股間から、アレの臭いもした。アオのかと思ったけど。全然違う」


 一瞬、何の話をしているのか。本気で分からなかった。


「へー、すごい精度」

に。変な噂流されたくないから」


 そう言って、ワカナさんが抱きしめてくれた。

 ゴツゴツした大きい手の平で、頭や背中を撫でてくれる。


「……ふーん」


 リツはボケーっとした顔で、何かを考えていた。

 この日は、何だかスイッチの入ったワカナさんに離してもらえず、夜も一緒に寝る事になった。


 ボクが悶々としたのは、言うまでもない。

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